2009年6月30日火曜日

お一人様の・・・リスタート ~ 宣誓?!  ~

本日、昨日までと今日からの分岐点。

積み上げてきた経験と時間に、

ありがとう。

過去への感謝と

未来への輝く想いを

心に抱いて、

一歩、また踏み出す 

- 0630。

2009年6月26日金曜日

Legacy of ・・・

好きだった。熱狂的というわけではないけれど。
パフォーマンスは魅力的だった。


それでも、その一報は、俄かに「事実」と判断できない
動揺があった。

朝、少しでも詳しいことを知り、新しい情報をえたいと、
タイトな時間の中ニュースサーフィンを必死にしていた-
Michael Jackson の死。

Thriller をon time で見て聴いて、Michael Jackson の
全盛期からの時間軸に併走していた「居た」ことをとても
ありがたく思う。
(この感覚は John Lennon の死の衝撃を受けたその時と
酷似している)。

Michael Jackson のトップピークが Thriller, Bad,
Billie Jean
時代だと、只中に既に皆がと感じていただろう、と、繰り返し
流れる四半世紀の時空を微塵も感じない MTV の彼をみて思った。
Thriller を観ているうちに涙していた- なんと素晴らしく
質高く新鮮
に感じるのだろう、と。
本当に唯一無二の存在に、「今日」なってしまった。
彼の揺るぎのないオリジナリティに長けたエンターテイメントの、
プロフェッショナル性と、純朴すぎる人となりとのギャップもあって、
優しさの柔と対照的なキレのある身のこなしに見(魅)入ってしまう。

彼のファンであれば、きっと誰もが来るべきロンドン公演のパフォ
ーマンスの実現に,期待の分だけどこかで認めたくないけれど・・・
の不安も抱いていたはず。
秀逸といえるエンターティナーの作品と名誉と何より存在感は、
復活のロンドン公演を目前に不変の永遠になった。

神様は Michael Jackson に比類なき才能を与えてくれたけれど、
彼にとって、心満ち足りた人生時間はどれだけあったのだろうか?
素晴らしく魅力的な彼の作品をリアルタイムに聴けた幸せ者たちに、
これほどの激震を招いた彼の死。けれど、それを招いたのはまた
そんな幸せ者たちの関心が(を?) 煽ってきたパパラッチの齎す情報
でもあったのではないか?

Michael の ”真実” を置き去りにした、彼への行過ぎた好奇心の先

の「ゴシップ」が全くなかったと言い切れるのか?
衝撃の死とこれまで彼を取り巻いてきたゴシップ・スキャンダルの数々
の”真相”が、果たして真につまびらかになるのかは、分からないけれど。

整形だったり子供への執着だったり面白おかしく取沙汰されてきた
スキャンダルの、その根っこにはジャクソン5としてのデビューから以後、
Michael とその作品に"賞賛を与えるアメリカ社会"に厳然と存在していた
黒人差別の現実の矛盾に喘いでいた自己消化があったのではないか?

10歳頃から子供としての人格を捨て、アメリカや世界の気まぐれなおとな
要求し続けてきた彼のエンターテイメントに対する期待と、人種差別
という社会的歪の狭間に抗う手立てが、黒人Michael には、ただ一心に
一身にその芸術性を極めることでしかないという運命に、孤独にもがき
続けて来たのかもしれない。

彼の作品と彼のパフォーマンスに心揺さぶられていた星の数ほどの
人々は、また彼に関わるゴシップにも散々興じていたはず--。
その時々の彼の苦悩や孤独感の深さに思いを馳せると、本当に
胸苦しくなる。

Michael の soul は、果たして心安らかに自分の死を、穏やかな現実
として自覚できているのだろうか?早すぎて忙しすぎてそして煽られ
続けた人生の唐突のゴールを。

AFNラジオから、とめどなく流れる透きった質の絹のような声色とメロディ。
Michael Jackson が確実に過去へと逝ってしまった今日この日に、
ビジュアルなくラジオで聴くとなお切なく、底のないタイムスリップの闇に
感情が吸い込まれてしまう。

ノンストップの Michael の死の続報と曲が続くAFN。
Michael Jackson という作品がとりわけ母国アメリカにとってどれほどの
カルチャーだったのか・・・
"legacy of his Music" の word が哀しみを持って感情に沁みてくる。

