2009年7月25日土曜日

ショウゾウ>ソウゾウ 

初めて那須に行くと計画してから、(最近投稿もしている)「食べログ」で検索。
是非行ってみたい店をみつけた-"NASU SHOZO CAFE"。

地図で見ると確か国道沿い・・・と注意深く探していた。んぅ? ココ?!
そこはまるで「○○パーク」か「××カントリー」への入り口?と見紛うワイドさ。
大袈裟?! でもおよそCafeの入り口ではない。
御用邸へと続く国道に沿って豊かに大きく育った樹木の並木道が拓けた
そこに "NASU SHOZO CAFE" があった。


Cafeはこじんまりと・・と勝手なイメージでいたからか、その緑豊かな中に
ゆったりとした店構えが、まず気に入ってしまった。

店内に入るとすぐに魅力的な焼き菓子たちが迎えてくれる。思わずニッコリ。
さらにショーケースにはケーキたち。食べなくても、お菓子の表情がよいので
きっときっと美味しいに違いない、と思えてしまう。


店内は、いくつかのコンセプトに分けられている客席作り。
                                         

天気も良かったので(何より犬がいたので)、ウッドデッキで過ごすことにした。


季節柄ほどよい高原の夏を肌で感じつつ深い緑の木々を眺めながら、
運ばれてきたスタッフオススメのサンドイッチとスコーン+お好みのケーキ
のプレートを味わった。
サンドイッチはボリュームがあるものの、プレーンオムレツ、トマトに大葉、
きゅうり(もしかしたらベーコンもあったかな?)の構成で、見た目の通り
あっさりテイスト。


おいしそうな表情をしていた温かなスコーンも予想を裏切らず素直な味わいだった。
ブルーベリーのタルトは、大粒のブルーベリーの程よい酸味と十分な甘味が
みずみずしいので、どっしりとした大きさの割にはペロリといけてしまった。



"NASU SHOZO CAFE" は、"想像"を超えた素敵な時間を提供してくれた。


~ スタッフの誰もが朗らかに誇りを持っての対応も気持ちよかった、と
                      早速「食べログ」にも口コミと写真を掲載しておこう ~

2009年7月15日水曜日

お一人様の独り言 ~ そうだったのか・・・ ~

< Gift from MJ ? >

Madonna が Michael の模写をしているダンサーをステージ前にして
Michael への追悼を捧げたニュースは世界中に流れていた。
しかし Madonna を後方にし、ステージ中央でスポットライトを浴びて
踊るダンサーが日本人であったことは、今日BGMがわりにしていた
j-waveで知った。
「えっ??」(よく「え」に「”」がある表現があるが、ま・さ・に・それ!! )
ボリュームup。 ・・・ん?果たして既にもう広く知れたこと?-

Kento Mori – Michael に焦がれ、憧れ、その想いで2006年に渡米
するまでは東京の大学生だったとか。
本格的にダンスを始めたのは大学に入ってから、という様な背景を
j-wave
のパーソナリティの女性が Michael の曲をバックに、語っていた。


それまでは大好き なMichael をひたすら真似る我流でテクニックを磨いて
いたらしい。
渡米した夢は Michael といつか仕事をすることだったそうだ。


Kento には、世界一流のアーティストが「欲しい」と思わせる、抜群に光る
センスがあったのだろう、 Maconna のツアーに同行するダンサーとして
抜擢された。渡米して1、2年のうちに・・・。
しかしさらに驚くべきは、あの Michael のロンドンツアーのオーディションを
受けたKento は、Michael 自身によって専属ダンサーに選ばれたという。 
生憎く既に Madonna と追加ツアーの契約をしていた為、Michael 自ら
Madonna に Kento との契約を見直してくれないか、と交渉まで-敢えて
子供じみた言葉を使えば「取り合い」をしたと-いうのだ。
契約社会のアメリカにあって Kento は(正確に言えば Michael 側も、と言う
ことになるが)、この千載一遇のチャンスを泣く泣く見送ることと成った。
 
[探しあてた Kento のブログには、"尊敬する Michael との仕事を"との夢
を、Michael 自身によって叶えられる寸前のそのチャンスを見過ごさざるを
得なかった心の葛藤が行間に滲んでいる。]

