2009年10月31日土曜日

2009.10 軽井沢、秋。

 "リストランテ モデスト"
カノビアーノで修行をされた若いシェフ夫婦のイタリアン。
素材を生かした自然な味わいを引き出すことに心を砕く料理へ
のシェフの真摯な志が熱意が一皿一皿から伝わってくる。






特に野菜がみずみずしく力強い甘味が楽しめた。
ラムは軽くスモークするひと手間をかけ、特有の臭さをマスキング。
デザートはカルバドスが程よく利いたマスカルポーネとりんごのデザート
(名前は失念)。
コーヒーは、丸山珈琲ですとlavazzaのカップに入って供された。

店の雰囲気も、ナチュラルテイスト。



Terrace Sakuma




ガレットのお店 "Cachette"
若い女性オーナーが頑張っている。
平日ランチ。ランチのセットといえども選択肢もあって、1260円は、
コストパフォーマンスがよい。
タリアセン入り口に静かに佇んでいるお店。


軽井沢高原教会



この日は「収穫祭」。教会礼拝後には、お茶菓子と紅茶を
頂いて、自由参加の稲穂を使ったリース作りに初挑戦。



ほしの屋入り口バス停


ハルニレで気に入っているSAWAMURAのパン。
プチバタールと胡桃あんぱんは、噛み締める程に増す旨みが魅力的。
パウンド型のフィナンシェは、オレンジかレモンピールなどが
入っているとアーモンドプードルをよりおいしく味わえそうな・・・。



千ヶ滝



雨上がりの青空とのコントラストは特に素晴らしい。








「紅葉を美しく撮る」モードでの風景は、
赤の鮮やかさが際立ちすぎてしまった感は否めない結果に・・・。
けれど心に刻んだ紅葉に埋もれた「軽井沢の秋」の印象を色で
表現すれば、この鮮やかさそのものだった・・・。

川原湯温泉の帰りに、あの八ツ場ダム建設現場へ。
美しい山の景色にかなり違和感ある建設中の現場。

<おまけ>  最近嵌っている「いも恋」
サツマイモと粒餡の"甘さ"を山芋ともち粉のもっちりとした生地
の"食感"が包む、味と食感はおいしさの2大要素だと納得。
・・・素朴さがなんとも言えない。三芳PAにわざわざ寄ってしまう。
まさに、芋に恋してる?

2009年10月20日火曜日

お一人様の独り言 ~ ぶれない軸-『覚悟!』 ~

ヘッドが微動だにしない。
スロー再生された彼のスイングをみて驚いた。
本当に軸がぶれていないのだ。
タイガー・ウッズですら若干の上下が見られたのに。
尤もそれは、たまたまだったかも知れないが、頭は少しも上下に動かず
固定されたスイングに、彼の貫徹のプロ意識と積み重ねてきた練習量
の凝縮を見た思いだ。

今やすっかり世界に引けをとらない一流プレーヤーとなった弱冠18歳
の石川遼。

彼の確固たる「世界一」を目指す志の頑なさが、全ての言動の軸であり、
"おとな"顔負けの技術と精神と青天井の可能性を、彼自身に与えている
に違いない。志に一点の曇りも無く「一意専心」「全身全霊」「一心不乱」
「思う一念岩をも通す」等々のありったけを並べても、それら全てを飲み込
んでしまう鋼の様な信念の真っ直ぐさが、受け答えや発言に如実に表れる。

そしてそんな飽くなき向上心は、スランプでもツアー中の窮地でもどんな
時も「軸」にある。
決して目先、足元に囚われず、マイナス要素、保身の選択肢は眼中に無い。

「意志あるところに道は通ず」のことわざは、そんな直向な志に伴う
自身の行動の積み重ねによってのみなのだ、と今更ながらに思い知る。


  話は外れるが;
  そんな「有言実行」の頼もしい若者に、今の世の中誰もが人として
  の在り方に感心・好感を抱いていて、何だか"おとな"の方が悠長
  だったりモラルもなかったり。個々我が身を省みることはせず、
  ただ驚嘆し彼を賞賛する。・・・客観。

  石川遼のプレーでは度々ギャラリーの行動が大切な一打の直前に
  集中を欠く様な影響を与えてきた。
  しかし彼曰く「他にマナーを守っている人たちに対して失礼だ」と。
  確かに-18歳の彼の"真意"には、唸ってしまう「深さ」もある。
  
  (更に日本郵政の社長退任劇の会見でもカメラを止めての要請に
   応えず、マスコミだからという驕りからか、いつまでも誰かしら
   シャッターを切っていた。マナーや相手に配慮ない"おとな"達)
   

"おとな"が感心する18歳といえば、進路先が注目される菊池雄星選手。
実力と可能性はお墨付きだけれど、進路の選択基準も、彼の芯=自分
の将来像はとても明確で、ぶれはない。志の直向さは共通だ。

高校生活中黙々と休まず校舎のトイレ掃除を日課としてきたのは、
「人の嫌がることを率先してやらなければエースになれない」との
心構え故だとか。即ち「エースになる」志のために「人の嫌がること
を率先する」のが必要だという論法。
豪腕と野球への闘志とは裏腹な心優しき人柄と素直さが滲み出た
顔つきは、そんな地味な取り組みが育んだメンタリティーの表れかも
しれない。

「オリンピックに出る様な一流の選手は大抵人格も一流だよ」
そんな知人の言葉を思い出す。(そう言う本人も目指していた)

            ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

顧みると、今心が流浪しているのは、(志ではなく)「想い」を抱き
つつも「もしダメだったら」なんて人生の安全ネットを張ったり、
選択肢を残しておこうと下心を抱いているからに他ならない。

"石川プロ"に倣えば、ただ只管に「志に行き着くためにはどうすべきか」
の"ヘッド"の軸を固定すれば、自ずとゴールへの道筋を探すことだけに
注力し、それ以外一切の思いは心に浮かばない筈である。
あくまでも行き着くための思考回路なので「失敗したら」「しくじったら」
は端から頭には無い-安全ネットという邪な下心が生まれる隙も無い-
筈である。

と理解し納得したならば、「想い」から更に一歩『志』へと軸を定めよう!
その『覚悟』が必要だ。

"今から"の人生に覚悟するぅと。いや疑問符の付く様な余白を作らずに
ビックリマークを付けるくらいの強い志があって初めて<軸>が固定する。

そう「言い切り」が大事。
同時に「言い切り」という有言実行で追い込まなくては。自身を。
-それが『覚悟!』

             ●   ●   ●   ●   ●

ところで・・・;

昨夜は夜中12時過ぎオリオン座流星群がピークで、流れ星が見られる
絶好のチャンスと、暫く東京の夜空を目を凝らして眺めた。

ほんの瞬く間、一際輝いた光が線を描いた途端に消えた。ドキッとする。
あぁ今のが流れ星っ!

-願いなんてかけられなかったなぁと思いが過ぎる。

あれっ??!! 
・・・やれやれ。

『覚悟!』した筈じゃぁ・・・???

2009年10月4日日曜日

お一人様の独り言  ~ 鈍感力-"自然体"のなせる技?! ~

鏡を覗き込み、瞬き1回分逡巡・・・紅を引こうか、と。
-しかし、このまま帰るだけという「ものぐさ」が勝った。

"わだ家" の帰りに立寄ったグランドハイアット。
ロビー全体が薄暗がりなのは格式の演出のひとつだろうけれど、
「化粧室まであんなに暗いとできる化粧もできないよ」-ものぐさ
都合の言い訳を正当化。

こんな逡巡があるときは、大抵あとで「あの時していれば・・・」
というのが常である--。

「"わだ家"の食事は中々だった」と食べ過ぎたことをきつくなったウエスト
周りに改めて感じながら、欅坂を麻布十番へと向かって歩き出したのは、
10月初めの夜10時頃だった。
 (わだ家の感想は「食べログ」に記載 → http://r.tabelog.com/tokyo/A1307/A130701/13040282/dtlrvwlst/1219290/

--欅坂の歩道に沿ってバンが数台並んでいた。
「へぇ、女性誌の撮影でもしているのかなぁ」。漠然と思ったものの、
すぐに帰路を案じ大江戸線の時刻表が頭を過ぎり頭の中で"ルート検索"。

・・・気づくと外人を含めた5~6人の男性達に前を塞がれた。いや、正確に
言うと心ここにあらずで歩いていたので、どうやらいつの間にかその"集団"
に行き着いてしまったのだ。そして、その中に明らかに朝TVで見ていた顔。

「・・??? もしかして?」
そう感じたらその"顔"に尋ねていた。
「・・・ですか?」
"Yes" とニッコリ笑顔。
本人と隣に居た大柄な日本人の関係者が同時に肯定。

いきなり直面したこの状況にうろたえつつ、千載一遇とはこのこと ?! 
いつもは決断力がないけれど、この時ばかりは「サインしてもらって
いいですか?あ、あと写真を一緒に撮って貰ってもいいですか」と、
思わぬ幸運に、"サイン""写真"と常套句を口にしていた。

"Yes. OK" と快く笑って応えてくれたスムーズさに返って動揺。
会話を交わしながら握手をして貰う。
隣の日本人の関係者にも念を押したところ、
「本人がOKといっているから いいですよ。早めに。」
慌ててメモ帳より先にデジカメを取り出す。
その関係者がシャッターを押してくれた。
本人は急かす様でもなく、友人とでも撮るが如くの距離感でデジカメ
に向かって納まり、一緒に撮れたての写真を確認してくれた。
"Thank you so much!" と懐深い対応に気持ちを込めて繰り返し
礼を言った。
彼は他のメンバー達と共に暫く「本番」待ち状態のまま。

メモ帳が見つかり、大胆にも改めてサインを貰いに行くも、再び
気さくに朗らかに対応してくれたのだった。

大江戸線の時刻表が気になりつつも、その集団に気づいた
通りがかりの人とともに、「今そこに居る」現実を共有。
漸くカメラセットが整い、本番へ移動した彼らのパフォーマンス
を遠巻きに見守りながら、一連の出来事を反芻していた。

「あぁやっぱりあの時紅を引き直していれば !!」。
"あの時"の判断を省みる。
千載一遇のワンショットにほぼ素顔に近い状態で撮ったのだ。

いやしかし、"気づいたらその人達の只中にいた" という余りに
鈍い自然体が齎したひとときこそが、明らかに稀有な出来事であり、
ラッキーなことなのだ。
<この時サインや写真を一緒に撮る様子は他に無く、居合わせた
女性にも、とても馴染んでいましたよぉと羨ましがられた。>

彼の、等身大の親近感を感じたワンショットとサインは、 紛れもなく
(たとえ素顔であろうとも)「とびきり」だ。

 

持つべきものは、「デジカメ、メモ帳、サインペン」、そして「鈍感力」 ?