2011年3月31日木曜日

お一人様の独り言 ~ 哀しき「滑稽」 ~

チャラ男のはしゃぎ様ったら・・・。
「そんなに嬉しそうに笑うな」と窘められたのだろう、
瞬間、真顔を装った。
握手を交わした直後、プレスに向かってのひとコマ。

まるで、ウルトラマンショーで、憧れのウルトラマンと
握手が出来た幼児みたい・・。それくらい<会心の笑顔>。

-全く、未曾有の国難と言っていながら、一体どれ程
陥っている状況の深刻さと立場を自覚しているのだろう?

世界で一番原子力に依存している国、フランスにとっては、
今日本が抱える原発の危機は即ち自国に振りかかる問題
であり、日本のための大儀と同程度以上に、一向に収束に
向かわない状況の収拾を急ぎたい筈。
・・・アメリカ始め世界が取り組む困難になった。

サルコジ大統領と臨んだ会見、首相官邸での中継-。
大統領は、具体事例を挙げ期日を掲げ、大統領として
の原子力に対する見解とフランスの姿勢とビジョンを
明瞭に、時に余裕を持って、聴かせる語りだった。
やはり語り口や内容も含めて、核が・・いや「格」が違う。
皮肉にも交互の発言は比較しやすく、その差は物腰
含めて際立って顕著な空間となった。

        ・  ・  ・  ・

週末の朝までの討論番組には、東京電力の偉い方
(会長会見時に同席していた人)の出演もあった。
彼は、猪瀬副知事やホリエモン、勝間氏などお口の
達者な方々のなか、へりくだった言葉遣いに努めていた
けれど、そこで際立ったのは、東電の「鈍い体質」だった。

ホリエモンが投げかける質問に、言葉を選びながら
頓珍漢な回答をしていると「つまり、○○ってどうかって
聴いているのっ」と苛々した調子で回りから一斉に
"通訳"が入る。

「打てば響く」とか「阿吽の呼吸」とかの所謂「意思疎通」
の次元が全く異なっていた。

それは、東電という企業風土に起因するものだろう、
と先の会長会見で確かに感じた。

原発事故発生以後の対処がどうしても「後手後手で、
もしダメだったらという二の手三の手への選択肢や
危機管理のシュミレーションが見えていない」と、
誰しも(原子力に詳しい解説者じゃなくても)容易に
感じていただろう。

ちょん髷姿が似合いそうな「殿」(東電の会長)の口調と
発言は、毛布一枚に雑魚寝か椅子で仮眠、お風呂も
入れず食事もままならず、線量計も作業員相当分無い
という信じられない劣悪な現場の環境整備が無いなんて、
被ばくを覚悟して命がけで業務に当たる東電関係者へ
思いが及んでいる、とは思えない。

或いは、この事故であらゆる被害を受けている人々の
心痛を分かち合おうとしている、とは全く思えない。

刻々収束よりも混迷感が増す一方の原発状況に、
恐々とする国民や世界の関心度合いとの温度差は
否めない。

原発事故が招く影響の深刻さは、「殿」が捉えている
以上に、産業の裾の広く、地域を越え、国を超え、
経済的に長い年月に及ぶとも懸念されている。

計画停電にしても、供給する東電にとっては「計画的」
であっても需要側には様々に「無計画」。

鈍"菅"のそれというより、"暮らしてらっしゃる"次元が違う。

つまり、彼らの常識や日常が、多くの一般企業の常識
とは違うので、かみ合わない、気づかない-そんな感じ。


そういえば、
計画停電で国自らが積極的に節電に乗り出して以降、
それ迄(民間の努力とは遠い)のらりくらりと彼らなりの
"なんちゃって節電"をしていた官庁や国に近い事業所は、
忽ち"完璧な"節電を実践している。

「え廃墟?」・・・真っ暗。
エレベータホール、廊下に電球ひとつ分の明かりも無い。
手探りで、スイッチを探したりして・・・。
- 極端すぎるでしょ。  (0か100?イチかバチ?)

でも思った、やっぱりこれまでは「していなかった」んだ。

意思と行動が<本気>でなかったことが露呈した。

「やればできるじゃん」。
・・・上から目線で、そう言いたくなった。

2011年3月27日日曜日

お一人様の独り言 ~ 価値と社会の転換期、宇宙に「生かされて」いる ~

インフレーション宇宙論によっれば、「宇宙」
はいくつもあるという。
それは、数千億の銀河を持つ「宇宙」は、地球のある
宇宙の他にたくさんある、ということ。

13,600,000,000年生き続け今も膨張しているこの
『宇宙』が地球とみたてれば、何だかまるで、『地球』
という惑星は一人の『人』に過ぎず、人類一人一人は、
人の体を構成する細胞のよう・・・そんな風に思えた。

4,600,000,000歳になる地球が咳き込んだら、
ニッポンとの部分がその振動の影響を受けてしまった。

        ・ ・ ・ ・

遅々として進まない日本の取り組み。
脆弱な内閣がずっと続いてきた。
しかも、深刻なのは猫の目の様にくるくる替わるごと
に確実にその資質が下がっていた。

週末、朝方まで世相を討論する番組を見ていたら、
現役の副大臣が居る中で"論客達"が「能力が無い
のだから」とこぞって発言。そこに失笑も異議を唱える
者もなく、当たり前の現状として語られていた。
-「政府」「菅首相」の現実。