Kento のその悔しさは・・・。時を経て ・・・あの日-。
そして Madonna のツアーでの Michael へ追悼のシーン。

考えると、とても心根の優しい Michael らしい Kento へのこれ以上ない
最高のgift と思える。
Kento にとっては、ショック状態の哀しみを癒すにはかなりの時間を要する
だろけれど、あの Madonna の計らいによる追悼のステージが、彼とそして
世界が、いつの日か必ず Michael が Kento の才能とタレント性をお披露目
させたとっておきの瞬間-敬愛してやまないMichael とKento 自身をどんな

ステージよりも印象づけた、絶好のタイミングだったと振り返る時が、やって
くるだろう。

-そうだったのか・・・

ステージで Michael を模写したダンサーが、Madonna を背にステージの
前面でパフォーマンスした深い「理由」があったのだ。

Madonna は公式HPに 
"Kento, my dancer, was obsessed with Michael all his life. And when
Michael was having auditions for his tour, Kento really wanted to go
but he'd already made a commitment to me. So now he's about to
have his moment and be Michael at my show." 
-とコメントしている。
 
               
☆  ☆  ☆  ☆  ☆

  日本は今、世界で旬なのかもしれない。
  東京始め日本は世界中から観光地としても文化的にも、最もHOT。
  Kentoもしかり、村上春樹の著作は、世界45ヶ国語に翻訳され、石川遼は

  17歳にして実力で全英オープンに出場し、イチローは、9年連続大リーグの
  オールスターに選ばれ今やトップ大リーガー, etc.。
  数え上げればきりがない - いまや世界が認める、溢れる才能に長けた
  from Japan ・・・存在感を確実に、増しているなぁ。

  唯一?サミットに四年連続顔が変わるなど、何とも政治力の稚拙さ・滑稽さ 

  ・・・・。これも振り子の反動?日本国という船の舵取り役の信頼回復を
  急がねば。 
  - お坊ちゃんの政治ごっこに付き合うことに国民はとっくの昔に飽きて、
    肩書きと座に執着していることに、
呆れて疲れ果てているけれど -
    ~ そしてその尻尾を追って、他人事の如くの報道に終始している
      マスメディアにも・・・。既成の視点はもう要らない ~



<処方箋薬の購入>

処方箋薬局の、調剤や薬局規模、或いはジェネリックが一概に

先発品よりも安いとは限らないなど、その代金が条件によって
異なることは分かっていたはずだった・・・。
けれど、調剤してくれる時間によっても、代金が異なるのは今回

初めて知った。
営業時間内にくらべて時間外(平日19時以降、土曜日13時以降)

は調剤費が三倍になるらしい。

- そうだったのか・・・

当たり前といえば当たり前。些細なことだけれど、処方箋薬局には、

やっぱり"営業時間"に行こうっ。




2009年7月8日水曜日

お一人様の独り言 ~ Michael Jackson's memorial に・・・ ~

彼が本当に遺したかったもの:

LIVEで観なくてはと、CNNはアクセス出来なかったがMTVのネット画像
釘付けだった。

アメリカの文化の中で死を悼むセレモニーの在り方がどの様なものが
「普通」なのか分からないものの、Michael に対して世紀のエンター
ティナーとしての称賛は勿論だったが、予想以上に、出席者の顔ぶれ
スピーチを通して、黒人社会にとっての英雄という側面を改めて思い
知る機会となった。
長く重い彼らの歴史の中でMichaelの存在は、彼らにとってはとてつも

なく屈強な開拓者でもあったのだ。

どの世界にもある人間社会の、偏見や格差や不平等さへの抵抗と、

共有すべきは愛、という Michael の本当に純粋な強い「メッセージ」
「思い」「真意」が、追悼式という神に最も近い厳かな「場」という手段で、
10億人とも言われる世界中の人へ改めて発信したことこそ、どんな
卓越したパフォーマンスの作品よりも、実は彼の本望だった筈だろう。

見つめる何億の人々の涙には悲しみとともにそのMichael の思いが、
きっと一人一人の心に根付いたに違いない。

そして、世間にどう評価されようとも、父親としての素顔のMichael が、

子供たちに無垢で無償の愛情を確かに存分に注いできたことは
Paris (Michael が世間にデビューした歳とほぼ同じの年齢だ)
思慕を抑えきれないスピーチに集約されていた-確かな親子の絆。

