彼が本当に遺したかったもの:
LIVEで観なくてはと、CNNはアクセス出来なかったがMTVのネット画像
に釘付けだった。
アメリカの文化の中で死を悼むセレモニーの在り方がどの様なものが
「普通」なのか分からないものの、Michael に対して世紀のエンター
ティナーとしての称賛は勿論だったが、予想以上に、出席者の顔ぶれ
やスピーチを通して、黒人社会にとっての英雄という側面を改めて思い
知る機会となった。
長く重い彼らの歴史の中でMichaelの存在は、彼らにとってはとてつも
なく屈強な開拓者でもあったのだ。
どの世界にもある人間社会の、偏見や格差や不平等さへの抵抗と、
共有すべきは愛、という Michael の本当に純粋な強い「メッセージ」
「思い」「真意」が、追悼式という神に最も近い厳かな「場」という手段で、
10億人とも言われる世界中の人へ改めて発信したことこそ、どんな
卓越したパフォーマンスの作品よりも、実は彼の本望だった筈だろう。
見つめる何億の人々の涙には悲しみとともにそのMichael の思いが、
きっと一人一人の心に根付いたに違いない。
そして、世間にどう評価されようとも、父親としての素顔のMichael が、
子供たちに無垢で無償の愛情を確かに存分に注いできたことは、娘
Paris (Michael が世間にデビューした歳とほぼ同じの年齢だ) の
思慕を抑えきれないスピーチに集約されていた-確かな親子の絆。
それにしても、Michael が歌う歌は、誰が歌うよりも聴くものの心の
奥底へ、魂へ、入ってくるメッセージになるのだなぁと、追悼の想いを
のせて歌う錚々たる"親しい友人"歌手を聴いて尚、つくづく思った。
★ ☆ ・ ☆ ★
ことばへの感性を磨き、ニュアンスを感じたい
それにしても、近頃の不眠傾向ですっかり脳みそがフリーズ気味な
上に、2時間半余り英語シャワーだったので、なおのこと、TOEICを
やっとの思いで受ける程度の英語力では、追悼式を完璧に理解
できるわけがなく、それは甚だ情けなかった。
後に日本語訳テロップのついた情報番組を何度も見たけれど、簡易
に日本語にされた言葉は?・・・そうなっちゃうの??LIVEを見ていな
かった人がみれば、なんと味気のない「言葉」になってしまうのか・・・と、
英語を丸まる理解していなくても、LIVEの感覚で伝わってきた<感情
表現の手段>として受け止めれば、ちょっとちょっと・・・と思えてしまう。
分からないなりに臨場の感覚と、何より言葉を「コトバ」だけではなく音
にした時のニュアンスや間など、話し手の言葉そのままに、言い表せ
ない微妙さをも堪能できたなら、どれ程言葉に含めた相手の感情を、
豊かに受け入れられるだろうか?
言葉は、話されるトーンや感情とともに、その言葉が生まれ育って来た
文化も背負ったまま-言葉まるごと感じることが、きっととても大事。
日本語は勿論、英語も「ニュアンスまで、ま・る・ご・と受け止める」の
感性、磨かなくては!
Michael の思いが普遍でボーダーレスなように、言葉を感性で受け
止めたい。
