2010年8月25日水曜日

お一人様の、"My Season"


少し前の一時期、どうしたんんだ?という位-そう10ヶ月くらい間に、
所謂「金めのモノ」がしばしば目の前に落ちていた「見つけてくれ!」
「拾ってくれ」といわんばかりに・・・。

そして拾っては警察に届けていた。

ある警察署管轄内では3ヶ月くらいの間に2度も拾得物の手続きをし、
拾った側なのに何だかばつの悪い感覚に囚われたものだ。

今は-、あの頃は?と思うほど「日常」に戻った。
「貨幣」「拾う」の時期だったのかなぁ。

「バイオリズム」「時機」「時期」「流れ」は、たしかにあるものなのだろう;

そして、
このところは<偶然の受身>ではなく、意思を持った<能動的行動>
が結果となって返ってきていることが、何とも面白い。

ラジオに投稿は予ねてしてきたけれど、この春から夏は、その手応えが
いっぱい感じらていて・・・。

特にJ-WAVE。

意外と高い確率でコメントが読まれたりリクエストした曲が聴けるのが
嬉しくて、さくさくメールしてきた。

その中でも『BOOM TOWN』 では、以前もランチ情報やミラクル洗顔
(と思っている)「君がため」の情報を投稿たものがHPに掲載され、
またフォトギャラリーにも投稿した写真数枚が、他のリスナーの素晴らしい
写真に混じって「ギャラリー」を飾っている《能動的行動「感性」の分身》
[足跡]を確認するにつけ、どんどん客観的な楽しみを覚えるようになって
いた。

そして
つい先日は、今でもとてもとても大事にしている四葉のクローバーの
エピソードが、イギリスの旅もイメージトリップに。

待望のカフェオレボールが今日手元に届いて、思わずニッコリ。
イギリス一人旅の当時の思い出が鮮明に蘇る。


素敵なカフェボールと@ランチで貰ったプレート

初夏の頃はラジドが旬。
子供の頃の夏の風景が取り上げられたのだ、と知ったのは、その月の
プレゼント賞品が欲しいと思って投稿してまもなく、賞品のミルクパンが
手元に届いてから。「あれ?読まれていたっけ?」。

         ~ ★ ~ ★ ~ ★ ~ 

投稿するという作業、想像力と記憶力と思考力が鍛えられる。
考えを纏める良いトレーニングにもなっている。

このトレーニング結果を、未だハードルが高い、さんま御殿とペケポン
への挑戦で「レベル進度」を試してみたい。

感性の、能動的行動 - ["my season" なう]

2010年8月18日水曜日

お一人様の独り言 ~ 秋の気配、しずかにたしかに ~

この夏、ほぼ毎晩夜空を眺める。

一年を通してエアコンは使用していないので、
夜風は、大事な「涼」なのだ。
自然の風は受ける身体には優しくて程よい。
心も身体もクールダウン。

その上濡れた髪にうってつけの天然ドライヤー。

年々視界に新しいマンションが加速度的に増えいるものの、
それでも空を眺めるには、支障はない。

どんなに猛暑の昼間であってもその夜そよぐ風には、僅かだけれど
確かに涼を運んできてくれるし、毎朝晩欠かさない打ち水をすれば、
さらに風の体感温度は下がる。

心地よい風を感じつつ眺める夜空の雲は、昼間見仰ぐそれと何ら
変わらず、果てしなく広い天空の表情は、ひとときも留まらず変わり
続けていることを、確認する。

それは、冷静に考えれば至極当たり前のこと、なのに・・・。
ただ淡々と、いつもどおりの、営み、なのに・・・。

人にとって住む場所が「夜」だと、頭上の空の上まで動→静へと
「夜シフト」になって-そんな人間の身勝手な思い込みを正される。

  晴れた夜空は、より繋がっている宇宙へと心惹かれる - 

  暫く只管に空を眺めていると、億光年の光が増してくる。

  闇夜の空に浮かぶお月様や星の光は、どうしてこんなに気持ちの
  奥深くまでその光に照らされ透かされていく感覚にまでなるのだろう?

  -そんな意識と思いを、未だ少し昼間の熱を抱いた風に吹かれながら、
   果てない空へ、馳せてしまう。

夜空の下で、夏の夜風を身体いっぱいで感じていると、カレンダーの日にち
と伴走して、四季は弛まずに進んでいる、と教えてくれる。

「時節」とはよく言ったものだ-。

常々、不思議とカレンダーの変わり目には、必ずといってよいほど次に
来る季節の「節目」を感じていたけれど、連日の酷暑の今夏も実は8月
のカレンダーになった途端に、ほんの僅か、そう"心持ち"夜風が運ぶ
「空気の質」が、夏から秋へ向かって変わり始めたと身体は感知していた。

- いつの間にか虫の音を耳にするここ数日では、髪と肌をなでそよぐ
風は、しずかに、たしかに、一層涼やかになってきた。

秋の気配をつれて。

2010年8月13日金曜日

熱さが白けたハードな抽選?

「行きたい」「当選したい」ビームを行間いっぱいに、盛りだくさんの
気持ちを込めて、丁寧にありったけの文字数で、応募理由を書いたのだから、
きっと必ず「願いと希望」は届くだろう、の意気込みで、フリーメール
アドレスのいくつかを連絡先にして、募集開始直後に満を持して応募!