それにしても、Michael が歌う歌は、誰が歌うよりも聴くものの心の

奥底へ、魂へ、入ってくるメッセージになるのだなぁと、追悼の想いを
のせて歌う錚々たる"親しい友人"歌手を聴いて尚、つくづく思った。

           ★  ☆ ・ ☆  ★


ことばへの感性を磨き、ニュアンスを感じたい


それにしても、近頃の不眠傾向ですっかり脳みそがフリーズ気味な
上に、2時間半余り英語シャワーだったので、なおのこと、TOEICを
やっとの思いで受ける程度の英語力では、追悼式を完璧に理解
できるわけがなく、それは甚だ情けなかった。

後に日本語訳テロップのついた情報番組を何度も見たけれど、簡易
に日本語にされた言葉は?・・・そうなっちゃうの??LIVEを見ていな
かった人がみれば、なんと味気のない「言葉」になってしまうのか・・・と、
英語を丸まる理解していなくても、LIVEの感覚で伝わってきた<感情
表現の手段>として受け止めれば、ちょっとちょっと・・・と思えてしまう。

分からないなりに臨場の感覚と、何より言葉を「コトバ」だけではなく音
にした時のニュアンスや間など、話し手の言葉そのままに、言い表せ
ない微妙さをも堪能できたなら、どれ程言葉に含めた相手の感情を、
豊かに受け入れられるだろうか?

言葉は、話されるトーンや感情とともに、その言葉が生まれ育って来た
文化も背負ったまま-言葉まるごと感じることが、きっととても大事。

日本語は勿論、英語も「ニュアンスまで、ま・る・ご・と受け止める」の
感性、磨かなくては!

Michael の思いが普遍でボーダーレスなように、言葉を感性で受け
止めたい。

2009年7月7日火曜日

溢れる追悼の想い ~ Michael Jackson ~

TOEIC のヒアリングテストよりも集中し、時に外出時には無精ひげの
勝ち馬予想のおじさんよろしく携帯ラジオにイヤホンをして、近づく追悼式
を前にAFNラジオからの Michael の続報を漁り続けている。

             ★    ★    ★

Michael Jackson を人類史上最も成功したと評していながら一方で、
それをしのぐ執拗なまでのバッシングやゴシップの流れを諌める風潮が
もっとあってもよかった。真偽を超えたゴシップに興じすぎず、その卓越した
才能やパフォーマンスに対して率直に称えればよかったのだ・・・。

日を追うにつれ、作品を聴けば聴くほど、存在とその功績の大きさが完全に
<過去>になってしまったことへの虚無感が増してくる。
- 正直こんな状態に陥ることは予想外だった。
Michael の作品とMichael Jackson 自身に心奪われている。

先のオバマ大統領のコメントは、同じアメリカで同世代、しかもバックグラウンド
を考えれば、立場上感情を押し殺し冷静で抑制を持ったコメントしかできない
やるせなさは、(一人称をやたら多用する表現力と真心が伝わらないどこかの
首相と違って)感性溢れる大統領だけに暫くの時間を要したのだろう、と
心中察するに余りある。

前回、Michael Jackson のパフォーマンスをreal time に目撃し聴けたことを
幸せだと載せたけれど、Michael Jackson が居て当たり前の"現在"が、いき
なり予告なく、復活の期待の中<過去>になった分岐を体験してしまった衝撃
と悲しみの今では、重苦しすぎる虚しさを知らないこれからの人々の方が、
余程幸せかもしれないとすら考えるようになった。
彼らは純粋にMichael の遺した作品に出会い、心揺さぶられ魅せられることが
できるのだから。

それはきっと例えば、ジャンルは全く違うけれど、現代の人々が世界中で時代
を超え無条件に魅了されているモーツァルトと共通するところがある
ような・・・。

Michael の、とくに平和や幸せを希求したバラードを歌う滑らかさは、すーっと
心に染み入ってくるものがある。
メロディを生み言葉をつむぎ、幅広い曲を魂ののった澄んだ声質で歌いメッセ
ージを発信しつづけてきたMichael。
そのしなやかな体の動きを「ダンス」と表現するには、余りにも陳腐で言い尽
くせない身のこなし。そして常に時代の先駆的な演出・・・あらゆるパフォーマ
ンスにその才能が光った。