"legacy" に・・・ of Michael Jackson とするには余りにも儚く哀しく、
受け止めきれない「2009.6.25」である。








2009年6月24日水曜日

お一人様の独り言  ~ "褒めるブーム"を憂う??のココロ ~

巷では褒めあうことがブームになっているらしい。

例えば伊勢丹やユニクロなど企業でも同僚たちを褒めることを
社内の規則・ルール化しているとか。
今の世の中、自主、道徳心よりも、強いる規則に依存する傾向
があるようでとても気になっていたが、この企業での褒めあう
ルールも、そのひとつ。

取り組みやその意図は最終的には「企業文化」となり、社風や
社員の雰囲気向上のポジティブカルチャーだけれど、規則化
すること、管理下に置かれることに慣れること自体に、やや
未成熟な感が否めない。

        -   ♪   ♪   ♪   ♪  -


未熟な感、に思うこと-。

「おとな」の基準には予ねて甚だ疑問を抱いていたが、
この<未熟なおとな>の常套句「法に抵触していない」「法を犯
していない」からという言い訳がある。え?だったらいいの?
その前にあなたの心に向き合ったとき、そこに躊躇いはない?
・・・所謂「法律抜け道」は、その逃げ口上の為の"どこでもドア"??

現代社会、それまでの自主性のなかで、何か良くないことや
悪事が起こると、これを理由に制限や規制が生まれる。
例えば事件を二度と起こさないように防犯が税金によって対策が
講じられれば、結果コミュニティの正義や安全は間接的に自分たち
で賄っている。
つまり、もしかしたら必要ではなかった税金がやむを得ず、防犯や
規制という形で、自らの環境が窮屈になっていく。

いやいや、ベクトルをのびのびと心緩む社会へと向けよう。
もっと自主的で道徳性を尊べる社会にしていこう。


ポジティブカルチャーのベクトルを!

確かに自分たちの住む環境を心地よくするには、ネガティブなこと
を「しない」「言わない」習慣が大事。

以前「"幸せ"の循環に」と、このblogに記したけれど、
循環の小さな輪になるようにと心掛けていることがある。 
- ささやかなかかわりでも言葉を交わすこと。スーパーやコンビニ
のレジでは「ありがとう」、プールや公共施設の窓口やどんなビルでも
そこをお掃除しているおばさんには「こんにちは」「ご苦労様です」など。
はじめはちょっぴりの勇気が要ったけれど、今はとても自然に言える。
相手は時に面食らう場合があっても、例えばレジの人たちは返って
「ありがとうございます」の声色に"笑み"を添えてくれる。
誰だって挨拶を交わすだけで、空気感が和み穏やかな感覚を体験
してきた筈。
ヨーロッパやアメリカの旅先ではすれ違う人と目が合うと、瞳で笑み、
笑顔でhello!が当たり前だったっけ。

ささやかな人情の機微を受けて伝えて、とつなげていけば、
挨拶やそんな習慣づけをしていけば、
やがて無意識になり、そしていつの間にか当たり前になっている、
常態化している。


規則になるその前に、育て! ココロのカルチャー。


2009年6月7日日曜日

お一人様の独り言 ~ 下町の祭りの風情と ~

この週末はは鳥越神社のお祭りだった。
地域の人達自身がまるごと楽しんでいる様子で、とても賑わっていた。

鯉口に半股引、そして足袋姿の老若男女が集い祭りに心弾ませている
風情は、なんとも微笑ましくて下町情緒を肌で感じた。
真夏のような陽射しの元、威勢の良い掛け声とともに担がれる神輿の
図が映えた。
人情と昔ながらの行事を大切にする文化を持つこの地域、住み心地も中々よい。

何より古くからいる人も、マンションラッシュのこの地にたまたま住み始めた
若い人たちも「祭り」で打ち解け「祭り」という絆で一緒になって、集う。

地域のプラスベクトルで交流を図る昔から続く「祭り」の行事は、人間社会
の営みにとって確かに大切なのだなと感じる、いいものだなあと気持ちが和む。
和、なんだ つまりは。