昨今日本が直面していた政治の、閉塞感、不信or審
or振-感、目標を掲げられない、軸が定まらず・・・。

地方自治体の国からの独立と連携がこのような形で
大きく前進しその繋がりを強化させるとは。

見直す環境問題が、このような形で私達に猛省を
促がし暮らし方を変えるべきだと示されるとは。

自分を包む回りのコミュニティーの存在や互助に
よって社会が築かれ、個のエゴがときに周囲の
我慢によって成り立っていることを知る。
そんな個とコミュニティーの繋がりがどれほど、
人の心地に影響するか、と思い至るとは。

40万人とも言われる被災者の中に、在日外国人も
多く居る筈だけれど、観光に入国されている人々も
確かに居るだろうけれど、彼らの現状が伝わってくる
ことは殆ど無い。
従前にない海外からの支援活動が現地で展開されて
いるのに、その活動情報は極端に少なく、また政府
からの感謝の念も、残念ながら彼らの連日の活動には
決して比例していない。

外交が未熟であることがこんな形で改めて露呈するとは。

自発的に日本から一旦退避も促がしているAFNでは、
週末ルース駐日大使の、進行中の支援活動、そして
継続的な支援と協力を求めた趣旨の声明が、繰り返し
流されていた。そこには、セリフではなく感情が言葉に
乗ったもの。原稿のある選挙演説もどきの薄い声明
とは、違う。

被災した県と具体的な支援を次々実施している地方
自治体連携が図られ、被災者の方々の今日が昨日
よりよくなり、そして明日へささやかな希望を抱ける兆し
を掴みかけている。

これら具体的に見えてくる自治体の支援に対して、
おろおろしているだけで未だ被災者の方がこの環境
を耐え抜こうと意思を新たにする対応策は、政府から
示されているか?

地方自治体からの被災地への職員派遣は1万2千人
に及ぶ一方、総務大臣より「国会議員も被災地へ
支援に入って欲しい」旨閣僚に依頼したとのニュースは、
国会議員のフットワークの悪さと本来あるべき地域の
代表としての責務と覚悟が無いことを露わにしている。

現場は自衛隊や消防・警察や電力会社など全国から
尽くしているし、そこに県の垣根は、ない。
各省庁も尽力している支援は見えてくる。
けれど、そこに政治の統率力は全く見えてこない。
迅速性が求められる中、三重苦で手が回らない、
困難の中にいる現場の、小回りの利点を優先すべく
ダイナミックな権限委譲をするとか、大きく譲歩して、
方策や指針だけでも明確に打ち出して欲しいのに。

唯一、枝野官房長官の真摯に取り組んでいる感は
伝わるが、彼が政府として発言・判断を下す度に
首相という名札を付けている者は居るのか・・・?
引きこもり傾向の首相には、こんなときこそメディア
に露出し、被災者と原発事故に身を粉にして取り組
んでいる姿をアピールする方が、せめて好感度は
上がると思うけれど。
(尤も、露出すればその分器の小ささが際立つこと
は否めない。)

支持率1%でも頑張り抜くのは、職位にしがみつく
ことだったのか?

視点を将来に変えてみれば、この国難の現実に
真っ先にとにかく立ち向かわなければ、と地方
自治体は連携し役割を担い実質的な支援に
積極的で、反応の鈍い「国」は置いてけぼりで、
前に進んでいる。
地方自治体が国からの自立を望んでいたが、
結果として本来国民を引張っていくべき政府
機能は、そう遠くない将来淘汰されていくのでは
ないだろうか。

原発事故の代替案を持たない打開策の拙さが全て
裏目。多くの人命を賭して過酷な現場で作業に当たる
人々の犠牲にも拘わらず事態は光を見出せない。

しかし豊かな電力のある暮らしは、この大きなリスクの
裏腹にある。原発NOを唱えるならば、同時に今日の
生活様式を検める必要がある。
余分な暮らし方をしてきては居なかったのか?
電力は需要を賄う供給をし、その手立ての一つとして
原発があるという現実。

計画停電という唐突な無計画さへの不満はともかく、
「出来る・出来ない」ではなくて「するかしないか」で
あることが、既成を超える大切な思考と行動であることは、
実証された。

街に溢れかえっていた過度な明るさや音、ついつい
蓄え込んでいた生活にあった「無くてもよいもの」の量
をはかりなおす。

改めて、
人が『生きること』即ち、それは『地球に生かされている
暮らし』でもある。
大切な真理は何か?

- 4,600,000,000歳の地球に、瞬く間の時間の
   暮らしを潤す本質は・・・。

21世紀はボーダレスな地球に、と言われていた。
一歩先にネットが人々の日常に馴染んだ。
人間の心の根幹のひとつ「コミュニケーション」から
国の境界線は徐々に曖昧になってきた。

そして世界で頻繁に起こる自然災害や国の変革・革命
に起因に被る災害に支援という形で「繋がる」本能が
活発になっている。

それでも感情や権力・既得権益・エゴなど人々の
生き方や暮らし方は、あらゆる面でのボーダレスは
まだまだこれから。

地球のあちこちで次々起こる大地震と齎される
災害は、地球に棲む人間社会に
「これまでの当たり前」を壊し、ゼロから新しい価値観
をもつべき【時機】なのだ、と荒療治というには余りにも
ダメージは甚大すぎる《メッセージ》だとも、受け取れる。

人間社会に失われかけていたコミュニティの繋がり、
こころの繋がりこそが「生かされている=命の"甲斐"」
であると、気づかせるために。

あたかも、
日本国民が遅々として進まぬ政治改革に苛立ち、
縦割り行政を改めることを求めてきたけれど、翻って、
私たち自身も、よりラクな生活を享受し、地球環境に
寄り添う感度が実は鈍かった、と、漸く目が覚める。

- 人間の英知なんて、どれほどだろうか?