Michael Jackson の存在自体が、確かに「人類史上最も成功した」と評された
ことを誰も否めない。
現に Michael が<過去>になってしまった<現実>の動揺と喪失感の大きさは、

追悼無料参加へのアクセス数がアメリカ国内で僅か「1時間余りで5億アクセス」
が物語る。
Michael Jackson が類稀なるエンターティナーである証に他ならない。

本業のパフォーマンスでエンターティナーとしての役割を十二分に果たしていた
のだから、たとえゴシップの要素があったとしても・・、と悲劇的な結果を受け止
めた今、一体何億の人が悔いているのだろう。ネット社会の21世紀になって
間もないが、既に今世紀失った最も偉大なアーティストだったと後世語られる
に違いない。

危険すぎる薬依存を20余年続けてきたことが死因と目されてされているが、
依存する彼を取り巻く環境と心理状態に至らしめたのは?
彼のパフォーマンスを賞賛しつつ、一方でゴシップ要素にも世間が興味を
掻き立てられてきたのも確かにあった。

テレビを通し映る人々(ファンや関係者)に殆ど白人がいない点からも、
彼を取り巻いてきた時代と環境(家族的なことはもとより、アメリカ社会の
偏見や競争の激しい世界での歪みの中で育ってきたこと)が、憶測が後を
絶たない容姿の変貌や言動、浪費癖を生んだことに影響があったと感じず
にいられない。

ポケットいっぱいのキャンディーに喜ぶ年端もいかぬ10歳以降、世界の
中心「アメリカ」のコマーシャリズムの渦に飲み込まれつつ、おとなの様々な
思惑中で、必死に走り続けてきた貧困の黒人家庭に生まれた少年に、
常識的経済観念を知り養う機会などどこにあっただろうか?同年代の
子供たちと無邪気に遊ぶ「当たり前」の人間関係の構築などできただろうか?
-許容される「常識」を身に付けられなかったとしても、それは当然の成り行
のように思えてしまう。
寧ろ揺るぎない地位を築いてなおファンとの距離を近く保っていたところに
Michael の人となりを感じ、"おとな"の世界との一線を引きたかった孤独さ
見る。

そしてそんな思惑と歪みのあるおとなたちの中で、観るものを惹きつける
パワーを加速度的に備え、最後のリハーサル風景の姿に観る往年の身の
こなしが健在であったひたむきさの努力の継続こそこそ尋常ではなかった
だろうと思うのだけれど・・。

卓越した表現力を持ち世界の先駆でトップであり続けた反面、素顔の
Michael Jackson は歳に違わず稀有なピュアな人格で、感性が研ぎ澄ま
され過ぎていただけでは?と、今でも感じている(この辺りもモーツァルトと
似た一面が垣間見られる??)。
いや、もしかしたらゴシップの嵐も、既成概念の目線でしかないのであり、
その既成概念こそがコマーシャリズムと貨幣価値に偏ったマジョリティの
「基準」に過ぎない・・・?
Michael Jackson の超越した感性に照らせば、そんな分析こそ論外なの
かもしれない。

亡くなる40時間前のリハーサル映像の姿を見てあんなに元気なのにという
見方もある。しかし、永年ゴシップの渦中にあって精神状態と体はぼろぼろで、
ある意味自己破壊と戦いつつ、唯一無二のエンターティナーの”本能”が、
Michael だからこその超人的な無理を重ねさせてきたのだろう、と未だ深読み
は変わらない。

3月会見したときの手の甲のしわや痩せ細った姿には、こんな哀しい日が遅
かれ早かれ、或いはツアーの最中に起こっても不思議ではなかったとも・・・・。

それでも、いやだからこそロンドンでのMichaelの魂こもった素晴らしいパフォー
マンスを全世界に披露して欲しかった。


これも神様の筋書き通りだっただろうか?
2009.6.25 ― この"絶妙"のタイミングは Michael Jackson 永遠の
エンターティナーとした「偉人」昇格認定の日となった。

神様が彼に託した役割は、喪失感の哀しみを受け止めるそれぞれの者が
心を合わせて、Michael の歌に込められた<人間の業を超えた平和>を
描いていく
ことなのだろう。

それにしても・・
追悼式を控える中、12年の空白を超えた復活コンサートを目前に、という
無念さの哀しみは本当に底なしだ。