そんな賑わいを体感していると、「祭り」独特の高揚感を味わうと悪さ-所謂
悪事という邪心は生まれにくいのではさないだろうか?とふと感じた。
高揚感-「祭り」で体験する"粋"な心意気には、プラスのベクトルがいっぱい。
まさに神のパワー?があるのかも知れない。
         
         ☆   ☆   ☆

そんな下町に、子供図書館がある。小学校に併設された図書館。
けれど、気軽に利用することができない。
入室には、まずインターホン越しに図書館のカードをかざして図書館
スタッフが利用者を確認して、やっと開錠され図書館に入室できる。
- そこまで警戒をしなくてはならない子供図書館の利用。

地域コミュニティのもうひとつの顔でもある。なんとも虚しい。

近所の皆が盛り上がり、気持ちをひとつにして祭りの神輿を担ぐ、
昔ながらの「心意気」が根付いているコミュニティであっても、
昨今、悪い意味で日常化してしまった有り難くない「現代社会」の
側面は確実に存在するのだ。

         ☆   ☆   ☆
     
この地域が胸を張って自慢できる「祭り」で垣間見た"粋"な心意気や
人情のつながりのパワーを「誰もが居心地よいコミュニティ」へ、
「誰もが自由に出入りできる子供の施設」へと、立ち直るエネルギーに
していきたいものだ。

プラスのベクトルを伸ばしてゆこう。

無垢な瞳を持つ"らいおん"たち

先日日本テレビ「リアルタイム」の特集で、是非直に見てみたい
と思った松元伸之介くんとその絵の展示イベントが、新宿のブック
ファーストで行われた。

絵からは、何とも言えないほのぼのとした空気感が漂う。

  あぁ、デジカメを置いてきてしまったことを後悔。
  彼の絵の魅力から受けた印象をできる限りそのままに、と
  思ったけれど、携帯では伝わるだろうか?


   


色遣いも丁寧で最も惹かれたライオン。

彼の人並みはずれた魅力のもうひとつは、人を瞬時に動物として
表現することだろう。

頭の中の無限の広がりとイマジネーションで、初めて対面した人が瞬く
程の素早さで表情豊かな動物に変身する。(そしてタイトルが付けられる)

イラストを描いて貰った人に尋ねたら「一瞬目が合うかどうか」で、あとは
彼の手から描き生まれる゛自分゛を待つだけ。そしてまもなくこのご夫婦
は"ライオン"になった。

【公式ブログ伸乃介の愉快な動物たちで、『13時から始まった
似顔絵会、東京1番目のお客様はご夫婦。描かれたのは「ライオン」
でした』と紹介されている。因みに何ショットかの写真に後姿で、
しっかりその場に居たという"証拠"も載っていた】

想像する動物の種類はお母様ですら把握できていないという。
ただ、幼い頃から図鑑をとてもよくみていたようだ、と彼を番組で
取材したディレクターの方が答えてくれた。

自閉症の彼にとっては図鑑の中の動物たちは当時の彼の、
かけがえのない友人だったのだろう。
松元伸乃介くんにとって、最大の自己表現が単に「動物を描くこと」。
そして、たくさんの人たちの心を惹きつけている。

http://blog.livedoor.jp/sinnosuke8/






どの動物たちも、目に優しさと生命を感じる。
カラーの発色の魅力もさることながら、モノクロの絵は
動物の感情がよりリアルに伝わってくる。



そして何より、猛獣、草食動物、大小の区別なく仲良く
描かれているのがよい。理想の世界観の凝縮だ。


 

 

 

  




余談その①
「リアルタイム」のキャスター笛吹さんはとても小柄で、
テレビの向こうの彼女よりも遥かに華奢で凛としていた。

余談その②
会場となった新宿ブックファーストのCafe"BLUE SQUARE CAFE" http://www.book1st.net/shinjuku/cafe/index.htmlも、
使い勝手のよい場。Cafeメニューの質も中々。
エスプレッソマシンはマキネスティと一緒のLAMAZOCCOだった。
ケーキやサンドイッチ類も選択肢が多い。スイーツは系列のトーキョー
スイーツファクトリーの奥沢ロールやタルト類のほか、パンウンド2種類と、
ノッティングヒルの焼き菓子もレジ回りにあった。
因みに、今日はレモンのパウンドケーキをオーダー。ピールが利いている。
純生の生クリームと蜂蜜が添えられていてCPはあると感じた。