       ・ ・ ・ ・ ・

宇宙の中の、地球の中の息遣いのひとつに過ぎない
のかもしれない小さいことが、ニホンに暮らすヒトには、
2週間を超えてなお未だに行方不明と届けられていない
人々が万単位で被害の全容が判らず、そしてまだまだ
再生の構想着手に程遠い未曾有のデキゴトとなっている。

あの日を乗り越えた命であることはつまり、
「地球に生かされた」もうひとつの大きな使命をもった
宇宙から与えられた<命>でもある。

そして、
この宇宙・地球に、この瞬間『生かされている』ことを思うと、

「ヒトの考え及ぶゼッタイということは絶対にない、
ということだけは、絶対に言える」

と言えるのかも知れない。

2011年3月23日水曜日

お一人様の独り言 ~ 大人の<思惑違い>  ~

「子供たちに夢を」のプロ野球の筈が、
「子供たちにエゴを」のセントラルリーグの強行。
存在感があり過ぎる"裏"の力が見えてくる。

そもそも、文部科学省や消費者庁からスケジュール
の矯正を強制される段階に至る迄、自己判断で
パ・リーグと足並みを揃える気すらない意図や思考は
"裏方"以外誰もがきっと共感しにくいに違いない。

典型的な情報発信の立場で、世論を動かせる力を
持つ裏の力のその思惑は、道義的にも常識的にも
教育的にもあらゆる角度から見ても、理解しかねる。

輪郭がしっかり見えちゃう"裏"の思惑は何処?

         ・  ・  ・  ・  ・

アレ、見たくないからNHK・・・。
イントロクイズの如く、"きたっ!"と気配を察知した途端
チャンネルを変えているのは何も私だけではないだろう。

モラルや社会的啓発を目的としている分、何だか押し付け
がましく感じてしまうし、何よりこれだけくどく流れれば、
なお嫌気が差すものだ。

そもそもACの広告は無駄だと思っていたのが、短期的に
集中して流れる広告に拒否反応となれば、<良き社会に
しましょう!>の善意の思惑は、プラスに働かない形になって
しまう。

広告が無駄とは、即ち、
莫大な宣伝費を掛けてモラルの啓発を促がす以前に、
大人たちが日頃から、
率先して挨拶を交わし、
弱きものに手を差し伸べ、
子供に目線をあわして声を聴く、
小さな毎日のことがらの積み重ね。

職場でも挨拶が無いとか、
歩きながらゴミクズをポイポイ捨てたり、
通りがかりの自転車のカゴにゴミを入れて行くとか、
降りる人を待たず行く手を阻み我先にと車内の
席を目指したり、
義援金という詐欺があったり、
支援を、といいながら風評に踊らされ
つい買占めたり、過剰に手控えたり・・・
全部大人がしていること。

大人のありふれた日常が、社会のスタンダードを
作っている。

(検診は気づかせ知らせることが必要だけれど、
あれほど勧められると・・・思惑違いだろうなぁ)

ACの広告費用をもっと有効に教育費に充てれば
いいのに・・・(額が違うかもしれないけれど)、
-そんな思いに至っていたが、拒否反応を促進
しちゃって逆効果となっている現状に、
些か同情を覚えている昨今だ。

          ・  ・  ・  ・

野菜や原乳、水で、表面的な情報に過剰な反応。
そして消費バランスが崩れて行く。
対象でないものも丸ごと同じように捉えている・・・。
その消費者の殆どは、原発周辺に住まう人々を
含めた被災地域への支援の気持ち。

「せめて、自分に出来ることを」-と。
正し情報の本質を読み取る努力をして、考えて、
判断して、行動する大人であるよう心掛けよう。

安直な思い込みや過剰な反応は、この三重苦の
大災害の影響を受けた全ての人たちのために、
分け隔てなく「支援したい」<思惑>だった筈。
「助けたい」と願った筈。

支援する側の身勝手な自己満足にならないように。
農産物の生産者にも助け合いを実践しないと、ね。

         ・  ・  ・  ・  ・

最近はめっきり海外のニュースを知る機会が
減ったが、リビアのカダフィの頑なな姿勢も
いよいよ国際世論が認めた各国からの空爆
の毎日。

自国の国民に加え、世界中を敵に回している
カダフィの思惑は一体?
そして、その先に見えるものは何なのだろうか?

2011年3月20日日曜日

"手&"  ~ ポジティブな動力 ~

身の丈で出来ることって?

-夫々が、被災された方々へ自治体へ原発事故に
怯える住民に・・・、そう心を痛めて「何とかしたい」と、
今手を差し伸べることを、考え発信し行動している。

日本と世界の殆どの「心をひとつに立ち向かおう」
のベクトル。

自分の命と家族を犠牲にしても、と被ばくを覚悟で
国に住む全ての人々のために、原発事故現場に
不眠不休でずっと復旧作業に当たっている士気
高き人たちの活動に、言葉に尽くせぬ熱い思いに
駆られる。

その一方で-;

虚しいけれど付け込む心さもしいヒトもいると聞く。

自己の私利私欲にしがみつき挙句自国民に銃を
向け抗っているリビアのカダフィと、発想の元は
何ら変わらない。

しかし、そんな強欲は、次々芽生えるポジティブな
動力を大きな力にすることを阻害する。

例えば、
小さな「何とかしたい」という一心で募金活動する側に
<この募金は本当に被災者へ気持ちと共に届くのか>
と疑心暗鬼を生み、やはり大口の基金へと募金が集
まってしまう・・・。
一人一人の善意や想いの広がりを阻害し、人々の純粋
な補い合い支えあう気持ちや「信じる強さ」を阻害する。

