2011年5月29日日曜日

お一人様の独り言 ~ どっちもどっち ~

ドービルでの、世界への宣言やセレモニーの、
あの、威厳を醸し出そうと力んで口元を結つつ目線も
不自然に真正面を見ているそれは、「こうしなさい」と
細かく口添えされたかの様な明らかなぎこちない動き。
全く平皿の様な「器」であると露呈している。

或いは「・・・法案を国会で提出」-G8直後現地での
記者会見。

大体、わざわざフランス?
どこまで内向き?と中継をみて感じたけれど、
しかし翌日はG8に関わる質疑を差し置き、記者からの
質問でも「不信任決議案」という単語が飛び出した。
あぁやっぱり同レベルなんだ、と改めて感じてしまう。

痴話げんかみたいな次元の政局の質問を現地でする
マスコミ(報道)もどうかと思う。

どっちもどっち、だ。

政局は、今や誰がやっても大差ないし、世界にも堂々と
渡り合えるべき日本国の『首相』となるべく人が居るとは
全く思えないけれど、少なくとも菅氏は、総理としての
《覚悟》や《心意気》という "人"としての「資質」「器」「感度」
などのベースが無い。
リーダー気質の大事な要素《豪快さ》とほど遠い。
潔さと覚悟も無く、責任感や決断力や先見性を求めることは、
そもそも虚しい要求だ・・・。

正直、日本が未曾有の多重の災害に遭ってからの
被災者・被災地対応や対処の速度などが、ここまで
鈍く未だに既成概念に囚われた対応が多いことが、
なんとも情けなかった。

震災・津波の災害対策も、現場の状況や自治体の要望へ
適切で迅速な気持ちを添えての対応をしていると、
受け止めているのだろうか?
どの角度から見ても、発言は常に、首相としての立場を
自覚した考えを示したことがあっただろうか?
いつも曖昧で周囲の意見を聴いて・・といった御用伺いに
終始して来たように思えてならない。

浜岡原発停止[要請]も"逃げ道"は確保しつつ、国民の為
にと嘯く。
今まで否定的だった国会の会期延長を、このタイミングで
検討を打ち出すのも、姑息な保身の計算の上かと穿ってみる。
そもそも何度も被災地へ足を運び悲痛な現場を目の当たり
にしてきた指導者ならば、山積している課題を後倒しにする
選択はあり得ず、通常通りの開期で終わろうとしたこと自体こそ
理解に苦しむ感性だ。

立ち位置を俯瞰し、先を読み標を示し退路を断つ潔さが
無いばかりか、いつも後追いで状況や周囲の様子を伺って
重い腰を上げる。

だがしかし、にも拘らず・・・。

下す判断は、本質を外したもの。
或いは推進するには重要且つ協力体制を整え慎重な事前
協議など戦略や手筈は必要だろうに、そうしたことに限って、
大風呂敷を広げるが如く容易に大事なシチュエーションで、
妙に具体的に口にしてしまう。
-パフォーマンスそのものだが、その最も重い責任を伴う
立場としての思慮の足りなさには呆れるばかりだ。

故に、
その下で実務をこなす周囲が援護したくなくなるのだ。

辞任すること=無責任と思っているのか、保身なのか?
判らないそのしがみつきようだが、彼に限っていえば、
辞任することこそ状況を弁えその悪影響を最低限に
した彼にとって適正な責任の取り方だろうと、この2ヶ月
余りの対応を見てことさら感じる。

(だからこそ、こんなときに何をやっているのだと政局の
ゴタゴタの最中にでも、現副大臣職が辞任してまで・・
というのではないか?)

一方で、不信任否かに焦点を絞っているマスコミも、
政治への捉えかたが浅くて古い。
政局に焦点を絞った報道の仕方が、与野党の動きにも
少なからず影響しているはず。

「演説の作法」かくあるべしといわんばかりの、ブリキ
人形の如く左右交互に向きながら言葉を発するあの人
が党の首長となっている党も心許ない。
相も変わらず国会で「追及」に躍起になっている。
- わかってない。

与党も野党も本気で国の有り方に向いているとは、思えない。

とどのつまり、いまの日本の国会は、ごっこ。

どっちもどっち、だ。

場渡り政治のどん底である危機感を未だ感知できていない。

国に近ければ近い組織ほど、その感度は鈍く、ハコ(上辺、
建前)を整えることが『お仕事』と勘違いしているけれど、
全く底なし。

そして、上の方で都合よく、それこそ渾身の?相互扶助
の精神でイロイロ回しながら利権や既得権益を握っていた
人たちの(故に感度がさび付いてしまうのだろうけれど)、
オイシイ部分が、少しずつ私達にも晒され始めてきた。
それでもきっと、うまぁくかわす術に(そういうときには
全身全霊で?)尽力していくだろう。
どの国でもあるのだろうけれど・・・。