2009年6月4日木曜日

お一人様の独り言 ~ "幸せ"の循環に ~

「自分が幸せになりたいならまず自分が他人に親切に」
「自分がして欲しいならまず相手にしてあげる」など、
よく聞かされた。

そして「・・・ならば」なんて思ってしまうもの。

けれど、とどのつまり「自己満足」なのではないか?
「自分が幸せになりたい」とか「自分がして欲しい」とか、
究極の自己満足のようだなと、基軸が「自分」であることに、
しばしば腑に落ちず疑問を感じてきた。

昨今「自分の」「自分が」の思考、極めて「個」にのみ由来する、
社会の"常識"との接点が見出せない悲しい事件も起こる世の中。

誰もが過ごしやすく、「心」を感じて暮らせる毎日にしてゆきたい。

どうだろう、
「"自分の今の居場所"での幸せ度を高めるためには」と、

自分という「個」ではなくて、自分が生かされている環境=「属」
に帰結する思考・志向にシフトする、というのは?

「帰結してくる」と受身ではなく「自ら発信したことが還元してゆく」
と能動にシフトすれば、きっと温かな世の中、微笑みある社会に

なっていくだろう。
"自分"も、回りの人たちも、幸せになっていくだろう。

「心地よい環境」に生きること、「心穏やかに過ごす社会にする」

ことは、実は、自らの思いと行動から発する-
そう一人ひとりが、願い、過ごすならば、だれもが居心地よい
世の中になるに違いない。

-幸せの循環。

2009年6月3日水曜日

at my choice "パネッテリア・アリエッタ" and・・・

"パネッテリア アリエッタ" (http://www.pan-arietta.com/
新しく気に入った店が五反田にあった。
わざわざ訪店した甲斐があった!! 
「パリットフワット」の<手作り感>と「シンフィニシニフィエ」の
<計算されつくされた感>の"間"のような感覚のパンたちは、
しみじみ滋味深さを味わえる。

小さな店に入ると、行儀よく、おいしそうに、パンが並んでいる。
いくつかは試食ができて、特に「ドライフルーツ入り」のパンは、
どれも引力が強く、めずらしい棗入りの"フェニックス"や一目して
たっぷりとプラムが入った"パン・オ・プラム"にも、かなり誘惑された。
迷った挙句お店の方に「フィグの風味はオリジナルのおいしさがある」
と伺い、"コンプレフィグ"を。
ドライフィグの旨みが引き出されている。かすかにオレンジピールの
ビターな柑橘の風味が個性的。

深い緑色と苦味が香の中に漂うよもぎのベーグル、あっさりした
甘味の小豆あんがぎゅっと凝縮したよもぎのほろ苦さを引き立てる
「大納言ベーグル」。
もっちりとした弾性の食感が心地よくそして味の深さを実感する。

「黒豆久在エ門」黒豆のパンは、意外にも微甘。
けれど返ってそれが小麦の素朴な旨みが感じられる。
食事時にも十分おいしく食べられる、ほんのりとした塩味が後を引く
味わいを生んでいる。




アリエッタのパンと、とても似ているけれど、
実はこのblogの当初に載せた"パリットフワット"のパン。
女性が作るこの店の素材感・具材感あるパンは、
手作りのぬくもりがおいしさとして伝わる。





近頃嵌っている「AKAENDOU」 
           by "ユーハイム・ディー・マイスター" 

案外CPある店だと以前から気に入っている丸ビルの"ユーハイム
・ディー・マイスター"。
ドイツ系のパンをはじめ、どのパンも概ね及第点だと思う。
とくに、エーデルブロートやロジーネン・ヴァルヌス、ツヴァイロ
ジーネンが大好きで、つい丸の内周辺を通ると買っていた。

最近は、すっかり「AKAENDOU」に首ったけ。何とも癖になる旨さだ。

弾力があり小麦の味わいのするリーンな生地に薄甘塩のホクホク
の赤えんどう(豆寒天で使われる)がぎっしりずっしり入っている。
これが食べたくて、丸ビルに行ってしまうこともある。