2012年3月31日土曜日

お一人様の、23年度末"社会参加"総括・・・

21年度以来2回目の食品表示ウォッチャー活動で、
《優良ウォッチャー》に選出された23年度。

食品表示への関心が高まる中、"消費者の信頼を確保する為、
国が行う食品表示の適正化に関する監視・指導業務の一環
として、消費者が日常の買い物の機会等を利用して食品表示
状況のモニタリングを行う" のが「食品表示ウォッチャー」。

今年は全国で1500名がウォッチャー活動をし、うち57名が
優良ウォッチャーだったらしい。
食業界での経験や生来のFOODへの強い好奇心ベクトルを
伸ばし知識を蓄えつつの活動。

滅多に褒められることのなくなった昨今、唯一ちょっとだけ
他者評価された出来事だった。
今年度は、嘗てしていた区政モニターから一歩踏み込み、
インターネットの都政モニターへも応募し、それが叶った。

東京都政の実行力は、国政よりも先んじ積極的であると
都民として感じていたところだった。

そして昨年の大震災後は、決められない行く末が見えない、
責任を取りたがらない国政に比べ、より早め早めに具体的に
対応し、生かしてきた印象。
石原都知事のリーダーシップや猪瀬副知事の断行力。
(尤も、未だ刻々遅々とした国政と比較してしまうのも、
 レベルが低いけれど・・。)

震災後の防災都市機能への取り組みや未来のオリンピック
招致への熱意、エネルギーのあり方、或いは子供の教育など
日頃関心ある事柄について、数回モニターとして意見や提案を
伝えられる貴重な機会。

都政モニターを通じて、都が何に力をいれ《東京都》が今後
どの様な展望を持っているのかを知り、或いはどう進んで
貰いたいのかを伝えるツール。

そして、
東京都交通局のモニターでも、都営地下鉄の施設見学や意見
交換会などを通して、日頃利用している都営地下鉄を運営する
立場へ思いを寄せることが出来たし、利用者の声を直接伝え
られる制度。
どの位実際に反映されていくのか今後の交通局のサービス力
を毎日の利用の中で実感できるといいなぁ。

ちょっと公共的ではないけれど、得意の食分野の覆面調査も、
ちょこちょこしている。これは食品表示ウォッチャー以上に、
FOODベクトルやCSの本質に立ち返る視点とレポート作成が
面白いというか、性にあっているみたい。

今住む環境を、東京を、日本を少しでも心地よくしていく術は、
選挙でもあり、こうしたモニター制度でもある。
根気強く関わって行きたい。

24年度は、テレビモニターへ応募してみたり・・・、
大震災時の命を厭わない士気高い活躍が印象的だった東京
消防庁や、都民を真に守って欲しい警視庁などのモニターへも
トライしてみよう・・っと。


2012年3月11日日曜日

ひとりひとりの3.11

1年が経過した。
今日、東北地方の太平洋の海は、穏やかだろうか?

あらゆる衝撃-地震、津波、そして原発による・・・負の
産物の重さに、くじけそうになる。

とくに、被災され、心も体も、人の関かわりも、まるごと深く
傷ついた方々、不意に生を奪われた無数の命。

無慈悲なまでに圧倒的な地球(宇宙)の営み。
人類はじめ地球に棲むあらゆる生物の非力さを、否が応でも
知らしめられた日。

多くのメディアが、当日の映像や当時の苦悩にフォーカスし、
明日に向かい始めている希望へと演出しているように思えるが、
実際は、もっともっと過酷。
報道は情緒的であるよりも情報的であるべき。
殊に1年たった節目、未だに抱える解決すべき現状に、
敢えて力をいれて伝えるべきだ。

明日へ踏み出すべき足元が、溢れる瓦礫。
それは、物質的でもありそしてこの国に住む人々の放射能に
対する心の蟠りでもある。

義援金も物質的援助も大事だけれど、あの悲惨な状況から
それでも今を生き、ほんのちょっとでも更に可能性が広がる
明日へ確実に前進する「自力」のパワーを加速させる為にも
被災地の悲しさ分積まれ、処理の行き場がない「瓦礫」を、
非被災地域の私達の一人一人が受け入れていかなくては
ならない。
極言すれば、多くの国外の方々の暖かい心遣いと祈りとして
義援金や支援物資は被災地に届く有意義な手立てであり、
被災地の物質的重荷を取り除く支援こそは、同じ日本に住む
人々しかできない、現実に即した有効な支援活動とも言える。

国の支援策も、復興庁の創設のもと進んでいるというけれど、
被災地の自治体は「以前より声が通り易く反応が早くなった」
としているものの、それは "発災直後からこれまでが余りにも、
遅々としいた対応と比較して" でしかなく、1年というスパン
と一応先進上位国「日本」という目線で見れば、やはり当該
自治体にとっては「国とのやりとりが漸く少し現実を認識した
仕組みになってきた」程度なのではないだろうか?