首相は一党首以上でなくてはならず、世界的視野やセンス
にも長けている人であるべき。
即ち、現状の与党ではなお更差し替え可能な人は居らず・・・。
この際どうだろう民間の、例えば今で言えば、孫さん。
即断力と責任感がある民間のリーダーをとにかくトップに
据えて、動きと感度の鈍い国会議員を駒として動かす。
-そんな大胆な切り口も今なら出来てしまうかもと、理想の
絵空事を思い描く。

      ・   ・   ・   ・

数年前、クリントン前大統領が著書のプロモーションで
来日した折講演に、是非行きたいと応募して、
"生クリントン"の"生講演"に感激した経験を思い出す。

会場に入ってきた途端アメリカ大統領だった人というのは、
米国のトップリーダーに納まらない独特のオーラを放って
いた。
聴く者が入り込んでしまう話術は流石。
演説慣れしている話術には、テクニックだけではなくて、
語りに意思や気が入っている。聴く者に伝わる。
人心を捉える人間的な魅力と佇まいを備えている。

講演の軸は世界が基準。国際的な視野の中でアメリカや
日米の関係を語るに終始していた。スケールが日本とは違う。
「アメリカ大統領は即ち世界のリーダー」だという事実を体感
した時間だった。

オーラは、作るものではなくその人自身から滲み出るもの、
醸し出て来るものなのだ。


- 現実に戻ると・・・;

本当に、日本はどうなってしまうのだろう?

2011年5月15日日曜日

お一人様の、身の丈の社会参加 & 芝浦散歩

初夏の様な清清しい日曜日。
芝浦を散歩。
午前中に田町であった用事を済ませると、
滅多に来る機会が無いこのエリア、好機。

思い切って以前から気になっていた"Italiano La Ciau"
でランチをしようと、店を探し目指した。
思いの外迷うことなく、その店を見つけられた。
けれど、生憎くこの日は、料理教室開催だとか。
-あぁ。素敵なお店であることは、この目で確認。
仕方がない、次回の楽しみに取っておこう。

午前中の「用事」は都営地下鉄のモニター説明会。
希望したモニターの競争率は5.4倍だったとか。

過去、区政モニターと食品表示ウォッチャーを経験
してきたけれど、今の自分の身の丈でできる社会参加を、
と応募し、無事に今年はこれを含めて3つ-この都営
地下鉄のモニターと、2度目の食品表示ウォッチャーと、
そして、都政のモニター。
-心を込めて任期を務めよう。

   ~  ・  ~  ・  ~  ・  ~

湿度も低く太陽の光が眩しくて青い空が美しい。
-芝浦から品川へ品川へ抜けようと、歩くことにした。
道なりに進むと「芝浦中央公園」に行き着いた。
へぇ、品川って高層ビルの狭間のイメージ
だったけれと、ちゃぁんと緑も確保しているんだ・・・。
港区立の公園。やっぱり緑は心落ち着く。

今の季節、色とりどりの薔薇が見事に咲いていた。
雛が鳴く声にあずまやの屋根の隙間に鳥の巣を発見。
残念ながら警戒心からか声の主の姿は見えなかった。

それにしても、JR沿いに細長区続く高層ビル
のその谷間に、視界の広いこんな素敵な散歩が
楽しめる公園があるなんて-。

東京は、緑の豊かな大都市だというけれど、
今日も、それを体感した一日だった。

2011年5月10日火曜日

お一人様の、"お近く、お気に入り、のお店”

『シュークリー』

行列必至、売り切れ必至のシュークリーム。
以前年末に、とても値ごろ感ある杏のタルトの旨さを
載せたけれど、久しぶりに覗いたら、この日は雨ゆえか
17時からの販売時間を20分ほど過ぎても僅かに残っていた。
そうなると、買わないわけにはいかないではないか。

店のすぐ目の前にある区民プールの帰りだったので、
歩いて帰る道すがら食べちゃうか・・・と、焼きたてシューが
載ったトレーからひとつ残数を減らしてみた。

尤も店にいる2分程度のうちに客が数組入ってきて、
忽ちさらに"僅か"になっていて、やっぱり人気あるんだなぁと、
店を後にした。

 シュークリーム(220円)

黒胡麻はアクセントとしてよいのかもしれないが、
個人的には、正統派カスタードクリームと、クリームに
全く引けをとらぬばかりか寧ろ味わい深さを感じる
シュー皮の、それぞれとそして織り成すハーモニーの
おいしさを愉しみたかったので、黒胡麻の風味が
加わることは、プラスには感じなかった。