NHK「ハーバード白熱教室」のマイケル・サンデル教授の来日講義-。
500名の募集に対して「定員を大きく超える4000件以上に達しました」。
殺到した数に"どうにもびっくり"的な要素が垣間見えるけれど、そんなことは、
視聴者としては自明の理。
8倍を越す中から選抜?された当選者は「8月12日迄にEメールにてご連絡を
差し上げます」とのこと。

大体番組やマイケル・サンデル教授の著書が話題になっている最中に募集の
タイミング・・・。
その上「募集期間が長い。きっと競争率は高いに違いない」-そんな容易な
予感は当然あったものの、8月12日を迎える数日前から毎日応募したメルアド
をチェックし始めた。

そして「参加が決まった方のみ」に来る通知のデッドラインの日まで「うーん、
やっぱり12日にならないと400人は大変だぁ」などと、儚い?慰みを期待に替えて
過ごしていた。

- 侮っていたことを、悔いた。

あぁもっと「募集期間の始・中・終」って三段階で、持っている全ての
フリーメールアドレスを連絡先にして応募しておくべきだった!!と。
もっととことん応募する術はあったのではないか?という"後悔"はしなかった
だろう。

- かつて、抽選で当たって行ったクリントン前大統領の来日講演で受けた
何とも言えないオーラを肌で感じ、圧倒された感動の記憶が蘇る。

生の臨場感を味わいつつサンデル教授の「正義」の講義、どうしても聴きたかった。

BSの再放送を観る術もなく、複数の図書館で予約している彼の著書
『これからの「正義」の話をしよう』は何れも未だ二桁台の待ちである。

あぁ道のりは遠かった。
大学のレベルだけじゃない、
ハーバードは確かにハードル高かった・・・。

特別講義「ハーバード白熱教室 in Japan」の番組が放映される日は、
何が何でも見逃さず見なくちゃ、見なくちゃ!

2010年8月9日月曜日

時を急ぐ時計、の怪 

「正午のNHKニュースです」と告げるアナウンサーに向かって
「うそ!!」と仰天の声を上げた。

ほんの数秒前に、もうすっかりお昼過ぎか、と壁掛け時計を
チラ見したばかりだったからだ。

改めて時計の時間を確める。

20余年の歳月を共にしてきた壁掛け時計は、間違いなく12時30分
過ぎを示していた。

こちら側の驚きを尻目に、表情一つ変えずに淡々とニュースを
伝える画面の中のアナウンサーに、理不尽な疑問をぶつけた。

有り得ないではないか!

30分も時計が時間を鯖を読むなんて・・・。

いや、その上、
昨日まで進んでいたのは、ほ・ん・の20分程度だった・・・。

?? ~ 何れの現象も時計としての【使命】を逸脱した "甲乙つけがたい
「その上」仰天事項" ではあるけれど ~ どちらにせよ凡そこの世の
出来事とは思えない(若干大袈裟)理解を超えた由々しき事態、である。

何故だか恐ろしくセッカチになってきたこの20年来の友を宥め、
時刻を電波時計に合わせてリセットしたのは、僅か1週間ほど前。

どうしてこんなに先を急ぐのだろうかと、秒針を観察する機会が
最近富に増えていた。

だかしかし、観察しているときは、一秒一秒正常な刻みをしていた。
にも拘らず、あたかも目を盗むように、要領の良いこましゃくれた
子供の様に、いつの間にか正確な時刻の「先」を長針が指していたのだ。
-そう、まるで意思を持ったかのように。

それこそ妖精とか小人とか、メルヘンな世界のメルヘンな人々?
の悪戯か、とか、未知の力がコントロールしているのでは?と
妄想は膨らみ、"目を見張る勢い" で進み続ける時計の針の"証"を
見るにつけ、益々妄想は真実味を帯びていた。

何故って、修正しても修正しても、なのだから。

- そんな2日で10分以上、1週間で30分以上時間を鯖を読む"傍若無人"
な時計の「真実の刻み」について、恐る恐る人に話してみたところ、

電池を換えてみたら?と、至極あっさり最も基本的なところを見直すこと
を勧められた。

「え?電池?電池の影響って消耗で時計が遅れることはあっても、進むこと
なんてあるのかな?」
「でも、まず電池でしょ」
「そう、だ、ね」

電池を換えて、時間も改めて電波時計に合わせて、2日目。
現在、メルヘン世界からの使者や未知のスピリチュアルなエネルギーは、
未確認。
20年来の"同居人"は、元通り規則正しく「平穏な刻み」の生活を送っている。

- あくまで「現時点」で・は・、だけれど。

2010年8月3日火曜日

お一人様の独り言 ~ 心の段差 ~

気温35℃と聞いても驚くことが少なくなったアスファルトジャングル
の東京の夏。

この暑さに茹だりながらチャリをゆっくり漕いでいた、その視界に・・・;

横断歩道を渡り終え歩道へ入る高齢の老夫婦の姿。
大柄な老夫は車椅子。小柄で背中が丸くなった老婦が車椅子を押している。

恐らくは幼稚園児ですら苦ではないだろう歩道の僅かな高低さ。
しかしその「僅かな段差」は、老婦が押す車椅子の前進の邪魔をする。

ぎらぎら照りつける太陽の下、小さな老婦の細い腕で車椅子を二度三度と
弾みをつけ、やっと大柄な老夫を乗せた車椅子が歩道へと上がる。

車椅子を押す老婦と車椅子に乗った老夫は、何事もなかったかのように
表情一つ変えずまた歩んでいった。

ちょうどチャリが二人の姿を逆方向にすれ違った後だった。
歩いていれば、すぐに手助けできたのに。

     ★     ★     ★

通りがかりの見知らぬ人が、そっと彼女から車椅子のハンドルをとり、
大人なら苦も無い「僅かな段差」をスムースに超える、そんな光景が
ありふれた風景になるような日常、を思い描いた。