ただ、大枠は簡素化に努力したとしても、事務的な書類
レベルの大幅な簡略であり、手続きに慣れきった担当者の
柔軟で横断的な判断と施行が厄介。
実は、このどうでもいいような申請とその受理・審査というところ
こそ大胆に実質的に改善されることが本当に迅速化に繋がる
ところだ、とは思うけれど。

手続きの仕組みを改善しても、それをオペレートする人の思考
回路の仕組みの改善こそが、肝なのだ。
(即ちそれは、アノ橋本市長が再三指摘している本質部分)

そもそもあれから1年もたつというのに、政府はマスコミに
煽られてやっと瓦礫処理を自治体に正式要請とか手続きの
簡素化云々と対処し始める感度の鈍さに、今後の迅速化を
期待することは、やはり中々容易ではなさそう・・・。

【あの日を忘れない】とは、

出来事そのものによって生じた人々の平凡だった暮らしの
断絶から今も続く平凡な暮らしの回復への決意の日でもあり、
尊い犠牲を強いられた余りにも多くの魂への祈りでもある。
そして、
我が身を捨てて救援活動を続けてきた心強く誇り高い人たち
へ改めて感謝の気持ちを向ける日でもあるだろう。

しかし一方で、
何らか支援する側の人々にとってこの日は、見落とされがちな
回復の妨げとなっている現実課題に集中的に焦点を当て、
改めてその除去促進の推進を問う事実と向き合うリセットの日。
同時に、立ち返り捗々しく進まぬ要因や危機管理と被害発生
からの収拾対策の議論を広く深める改めての契機時期。

もう二度と口上にしてはならない常套句・「想定外」への備え-
心構えと覚悟-を自覚する日。

特に東電。
「利益の権利で民間を主張するのに、情報開示や競争力
受容の義務は殿様レベル」の未だ一般感覚からかけ離れた
錆付いている企業体質の"マインドコントロール"から、如何に
そしていつになったら脱却するのか?

起きたことを振り返ることより、そこからどの様に軌道修正、
しかもこのタイミングによって創造できるコトを生み出し、
道を拓いてゆくかの【《前進》の決意の日】。

人生は、「起きたことに、どう対応するか」の連続だ。

個々人のそれと、企業、自治体、国と単位は違えど、
テーマは一緒。

そこ(其処・底)から、如何に歩みだせるか?

ひとりひとりに投げかけられたテーマ「生き続ける本質」に
向き合う日- 3.11。

2012年3月8日木曜日

ベースボールで"天動説"?

馴染みきっている様に映った。
大リーグにも、チームにも。

溶け込んでいる雰囲気ではあるが、
一選手としてのダルビッシュの存在感は十分だ。
動じない芯(心・信)を持ち自分の力を知っている。
そして、自分自身を客観視できているクールさ。

迎合せず、怖じ気ず-。
大リーグであろうと、どこであろうと、
どんな環境や条件であっても、
自分の役割やすべきことを、ただ果たす、尽くす、
そんな人生観が貫かれている、と。

その堂々たる姿は「野球で天動説を説く」が如く??

日本時間早朝の大リーグ(一応)デビュー戦を
ライブで見ていてつくづく感じた。

流石に少しばかりピッチングの間合いが急いている
様にも思えたが、正直日ハム時代のダルビッシュを
特段肩入れして観てきた訳ではないし、大リーグにも
注視して居なかったので、単にあの投球リズムが、
元来彼の持つものなのか、大リーグの雰囲気なのか、
果たして、デビューという見えない緊張感なのかは
定かではないけれど・・・。

とは言え、公式戦迄の時間で自己管理と計算ができる
スーパーアスリートとして、プロフェッショナルプレーヤー
としてきっと整えてくるに違いない。

無用な怪我や故障などなく、着実に彼の目指す世界一
のピッチャーへと実績を積んでいって欲しい。

ダルビッシュ有-彼にはそれだけの資質と自己を
磨き上げる強いメンタリティーがあるのだから。

自ずと結果は付いて来るはず。

大リーグシーズン終了後、躍動感溢れる彼の投球に
ファンが魅了されているだろう。

(と、期待を込めて。)

2012年3月6日火曜日

お一人様の独り言 ~道を拓け~

間もなく1年を迎えてしまう。

特集番組が多くなってきた。
マスコミの一律の捉えかたに、やっぱり違和を感じる。

被災地の瓦礫処理は6%だという。

被災された人たちが、気持ちを建て直し、漸く生きることを
前向きに受け止めて進む人たちを阻んでいる本質的な
ひとつの課題が、瓦礫の後片付け。
人々の《明日への道》を阻んでいる。

気の遠くなる様な膨大な量。

放置していたら自然に消えていくものでもない。
処理をどこかでしなければならない。

東京都が早々取り組んだことは、とても素晴らしいと思う。
続々続くと思いきや、漸く埼玉や神奈川県が動き出したが、
住民の不安が壁となり、二の足を踏んでいる。

自治体が協力して分担して処理を負担すべきだ。
私たち日本に暮らすひとりひとりが負担する意識が大事。
分母が大きければ私たちの負担も小さくなる。

「しなければならないのならば、皆で分かち合おう。」

・・・あれから1年-そんな潮になればいいなぁ。