- 負のサイクルになるのは虚しい。

ほんの一握りの心さもしいヒトたちへ、

現に今この瞬間も、耐え切れぬ犠牲を伴いながらも
生き抜く勇気と尊さを噛みしめる人々が居て、
日本の空の下、繋がっている命の重さを受け止めて、
自らの命を差し出し原発の現場で、目の前の任務を
只管遂行する人たちの士気に、アナタも私達も
支えられている。

災害で生死の危機を体験したり、環境に困り果て、
生きる一縷の希望も見出せないとき、黙ってそっと差し
伸べられたその手に、真心という温かさがあることを
知った経験があなたにあったならば・・・、

手を差し伸べたいというその真心や、被災された方々
を踏み台にする浅ましい心が、どれ程にちっぽけな
私欲であるかを、心底恥じるだろうに。

『かけがえのないもの』を魂で感じることができるだろうに。


単数 (I) を複数 (We) にと、かつて、記したけれど、
もう一度言いたい。

【自分「さえ」、「たち」に変われば、皆ハッピー】

「春の夢川柳投稿キャンペーン」に16投稿ほどした中で、
この一句に込めた願いと想いを、今改めて、希望を込めて、
"心さもしいヒト"へ伝えたい。



2011年3月18日金曜日

"手&" < H・AND ~ ハ・ン・ド ~ >

全く・・・今回も思うのだ、
「彼は彼自身に言い聞かせている」。
政治の窮地に加えて、未曾有の三重苦
災害に直面しちゃって困窮・・・と。
確かに光が見えない事態。

しかし-問われているのは、あなた自身
の指導力と統率力なんだよ。
こんな危機にこそ「国は頼りになる」と。

"日本国民の一人として"何て言ってたけれど
そんな意識じゃなくて、
"国として"総力を挙げている具体的な状況や
今後の日にちの見通し「目標」示すことが、
避難所で心寄せ合って踏ん張る被災者(特に
取り残された病院など)にどれ程糧にかなることか。

全力でしているのは周知のこと。
その「決意」ではなくて、進捗の段階を具体的な
【標】として、明日明後日の改善へむけた三重苦の
"瓦礫"の道程を、<ただ今>も国が総力で向かっている
「事実」を、日本国首相として力強く断言して欲しかった。
(・・・コントロールできる状況になるよう・・じゃなくて。
それはつまり、今出来ていないってことじゃない。)

-被災者の困難と孤独と絶望を汲み取っていた様に
には受け止められなかった。
生死を彷徨い或いは近親者の生存が不明の心の
痛手を負っている被災者の、経験した恐怖と、
心も身体も凍てつく日々の中、刻々劣悪な環境に
耐えながら、状況の改善と見通しが全くついて居ない
環境への思いが及んでいるとは感じられなかった。

命を掛けて、時に自ら被災しながらでも毎日救助
・救援活動に携わっている多くの人達の尽力を、
心から労う気持ちを伴う言葉には聞こえなかった。

やっぱり本当に心細く虚しく、そして何より40万とも
言われる被災者が、今夜のあの会見を聞いて、
希望を持てた人が居たのだろうか?

手厳しいようだけれど、彼は、がけっぷちの「自分」
を奮い立たせる為に、マイクを前につぶやいている、
そんな風にしか聞こえなかった。

被災した人たちへの力になりたいと、多くの国民が
身の丈で出来ることをと一生懸命思っている中、
あの「演説」はあまりに虚しすぎた。
少なくとも私には。

史上最悪の地震・津波・原発事故と三重苦に、
途方に暮れている地域の、場所によっては自治体
・役場自体が壊滅的な被害を被ったところへ、
国会議員は臨時にでもなんでも、現場の取りまとめ
や救助救援の活動とのコントローラの役割を暫くの
間でも、買って出てくれる人は居ないのかなぁ?
現地には車や電車で現地を足で歩いて、避難所に
寝泊りするなど、被災者の環境を体感するとか。
数時間の「訪問」ではなくて。
そういう柔軟で本気を出して地元のために、という
人たちの活動、あるなら知りたい。

空から視察しちゃうと、ほら「演説」になりかねないから。
あのとき「しっかり現場を見てきました」なんてつい言っ
ちゃって、それは軽はずみなんじゃない?と直ちに
感じてはいたけれど。

選挙の時には「お願いします」と頭をやたらに下げる
議員さん、こういうときには選挙民が助けてくれって
「お願い」している、心の底から。

      ・    ・    ・

被災者の人たちへの助けたい、何とかしたい、と心を
寄せる。手を伸ばす。

今回のことで、自分なりに色々考えてみた。

被災者に何がどのような順番で大事なのか-。

いつも被災した人たちは、「情報難民にもなる」と。

① 情報収集 - 現状把握・見通し
 自分の置かれた状況と回りの被害状況、
 そして救援活動の進捗がわかれば、精神的な不安
 がどれほど取り除かれるか、そして希望への胆力が
 生まれるか。
 そして、掌握する側(大抵は自治体)の結集力と救援
 活動側とのコミュニケーション力。
 陣頭指揮する側が、現場の環境(被災者構成と調達
 物のリクエスト)の伝達訴求力。
 助けたいという私達の思いが返って現地の混乱を招く
 ような空回りにならない為にも。

