2009年7月7日火曜日

溢れる追悼の想い ~ Michael Jackson ~

TOEIC のヒアリングテストよりも集中し、時に外出時には無精ひげの
勝ち馬予想のおじさんよろしく携帯ラジオにイヤホンをして、近づく追悼式
を前にAFNラジオからの Michael の続報を漁り続けている。

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Michael Jackson を人類史上最も成功したと評していながら一方で、
それをしのぐ執拗なまでのバッシングやゴシップの流れを諌める風潮が
もっとあってもよかった。真偽を超えたゴシップに興じすぎず、その卓越した
才能やパフォーマンスに対して率直に称えればよかったのだ・・・。

日を追うにつれ、作品を聴けば聴くほど、存在とその功績の大きさが完全に
<過去>になってしまったことへの虚無感が増してくる。
- 正直こんな状態に陥ることは予想外だった。
Michael の作品とMichael Jackson 自身に心奪われている。

先のオバマ大統領のコメントは、同じアメリカで同世代、しかもバックグラウンド
を考えれば、立場上感情を押し殺し冷静で抑制を持ったコメントしかできない
やるせなさは、(一人称をやたら多用する表現力と真心が伝わらないどこかの
首相と違って)感性溢れる大統領だけに暫くの時間を要したのだろう、と
心中察するに余りある。

前回、Michael Jackson のパフォーマンスをreal time に目撃し聴けたことを
幸せだと載せたけれど、Michael Jackson が居て当たり前の"現在"が、いき
なり予告なく、復活の期待の中<過去>になった分岐を体験してしまった衝撃
と悲しみの今では、重苦しすぎる虚しさを知らないこれからの人々の方が、
余程幸せかもしれないとすら考えるようになった。
彼らは純粋にMichael の遺した作品に出会い、心揺さぶられ魅せられることが
できるのだから。

それはきっと例えば、ジャンルは全く違うけれど、現代の人々が世界中で時代
を超え無条件に魅了されているモーツァルトと共通するところがある
ような・・・。

Michael の、とくに平和や幸せを希求したバラードを歌う滑らかさは、すーっと
心に染み入ってくるものがある。
メロディを生み言葉をつむぎ、幅広い曲を魂ののった澄んだ声質で歌いメッセ
ージを発信しつづけてきたMichael。
そのしなやかな体の動きを「ダンス」と表現するには、余りにも陳腐で言い尽
くせない身のこなし。そして常に時代の先駆的な演出・・・あらゆるパフォーマ
ンスにその才能が光った。

Michael Jackson の存在自体が、確かに「人類史上最も成功した」と評された
ことを誰も否めない。
現に Michael が<過去>になってしまった<現実>の動揺と喪失感の大きさは、

追悼無料参加へのアクセス数がアメリカ国内で僅か「1時間余りで5億アクセス」
が物語る。
Michael Jackson が類稀なるエンターティナーである証に他ならない。

本業のパフォーマンスでエンターティナーとしての役割を十二分に果たしていた
のだから、たとえゴシップの要素があったとしても・・、と悲劇的な結果を受け止
めた今、一体何億の人が悔いているのだろう。ネット社会の21世紀になって
間もないが、既に今世紀失った最も偉大なアーティストだったと後世語られる
に違いない。

危険すぎる薬依存を20余年続けてきたことが死因と目されてされているが、
依存する彼を取り巻く環境と心理状態に至らしめたのは?
彼のパフォーマンスを賞賛しつつ、一方でゴシップ要素にも世間が興味を
掻き立てられてきたのも確かにあった。

テレビを通し映る人々(ファンや関係者)に殆ど白人がいない点からも、
彼を取り巻いてきた時代と環境(家族的なことはもとより、アメリカ社会の
偏見や競争の激しい世界での歪みの中で育ってきたこと)が、憶測が後を
絶たない容姿の変貌や言動、浪費癖を生んだことに影響があったと感じず
にいられない。

ポケットいっぱいのキャンディーに喜ぶ年端もいかぬ10歳以降、世界の
中心「アメリカ」のコマーシャリズムの渦に飲み込まれつつ、おとなの様々な
思惑中で、必死に走り続けてきた貧困の黒人家庭に生まれた少年に、
常識的経済観念を知り養う機会などどこにあっただろうか?同年代の
子供たちと無邪気に遊ぶ「当たり前」の人間関係の構築などできただろうか?
-許容される「常識」を身に付けられなかったとしても、それは当然の成り行
のように思えてしまう。
寧ろ揺るぎない地位を築いてなおファンとの距離を近く保っていたところに
Michael の人となりを感じ、"おとな"の世界との一線を引きたかった孤独さ
見る。

そしてそんな思惑と歪みのあるおとなたちの中で、観るものを惹きつける
パワーを加速度的に備え、最後のリハーサル風景の姿に観る往年の身の
こなしが健在であったひたむきさの努力の継続こそこそ尋常ではなかった
だろうと思うのだけれど・・。

卓越した表現力を持ち世界の先駆でトップであり続けた反面、素顔の
Michael Jackson は歳に違わず稀有なピュアな人格で、感性が研ぎ澄ま
され過ぎていただけでは?と、今でも感じている(この辺りもモーツァルトと
似た一面が垣間見られる??)。
いや、もしかしたらゴシップの嵐も、既成概念の目線でしかないのであり、
その既成概念こそがコマーシャリズムと貨幣価値に偏ったマジョリティの
「基準」に過ぎない・・・?
Michael Jackson の超越した感性に照らせば、そんな分析こそ論外なの
かもしれない。

亡くなる40時間前のリハーサル映像の姿を見てあんなに元気なのにという
見方もある。しかし、永年ゴシップの渦中にあって精神状態と体はぼろぼろで、
ある意味自己破壊と戦いつつ、唯一無二のエンターティナーの”本能”が、
Michael だからこその超人的な無理を重ねさせてきたのだろう、と未だ深読み
は変わらない。

3月会見したときの手の甲のしわや痩せ細った姿には、こんな哀しい日が遅
かれ早かれ、或いはツアーの最中に起こっても不思議ではなかったとも・・・・。

それでも、いやだからこそロンドンでのMichaelの魂こもった素晴らしいパフォー
マンスを全世界に披露して欲しかった。


これも神様の筋書き通りだっただろうか?
2009.6.25 ― この"絶妙"のタイミングは Michael Jackson 永遠の
エンターティナーとした「偉人」昇格認定の日となった。

神様が彼に託した役割は、喪失感の哀しみを受け止めるそれぞれの者が
心を合わせて、Michael の歌に込められた<人間の業を超えた平和>を
描いていく
ことなのだろう。

それにしても・・
追悼式を控える中、12年の空白を超えた復活コンサートを目前に、という
無念さの哀しみは本当に底なしだ。