原材料に真摯な味わいのカスタードクリームとクリーム
を包んでいるだけじゃない、と、シュー皮自体の生地
の厚みに旨さと食感が主張して、互助共存している。
-どちらも主役。


トラットリア・コッレ/TRATTORIA COLLE』
 (前菜)自家製燻製ハム
 (選択肢から)生うにのクリームソーススパゲティー
 エスプレッソのグラニテ&パイナップルの焼き菓子

Aランチは、上記自家製ハムの燻製と選べるパスタ(およそ5択)、
デザートに、自家製フォカチャ一切れコーヒーか紅茶がついて
1200円の値ごろ感。

パスタもボリューム満点で大盛りの融通も利く。
ウニ自体には流石に寿司屋で供されるような奥深いものは
なかった。
けれど、ウニ独特の海の香りを秘めた味わいが感じられなかった
要因もひょっとしたら、お喋りが止まらず、食べ時をすっかり過ぎ
しまった後だったからかも・・・。
というのも、供されて間もなく口にしたときは、アルデンテの熱々
パスタと程よく絡んだウニソースだったものの、パスタを口にする
頻度がお喋りよりも鈍くなってしまい、その間にとろりと粘度が
上がってしまっていた可能性もおおきい-勿体無いな。

期待の大きい再訪だっただけに、デザートは、前菜、パスタ
クオリティと比較すると劣っていた印象。
エスプレッソらしい風味と苦味が感じられず、焼き菓子も話しが
盛り上がって席に長く居たためにスプーンが皿と口元を機械の
ように往復していたにすぎない。
-〆だっただけにちょっぴり残念。

けれど、浜町のあの立地にあって、この日もほぼ女性客で
埋まっていたのは、コッレを支持する客層がしっかり根付いて
いることを裏づけている。

       ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~

何れのお店も、人形町界隈にあって値ごろ感を感じるオススメ
お店であることは確かでは、ある。

お一人様の独り言 ~"違菅"  ・・・それでも、心意気や覚悟は伝わるもの  ~

目は虚ろ。時に視点定まらず。
とにかく、顔付き、所謂、相がよいと思えない。
話せば話すほど薄っぺらさが透けて見えてくる。
個人的には、実に不愉快ですらある。

一国民ではなく自ら背負った最も重い役を担う
立場にいるにも拘らず、その発言はなんとも、
保身的、感情的、場渡り的、体裁的、偽善的。

けれど、それが言霊とは対極にあるセリフの如くで
あることは、恐らく被災地や現場に近ければ近いほど
体感しているに違いない。

(彼にとっては、国民=1票??)

一つ一つの言動に、心からではないことが滲み出てくる。
心を込めて尽くしていることを感じ取れれば、受け取る側も
伝わるものがあるものだ。しかしながら、残念ながら、である。

人々の心を掴めるかどうか?
人心を得ることは、欲しがって得られるものではなく、その
言動に信頼や親しみやシンパシーを感じた側の結果なのだ。

混沌とした昨今、見掛け倒し、建前だけの社会的地位の
基準ではなくて、人間的な真心(精神)の質や誇りこそ大切
にしたい-そんな踏ん張りどころの日本の行く末が、彼の
言動に委ねられているのは、余りにも不幸。

政府と違わぬ感度の低い東電トップはともかく、原発現場で
命がけで働く大勢の方々の劣悪な環境に対して、情報を吸い
上げられてのち、想像を働かせ現場に携わる人々へ労わりを
形として示しての具体的な改善が速やかにしているのか?
震災・津波発生後2ヶ月たってもシャワーが4日に一度、
毛布等も一人一枚ないというそんな状況を、一刻も早く整える
ことへの気遣いがあったのか?

一般国民へのパフォーマンスで「国民のために」と歯の浮く
ようなセリフを言っているけれども、現場で働く人々も同様に
確かにおなじ「国民」である。

スケジュールに沿って任務を担う現場への環境的配慮を
組み込んだ工程なのか?
未だ全容把握が出来ない中で提示された東電の工程表に、
そうした不測の事態や懲り懲りのはずの「想定外」への"想定"
を射程にしての時間的猶予を計算に入れているのか?

一連の対応は、ミニマムの「最悪想定」で伸びしろの考慮が
見えてこない。その履行には甚だ不安と疑問が残る。

思慮深い見通しや将来ビジョンと、熟慮の末の判断が示せない
だけじゃおさまらない・・。
全責任を背負う、という意気込み使命感、心意気、気概がない。
正面を向きながらも、足元は逆方向、身体は斜めに向いて、と
どこかに逃げ道-他への転嫁だけは計算ずくの「余地」を
残しているようだけれど・・・。

・・・本当に、国難。