 ネットやツイッターの様な自発的情報ツールを活用する
 人は、有益性を実感したことだろう。
 でも、テレビラジオの受動的ツールの類似した情報の
 発信がもっとスマートならと、このツールの活用と可能性
 を感じた。つまり、
 情報素材や分野ごとに整理されたの発信こそが、
 混乱した状態回避に繋がるのでは?と。

② 水と暖、そして排泄
 食料や水、毛布は、救援物資の三種の神器で、
 準備も調達も早いだろう。
 排泄(トイレ)は、集団生活、衛生的な側面からも、
 同じ位の早い段階での手配と設置がとても大切。
 
③ 現場へのルート確保
 被災ののち行動するための根幹を担っている。
 今回これが救済が遅れてしまった大きな要因と
 報道されている。
  
段階を追う救援活動が、結果的には、現地での混乱
を軽減しスムーズで無駄の無い効率的な救済へと
繋がるのでは?と思う。

被災者救援=義援金の図式は、私達の気持ちの
顕著な行動。
これは、「ある程度生活の目処が立てられてから」
の段階で最も必要になって来るだろう。

被災直後は、
まず、情報の交通整理とそれに即した「今必要な
もの」の調達をいかに迅速に一人一人に行き渡ら
せるか。

そして、
被災者受け入れ準備も同時に行いつつ・・。
-首都圏自治体が被災者受け入れを実施している
ことも心強い情報。

それにしても・・・

悲惨な事態は、繰り返す。
しかし、繰り返す繋がりはあるけれど、
それに立ち向かい乗り越えられる【絆】、
それ以上に強い【絆】で、人は繋がっている。

過去被災者が今回の被災者へ手を差し伸べ、
<ありがたい>が繋がっていく。

被災したお母さんが体力弱い赤ちゃんに、
何とか母乳を与え、赤ちゃんが笑顔になって、
お母さんは安心してまた母乳が与えられる、
<元気>が繋がっていく。

津波に遭う前は赤の他人同士が、同じ恐怖を
共有し私とあなたの関係になり、
<支え、補う>思いで繋がっていく。

被災地域へ心を痛める私達は、被災者と日々
救助活動する人たちへ、「どうか耐え抜いて
生き抜いて」と思いを寄せる、
そんな応援が被災者の方々に届いて、
<踏ん張り>の気力で繋がっていく。

支えあっている、手を差し伸べあっている、
- 繋がっている。

それは、全く宇宙の摂理そのもの。

2011年3月15日火曜日

『9.0』に立ち向かおう。心合わせて。

誰だって列島のこの甚大な大惨事を力をあわせて
協力して凌いでいこうと思っている。
だから、
東京電力の初めての措置の実施に不平不満を
言う人は、きっと居ないだろう。
けれど、
受け入れる側にはそのための心構えや準備が要る。
その心構えや準備をするには、見通しが立つこと、
予測が立つことがとても重要。
地震などの自然を相手にしているわけではなく人為
なことなので、その名のとおり「計画」出来ることである。

出来うる限り電力を供給し続けたいという使命感は
理解するけれど、それが返って電気が必須な公共や
病院に、大混乱を来たすことは容易に想像できること。

挙句、機能の大混乱と前言を翻したりジリジリと発表を
遅らせたり。。。
停電に伴い各家庭で気をつけなくてはならないことの
周知徹底も行き渡っていない。

計画停電を受ける電力の利用者には、電力供給が
たとえ予測を下回ったにせよ、一旦予定された停電を
行い、解除が早まるなど、規則性が見える方がどれほど
行動しやすいだろうか?

そして、公共の交通機関などの電力を確保する方を、
優先すべし、と思うのは少数意見なのかなぁ?

この大惨事に生じた東京電力の一連の対応は、
計画停電が無計画にしか受け止められないし、
今回の五月雨式の原発関連の懸念事象と合わせて、
後手後手に回っているといわざるを得ない。

電力の恩恵を酸素のように生活していた私達は、
これを契機に、過度で余りある電力の浪費を見直す
暮らしを考えたい。
無くても十分に生活ができること、適度な環境の
有り難さを大事にしていこう。

原発の状況になんとも不安を拭えないけれど、
その原発故にこれまで私達は過剰と言えるかも知れ
ない電力の無駄遣いを(エコエコと意識はしていたと
しても尚)していたという現実に直面したのだ。

ある意味私達は、それが当たり前と安穏と過ごして
きた毎日が、いかに恵まれた日常であったのかと
いうことを、この哀しい大参事を経験して、改めて
目が覚めたともいえる。

「神様は乗り越えられる試練しか与えない」

- その言葉、今胸に刻んでみんなで心を合わせて
補い合い支えあって、前に進んで行かなくては。

生きている限り、必ず乗り越えられるのだ、と信じ-。

   ・  ~  ・  ~  ・  ~  ・

救援活動をしりたい。

私達が今できる支援は何だろう。

場合によっては、先回りして受け入れ準備をしている
施設や団体に、できるだけ速やかに通常の生活に
戻れるように、被災者向けの物資を送るなんてこと
できないのかなぁ?

