エンドロールが終わりきり劇場内が明るくなっても暫し席を立つ人は
無く静まり返っていた。
-この空気感は、初めての経験だった。
様々な思いが去来する中、通り道として劇場下にあるゲームセンター
の中へ・・・。そこに興じる人々を本当に虚しい思いでやり過ごした。
気持ちがすさぶような凄まじい音響と煙りに咽る空気が、今しがた
スクリーンから感性に訴える深さとはあまりに対照的な光景--。
心待ちにしていたTHIS IS IT 。
字幕で6.25と日付をみた途端から殆ど最後まで涙が止まらず・・・。
初めて、MJの存在(肉体)を永遠に失ってしまった喪失感の深さに
底知れぬ悲しみが襲う。
MJに合わせて若いバックダンサーたちは踊りきった後に息を弾ませて
いる中、歌い踊った50歳になるMJは、彼らよりも明らかに息が切れた
様子には見えなかったことに、また驚かされた。
ゴシップや裁判などの精神的な困憊の末?長年の不眠による多量の
薬の摂取が死を早めたとされる彼の体調を推し量ると、リハーサルでの
身のこなしのキレや線の美しさは驚異的なものがある。
10歳前後から卓越したあらゆるパフォーマンスを支えていたのは、
完璧主義のMJ自身の、並々ならぬなどという凡庸な言葉では表現でき
ない精神力と耐久力だったことは想像に容易い。
そして、尚維持し続けてきたことも、唯一無二のエンターティナーである
証でもある、と。
MJの比類なきエンターティナーの姿は、MJのファンへの想いと何より
彼自身の絶対的な誇りの表れだろう。
けれど、
MJの本質は、どうしても「慈愛」に満ちた魂であると感じてならない。
思えてという主体ではなく「伝わって」くるのだ。
6.25 以降貪る様にマイケルの曲を聴いてきた。
殊更 heal the world や Man in the Mirror、HIStory ・・・と特に
MJ の想いを感じる曲には、無条件に涙が溢れてしまう。
Thriller や Bad など一般的に一件MJを象徴するような曲よりも、自然と
「情感が伝わってくる」といった方が的確かもしれない。
あの日以後、彼は肉体と引き換えに魂からの想いを伝えたのだと感じて
きたが、このフィルムを見終えた今、改めて、奏でる音質-MJならではの
滑らかなメロディや歌詞や歌声-全てが、心の奥へと染み渡ってゆく訳を
理解した。
観るものを惹き付けて放さないほどの圧倒的な存在感と超人的なパフォー
マンスの「動」のMJは、ファンへのとっておきの彼の誠意であり、彼自身が
その感性と渾身の努力でMJを演じ続けてきたのでは?と、「静」のMJの
ピュアで繊細な精神性に、より生身の彼をやっぱり感じてしまうのだ。
これまで先入観を持っていた人たちも含めて、このフィルムを通しMJの姿
と想いをいっとき受け止めみてほしい。
そして、少しでも多くの共有した者たちが「MJの想い」を引き継ぐと思いたい。
映画作品としての価値を求めていたのではなく、MJの本質と想いを
感じたいと劇場に足を運んだので、それには、敵ったフィルムだった。
(ただ最後の意図的なメッセージ表現は、敢えて必要だったのかと
ちょっと残念な部分。MJの「それ」だけで十分だったような・・・)
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大抵大切にしたい曲やアーティストは、その曲と共に過去へと感情と
思い出がタイムスリップスリップするけれど、MJの場合は「今」から
明日へと、思考や注ぐべき思いが広がっていく-そんな不思議な力
を感じる。
観終わったあと、大宇宙に漂うちっぽけな自分を感じたのは何故だろう?
「ただ今」の自らの立ち位置が塵ほどに小さい事を客観する自分を感じる
のは何故だろう?
自分の足で立っている「自分自身」が、すさみ病んでいる「地球」の確かな
一部分であり、「地球自身」であることを自覚したとき、人間は、一層慈愛
を持って他者へ地球へ優しくなることができるのだろうか?
-「誰か」ではなくて、Man In The Mirror. This IS IT。