ドービルでの、世界への宣言やセレモニーの、
あの、威厳を醸し出そうと力んで口元を結つつ目線も
不自然に真正面を見ているそれは、「こうしなさい」と
細かく口添えされたかの様な明らかなぎこちない動き。
全く平皿の様な「器」であると露呈している。
或いは「・・・法案を国会で提出」-G8直後現地での
記者会見。
大体、わざわざフランス?
どこまで内向き?と中継をみて感じたけれど、
しかし翌日はG8に関わる質疑を差し置き、記者からの
質問でも「不信任決議案」という単語が飛び出した。
あぁやっぱり同レベルなんだ、と改めて感じてしまう。
痴話げんかみたいな次元の政局の質問を現地でする
マスコミ(報道)もどうかと思う。
どっちもどっち、だ。
政局は、今や誰がやっても大差ないし、世界にも堂々と
渡り合えるべき日本国の『首相』となるべく人が居るとは
全く思えないけれど、少なくとも菅氏は、総理としての
《覚悟》や《心意気》という "人"としての「資質」「器」「感度」
などのベースが無い。
リーダー気質の大事な要素《豪快さ》とほど遠い。
潔さと覚悟も無く、責任感や決断力や先見性を求めることは、
そもそも虚しい要求だ・・・。
正直、日本が未曾有の多重の災害に遭ってからの
被災者・被災地対応や対処の速度などが、ここまで
鈍く未だに既成概念に囚われた対応が多いことが、
なんとも情けなかった。
震災・津波の災害対策も、現場の状況や自治体の要望へ
適切で迅速な気持ちを添えての対応をしていると、
受け止めているのだろうか?
どの角度から見ても、発言は常に、首相としての立場を
自覚した考えを示したことがあっただろうか?
いつも曖昧で周囲の意見を聴いて・・といった御用伺いに
終始して来たように思えてならない。
浜岡原発停止[要請]も"逃げ道"は確保しつつ、国民の為
にと嘯く。
今まで否定的だった国会の会期延長を、このタイミングで
検討を打ち出すのも、姑息な保身の計算の上かと穿ってみる。
そもそも何度も被災地へ足を運び悲痛な現場を目の当たり
にしてきた指導者ならば、山積している課題を後倒しにする
選択はあり得ず、通常通りの開期で終わろうとしたこと自体こそ
理解に苦しむ感性だ。
立ち位置を俯瞰し、先を読み標を示し退路を断つ潔さが
無いばかりか、いつも後追いで状況や周囲の様子を伺って
重い腰を上げる。
だがしかし、にも拘らず・・・。
下す判断は、本質を外したもの。
或いは推進するには重要且つ協力体制を整え慎重な事前
協議など戦略や手筈は必要だろうに、そうしたことに限って、
大風呂敷を広げるが如く容易に大事なシチュエーションで、
妙に具体的に口にしてしまう。
-パフォーマンスそのものだが、その最も重い責任を伴う
立場としての思慮の足りなさには呆れるばかりだ。
故に、
その下で実務をこなす周囲が援護したくなくなるのだ。
辞任すること=無責任と思っているのか、保身なのか?
判らないそのしがみつきようだが、彼に限っていえば、
辞任することこそ状況を弁えその悪影響を最低限に
した彼にとって適正な責任の取り方だろうと、この2ヶ月
余りの対応を見てことさら感じる。
(だからこそ、こんなときに何をやっているのだと政局の
ゴタゴタの最中にでも、現副大臣職が辞任してまで・・
というのではないか?)
一方で、不信任否かに焦点を絞っているマスコミも、
政治への捉えかたが浅くて古い。
政局に焦点を絞った報道の仕方が、与野党の動きにも
少なからず影響しているはず。
「演説の作法」かくあるべしといわんばかりの、ブリキ
人形の如く左右交互に向きながら言葉を発するあの人
が党の首長となっている党も心許ない。
相も変わらず国会で「追及」に躍起になっている。
- わかってない。
与党も野党も本気で国の有り方に向いているとは、思えない。
とどのつまり、いまの日本の国会は、ごっこ。
どっちもどっち、だ。
場渡り政治のどん底である危機感を未だ感知できていない。
国に近ければ近い組織ほど、その感度は鈍く、ハコ(上辺、
建前)を整えることが『お仕事』と勘違いしているけれど、
全く底なし。
そして、上の方で都合よく、それこそ渾身の?相互扶助
の精神でイロイロ回しながら利権や既得権益を握っていた
人たちの(故に感度がさび付いてしまうのだろうけれど)、
オイシイ部分が、少しずつ私達にも晒され始めてきた。
それでもきっと、うまぁくかわす術に(そういうときには
全身全霊で?)尽力していくだろう。
どの国でもあるのだろうけれど・・・。
首相は一党首以上でなくてはならず、世界的視野やセンス
にも長けている人であるべき。
即ち、現状の与党ではなお更差し替え可能な人は居らず・・・。
この際どうだろう民間の、例えば今で言えば、孫さん。
即断力と責任感がある民間のリーダーをとにかくトップに
据えて、動きと感度の鈍い国会議員を駒として動かす。
-そんな大胆な切り口も今なら出来てしまうかもと、理想の
絵空事を思い描く。
・ ・ ・ ・
数年前、クリントン前大統領が著書のプロモーションで
来日した折講演に、是非行きたいと応募して、
"生クリントン"の"生講演"に感激した経験を思い出す。
会場に入ってきた途端アメリカ大統領だった人というのは、
米国のトップリーダーに納まらない独特のオーラを放って
いた。
聴く者が入り込んでしまう話術は流石。
演説慣れしている話術には、テクニックだけではなくて、
語りに意思や気が入っている。聴く者に伝わる。
人心を捉える人間的な魅力と佇まいを備えている。
講演の軸は世界が基準。国際的な視野の中でアメリカや
日米の関係を語るに終始していた。スケールが日本とは違う。
「アメリカ大統領は即ち世界のリーダー」だという事実を体感
した時間だった。
オーラは、作るものではなくその人自身から滲み出るもの、
醸し出て来るものなのだ。
- 現実に戻ると・・・;
本当に、日本はどうなってしまうのだろう?



