民間の放送局も、徐々に災害状況を遡って繰り返し
放映している現状、彼らの姿勢に苛立ちを感じる。

受け入れが整い始めた自治体への避難者の搬送
準備の進捗や、海外から支援してくれている救助隊員
の活動などをもっと知りたい。

でも本当は、視聴者ではなくて・・・;

現地被災者の皆さんへ取材した現状を避難所に
定期的に伝えていくとか、避難所の状況を受け入れ
予定先に情報をまとめて、受け入れ態勢に助勢するとか
・・・そんな形でジャーナリスト魂を発揮すること、期待
したいのだけれど。

例えば、局毎に取材内容を絞った情報を流す-つまり、
・安否情報のチャンネル、
・原発情報のチャンネル、
・ボランティアや支援したい人たちに対する情報(今の段階
では、そして原発の事故もあるから余計に、一般の人たち
が被災地に入ることの弊害が返って救助活動に支障を
来たす場合だってある)チャンネル
・在日外国人向けのチャンネル
・時間帯を区切って集中して避難所毎に被災者のメッセージ
を発信する機会を作るチャンネル
・計画停電専門チャンネル
・・・或いは表舞台ではないけれど、避難所の状況を政府や
自治体に取材してきた状況を逐次伝える役割を果たす・・・
とか、素人目線の発想はいくつも浮かぶ。

今までのマスコミの有り方や役割を超えて、局を超えて、
結集して1つの「情報局」を構成する-リアルタイムに取材
している生きた有意義な情報を、有効に真に生かす-
そのような工夫を期待したい。

前例に無くたっていいじゃない。どうしたら、この状況が
少しでも改善できるのかと考えたら、"取材する側だから"
とかそんな鈍い線引は愚かしいと感じるだろう。

取材ばかりが使命感では無い筈だ。
その前に、同じ人間であり日本人である。

もう1つ、どうしても知りたいこと。

情報が偏っているので、よく分からないけれど、政府の
被災者救済の対応が、どうしても遅いように感じてならない。
前代未聞の原発の状況への対応に四苦八苦なのかも
知れないが、どうしても初動が遅いように感じてならない。
周辺自治体が受け入れ態勢が出来始めた中、被災して
5日たっても未だ水すら手元に届かないというニュースなど
を見ると、既にキャパオーバーなのだろうか?
未だ現状を把握もままならずの様子だし、動けるところから
段階的に環境の整ったところへ移動できるような道筋や
見通しなど暫時の手立てなどは全く手付かずに違いない。

行き届かない指揮系統があるならば、それらに救援の
人たちを振り分けて・・・と、つい現場の傍で懸念ばかりが
気負ってしまう。

でも、政府や国ばかりではなく「初めての経験」は被災者
ひとりひとり、皆同じ。
被災者にとっては、自分の状況が客観的に判らない。
見通しがつかないなど、不安と恐怖の度合いは想像を絶する。

国や自治体が、どうしてもここで、瓦礫の如き難題を次々に
判断して「捌く」ような迅速な対応をして行かないと、
刻々被災者は弱っていく。心も身体も困憊だ。

かつて、どこぞの当時の官房長官が「ボウリョクソウチデアル
ジエイタイ・・・」と発言していたけれど、そのジエイタイの隊員
が、史上最悪の大地震と大津波に襲われた当日から、
命がけで救済活動してくれている「今」があること、私達は
あり難いと感じている。

- みんなで力をあわせて、心を合わせて。

2011年3月12日土曜日

『M8.8』 - 2

未曾有の大惨事から1日半経って、
漸く行われた日本の首相による会見。

しかし、いや、やっぱり?
実に心許無いコメントでしかなかった。
あたかも子どもが母親に「ぼくね、これだけやった
んだよ」-朝6時から現地に行った・・と報告的なもの
に始まり「・・・皆様にお願いいたしまして・・・」と会見を
結んでいた。

大体、日本の首相よりも先にアメリカの大統領の日本
への声明と会見の模様がニュースで流されていたし。

どのテレビでも、終日大地震の増え続ける爪あとの
現実を刻々知らせている中、枝野官房長官の会見
はあったにせよ、指揮官である国の姿勢や、せめて
不安とダメージが広がる被災した人々を思い及ぶ
言葉が、発生した日に、十分にあって欲しかった。

原発事象の直前に会見がある予定だったとしても、
アクションは遅いと感じたし、今夕開かれた会見、
国民の生命を第一に全力を尽くすのは当たり前。

未だ余震とするには大きすぎる余震や津波の脅威の中
それこそ命がけで救助活動をしている緊急援助隊や
自衛隊、地元の人たちが昼夜問わず既に救助に尽力
されているではないか。

なんで「与党野党」とか「国民の皆様に支えられて政府
が・・・」とか、挙句「あの時の大地震を乗り越えて復興
したと言えるように」と何故今このタイミングで?と、
思わず耳を疑った。

町が壊滅したと報道される地域が多いその中で、一体
だれが「復興したとき」が頭にあるのだろうか?
「只今」の状況すら飲み込めない命からがら多数の方々
が居るその現実の中で・・・・。

国難に値する災害に際して、頓珍漢すぎる"首相の決意"
の言葉の数々に情けなくなった。全くの「鈍菅」。

まるで選挙演説用の原稿を応用したような、緊急災害
に対する責任感や指導力を心の底から感じているとは
思えぬ会見と、個人的には見えてしまった。

原子力発電所に関わる状況にしても、
政府・保安院、東京電力、自治体(福島県)と、
それぞれが会見やコメントを出しているが、
それも紛らわしく、しかも内容が各々異なり、
事態の本質がどこにあるのか受ける側や現に
避難されている方々の不安を煽るだけに
なりかねない。
その意味でも、政府は十分なリーダーシップ
と掌握力があるのかと甚だ心許無い。

この事態、枝野官房長官だけでなく、首相本人
による会見頻度がもっとあってもいいのではないか?

今こそ国民に真なる「説明責任」を果たして欲しい。

   ・  ~  ・  ~  ・  ~  ・

それにしても、この地震以外でも長野を震源とする
大きな地震がおきており、そちらの被害は懸念に
及ばないのか?

また、どのテレビ局も報道番組を組んでいるけれど、
こうした情報、被災者地域の人たちは、どれだけ
知り、把握できているのだろうか?
本当に知りたい人たちは被災者の方々だろう。

それに、
被災者へ食料や水などが数合わせではなくて、
本当に手元に届いているのかどうか?

或いは、被災者が着の身着のままで避難されてきた
場合足りない下着類・カイロなど、余儀なくされている
避難生活に、これ以上心弱くならない様な被災者の
ニーズとそれを届ける手立てなどの情報も、できる限り
取り入れてもらえたらなぁと、繰り返し「流される」現地
の情報の一方通行に、工夫があればと思ってしまう。

例えば被災者に「今必要なもの」を取材し纏めたものを
視聴者側へ伝える役割を担うとか、報道している局の
番組を被災者現場がモニターする等何らかの方法で
被災者が「今」の状況を把握する機会を共有できる
ような手立てをとるなど、折角の"現地"取材を有効活用
して貰いたい。

私達視聴できる環境向けではなく、被災地、避難所の
方々に対して一連の状況を伝える「発信」も、とても必要。

情報の送信を真に受信すべき側に供給することも、
マスメディアの役割だと、こんな時期だからこそ、
思わざるを得ない。

今のところ被災現場をテレビやラジオで見られる地域に
居る側が、生活に即したことで言えば、エレベーター停止
の状態やガスが自動停止して以降そのままと思われるが、
各家で復旧する方法をインフォメーションすることだって
些細だけれど、多くの人が知りたいことの1つではない
だろうか?

世界からの支援は心強いし、地震発生から間もなくの危険
な環境下で救助活動に励んでくれている自衛隊や消防や
様々な組織の尽力は、頭が下がる。

列島に暮らす一人一人、身の丈で補い合って支え合える
アクションをおこしたい。

列島がまさに「揺れて」いる。
まだまだ大きな地震の可能性もあるという。
どこに起こるとも知れぬ。

列島に暮らす一人一人、次に起こりうる大きな地震への
自力での心構えと対策も、怠らないようにしなくては。

2011年3月11日金曜日

2011.3.11 の 『M8.8』

国内観測史上最大M8.8の大惨事。

地球のあちこちで内なる怒りを爆発させているのが、
日本列島にも・・・。

今も、しばしば海上に居るが如くの揺れを体感
している東京。
余震や津波は断続的に列島で発生しているので、
影響の大きさと被害の全容は、時を経て更に知る
ことになるだろう。

帰宅する道すがら、
電車が不通となり、道路はずうっと渋滞。
路上は止む無く歩く人たちの波が膨らみ続け果て
なく続く。
不謹慎だけれど、まるで映画の一シーンのようだ。

そして、
この国内史上最大を記録した地震は、日本列島の
広くに亘り、帰宅困難者が発生している。

こと「首都東京」に絞って言えば、震度5強。
不幸中の幸いなことに、首都圏の情報機能が完全に
麻痺したわけではない。
地下鉄が復旧しだしたりテレビやラジオでの情報は、
スイッチをオンにすれば、滞りなく得ることができる等、
回復力を持ち、また壊滅的な被害ではなかった。

(とは言え、途中デパートや多慶屋は閉店を余儀なく
されていて、店内の被害が想像できたし、ご近所の
老朽化した建物は一部タイル部分が落下し崩れ、
帰宅した家では、倒れたものはなかったが、予想外
だったがレンジを載せた小型冷蔵庫が50cmほど
動いていた。)

色々な側面で緊張感が鈍っている昨今にあって、
危機管理の対応力を鍛えることや、こうした事態に
置かれたときの「考えるべきこと」「やるべきこと」
「必要なもの」を自分自身によく質す機会となった。

政府や東京都の災害時の危機管理や即時対応の
マニュアル、そして何より迅速な把握力と判断力など
を真摯に見つめ直すべき「時機」として、訓練ではない
本物の災害を齎されたのだ、と受け止めたい。

生きること、暮らすことに、何が「必要十分なもの」
なのかを見極め、経済的にも物質的にも、
"それ"で足りるではないかと、
シンプルに暮らすこと=暮らしの本質に-即した
生活の大切さを心にもう一度刻むきっかけの「今日」
となった。

刻々、津波や火災・原発の恐れなど状況は、予断を
許さないけれど、人々はただ受けとめるしかできない。

人間は、地球に、生かされているのである。




2011年3月6日日曜日

お一人様、つぶやく ~ 気に入りカフェの- ~

大好きだった赤羽橋の - 【Macchinesti】

麻布十番、六本木、広尾、そして渋谷もだっけなぁ?
へと店舗展開し始めて、案の定その質とオリジナリティ
を落としていったのを本当に切なく思っていた。

間もなく全ての店を畳んでしまったのは3年ほど前だった
だろうか?

Macchinesti の会社(コーヒーの焙煎場所)がある両国駅
付近の京葉道路沿いを探索。小さな間口に「カフェラテ
あります」と控えめにアピールする看板をみたのは確か
2年前の夏ごろとうろ覚え。

ところが、つい先日プールへ行く道すがら通ると、カフェ
メニューが写真付でかなり主張した看板にランクアップ。
よもや?
赤羽橋店オープン当時の初心に立ち返るリスタートを
着々と進めているのかぁ??

そういえば倍先場所を併設している会社を覗いたとき、
たまたま居た辻さん(先方は一客としてしか捉えていない
だろうけれど赤羽橋の店でも当初いきさつや思いを伺った
ことが有った)に「マキネスティ、ここで開店するんですか?」
と聞いたとき「いやぁ、やりたいんですけど、探しています」
-そう話してくれたっけ。

HPを見るとコーヒー豆類の販売に未だ留まっている様子。

でもきっと、"歩いていける距離"に、マキネスティのラテが
飲めるカフェが誕生する日も遠くないかも・・・。
希望を込めて、「待っています」。


【Le Pain Quotidien】 - 芝に現れり。

今は昔 - とは大袈裟だけれど-、待っていた筈の
Le Pain Quotidien は既に年末頃オープン。
そして、桃の節句も過ぎている。その間何度も実は店に
行っている。でもパンのテイクアウトすらスルーしていた。
売り場に並ぶパンを見ても、どうしても食指が動かない。
食べた人の感想が「美味しかった」と聞いても。

NYで当時経験したインパクトに比べると、昨秋に訪れた
ミュンヘンの Le Pain Quotidien や、ここ芝の店でも
雰囲気がしっくりこないものがあったから。

説明のつかないその感覚は、何度店に入ってみても、
残念ながら変わらず、気づくとスルーして出てきている。

とは言え、行く度に、店は賑わっては、いる。


- 時の経過と共に抱くカフェの理想イメージが
   変化してきているのかも知れない。


蛇足:
tabelog への口コミ(スーラジなど)もちょっと追加。

お一人様の、思うこと ~ おとなが育てるこども ~

誰しも抱くだろう;
「そんな発想とエネルギーと集中力と費やす時間があるのなら」
と。
用意周到に予備校に通っていた頃から、ズルの方法と、
"緻密な技術"を身に付けることに切磋琢磨していたなんて。

やましいと感じる気持ちよりも、中身がどうかという本質よりも、
体裁や上辺が人間の評価を決めるという感覚を身に付けた
成れの果て。

しかし、
このデキゴトは「間違った思考回路の一受験生」で括られる
ものでもないだろう。

どんな手立てを使ってでもという<個人の性格>による
メンタルな側面や、携帯電話や巧妙な携帯カメラの商品
がいっぱいあるとか、他国でも問題になっているのに、
日本の大学の対応が時代に追いついていないとか、
一般的な軸での課題は脇に置きたい。

思うに、
要は、おとなが子どもを育てているというシンプルな現実
に起因するはずだ、と。

-例えば、
ビジネスになる=需要があるからと、小学生の夏休みの
自由研究や読書感想文を代行する「しごと」がある現実。
大人事情、それは供給側とそれを求める親の需要側の
「利害の一致」による。

-例えば、
モンスターペアレントの言葉が生まれて久しいが、
運動会や勉強でも、競争させること、順位をつけることに
抵抗を示す親、そして「競技」「数字評価」を見合す学校。

共通するのは【我が子を<思う>親】の存在。

子どもへのありふれた"愛情"。

・・・いや、本当にそうなの?

"愛情"の奥底には、親のエゴがあるのでは?

それは、ひょっとして自慢の子どもを持つ親心?
それは、ひょっとして、我が子が、悲しんだり凹んだり、
傷ついたりするのを回避させたい親心?

けれど、
世の中って、社会に出れば皆分別を弁えた平等で良心
の満ちた<道義と理性の社会>っていう訳じゃない。

政治の世界でも、
霞ヶ関と永田町の既得権益の固持、駆け引き。
与野党の足の引っ張り合い、同じ党内ですら仲間外し
が盛ん。
国会となれば稚拙な野次の応酬・・・挙げればキリがない。

時として
会社でもセクハラ・パワハラ、いじめや嫌がらせはある。
実力社会でもない。
所謂"仕事がデキル"人より"デキナイ"人の方が昇進
したり、上司都合でデキル・デキナイと判断されたり。

そもそも世の中は、理不尽で不平等なのだ。

おとなたちは、そんな世の中を構成し生きている。

しかし「人の本質」は、
理不尽で不平等な環境であっても、それに迎合して
自身の清清しさのベクトルや魂の磨きを疎かにはせず、
心と記憶に悔いを残さず、道筋に誇りをもっていると、
信じたい。

ただ悲しいけれど、たとえその数が多くなかったとしても、
【自分の利益になるのなら、子どもの本来持っている
考える力や可能性を磨き、胆力を鍛えることで、
「自分自身で乗り越え、護る術を身に付ける」教育を
放棄し、儲かる方を選ぶ。目先楽な方を選ぶ】という
"システム"が『おとなの世の中』に成立し機能もしている。

結果、代行サービスが密かに流行り、盗撮やカンニング
に<最適な>商品が売れる仕組みができるのだ。

神様は乗り越えられる障害しか与えないものだけれど、
立ち向かう障害をおとなが低くしてしまっているような。

子どもの為と言いながら、実は自身が子どもの超えて行く
過程の直視を避け、その場を凌いでいるだけではない
だろうか?

子どもたちは、本来備えるべき理不尽さや不平等さへ
の対処法を身に付ける機会なく「おとな」になっていく。


冒頭の、
実は、予備校で受験勉強以上に?テクニックを磨いていた
受験生は、そんな「思惑渦巻くおとな社会の歪に嵌った
子どもの一人」なのかも知れない。