2009年12月31日木曜日

輝く笑顔の2010年へ ~ 心に smile ~

地球の隅々まで輝く笑顔でいっぱいになる日を希求しよう

「想えば叶う」で「暮らしを適える」ように

自分がシアワセを感じたいなら
自分の環境を心地よくしよう
自分の回りの環境を心地よくしよう
自分の国を心地よくしよう
自分が住んでいる地球を心地よくしよう

他者を否定しても、殺めても、とどのつまり、
その先には、シアワセなんて感じない
- モノゴトは巡っている

どうせシアワセを感じるならば、ひとりじゃなくて、
みんなでシアワセを感じるようにすれば、いいじゃない

「ヒト」以外の地球上のすべての生き物が
辛抱強く、忍耐強く、地球の変化に順応してきた

あらゆる強者が弱者の上に立つ
あらゆる争いがもっと多くの悲しみを生む

そろそろ「ヒト」は、

地球を
シアワセを感じる心地のよい環境へと、適えよう

地球上のひとりひとりが揃って
シアワセを感じられる心地のよい暮らしへと、適えよう

輝く笑顔の2010年へ 
想いを叶えよう

2009年12月29日火曜日

お一人様の・・・ ~ "手当たり次第"の生姜ジャム ~

かなりの勢いで嵌っている。
一日生姜一袋位は軽く消費しているのではないか?

切っ掛けは、代謝が悪くむくみきった体を改善したくて、いつも焼く
お菓子用として必須に常備している「生姜」を大量に体内に摂らなくては、
と思い立ったこと。

材料の量から言えば「りんごと生姜」なのだけれど、味覚は完全に生姜
の "ホットでスパイシー" さが勝っている。ゆえに、生姜ジャム。

いや、作り方など厳密に言えば、「煮」であって「ジャム」迄の"達成度"
ではない。

その上、"身近に今ある"ものを利用して、そこから生まれる「適当な」レシピ。
手の届くもので、都度変わってくる=身近に今ある材料次第・・・。

ある意味"手当たり次第" は、真っ当な表現であり、"適当" なのだが、
そこは 敢えて[適当=分量・程度などが程よいこと] という国語辞書的
視点に適った解釈としておこう。

体の代謝を促がす目的で「生姜」に白羽の矢を立て、「生姜を美味しく
食べよう」と、相棒に常備している「りんご」を選んだ。勿論相性もよい。

飲めなくて残ってしまった「りんごジュース」も入れちゃえ!
1袋分のしょうがを薄くスライスし、りんごも1個丸まるいちょう切りにして、
りんごジュースで、フタもせず中火で煮ていく。それだけでいい。

これが意外と味覚にマッチした。以来毎日食べている。

りんごジュースがなくなったらオレンジジュース。
ジュースがなくなったら、お酢・・・と、キッチンにある材料で「適当」に作る。
それぞれ味わいも違って、これがまた飽きることなく新しい発見もあり
よい、のだ。
お酢だけだと流石に甘味が足りないなぁと思えば、シナモンパウダー
をふりかけ、水分が少ないなぁと思うときは火にかける前に、りんごに
三温糖をふりかけて、水分を引き出してからコトコト。
煮加減も作る度に違うほうが、返ってりんごの味わいも食感も新鮮だ。

そんなここ数日の "手当たり次第" の頂点(暫定!)を極めているのは、
「バルサミコ酢+コアントロー+シナモン」の適量、適当煮。
"りんごはざっくり大きめに"バージョン。

バルサミコ酢が煮詰まって適度な甘酸っぱさがいい。
生姜だけは「特別栽培」のものを購入しているが、りんごも意外と「訳あり」
の方が甘味があったりするので、安上がり。

量も材料もその日の"手当たり次第"から生まれた日替わり生姜ジャム、
当然毎日違うレシピ - 今や代謝の役割そっちけので「うまい」と「面白い」
が勝って・・・とにかく、嵌っている。

あっ勿論、体のむくみも減ってきた生姜効果も実感。
-"役割"も果たしていた、いた !!

2009年12月14日月曜日

お一人様の独り言  ~ シアワセの " リアル" ~

天を仰ぐとき 見上げた空は果てなくて、宙へ繋がっている・・・。

心動かされとき感情が揺らぎ深くなり静かにその思いを辿って
行き着くと、それはまた、感情そのものが、限界を知らない
拡がりの中に浮かんでいるかのようだ・・。

可視よりも、既知よりも、人知よりも、「宙」は遥か。
実態は、実体・実質ではない。

シアワセになりたいと誰もが願うけれど、
一体「幸せ」って?

「幸せ」な結婚生活って、その生活の「幸せ」は見える?"
念願の家が建ったところで、そこに住まう人が心通じずに

暮らしていても
それは「幸せ」な家?


お金持ちになると「幸せ」になる?

貨幣ですら「ひと」が決めた「思い込みのルール」。
デミノとか・・・。
そこに、果たして価値の実体がある?

  例えば、ドコカの「都」知事が五輪招致活動中のホテル
  の一泊の宿泊費は、介護サービスで精一杯心身を
  費やして漸く1ヶ月分のおよその稼ぎにも相当する程
  だとか・・・。

貨幣の対価は実質?

「幸せ」を測るモノサシって?


日々の暮らしの中で、感情が豊かになり心が温かくなれば、
自然と笑顔がこぼれ、時に涙する。

そんな人の心の状態や感情を、俗に「幸せ」という言葉に
集約している。

健やかな状態を「幸せ」というのなら、健やかであることに感謝
したいと思うなら、それは、
心が満たされているから。

シアワセはモノじゃなくて、
体の真ん中、ココ=感情、気持ち、心 にある、って
皆どこかでわっている。

そして、
きっと「体のまん中」に実態としてはないのだろうけれど、

感情や気持ちや心って、体の真ん中に"ある"と気づいている。

"ココ"は一番尊い部分=芯だ - と、
皆どこかでわかっている。

"ココ"に思いをゆっくりと辿り深めていくと、その先には無限の

拡がり繋がっていて、ずっとずっと先には一筋の光を見る様な
心地になる。 (・・・すなわち瞑想っていうこと?)

そう、あたかも宙に浮いているが如く。

・・・ぴったりの言葉では表現できないけれど、
・・・じょうずに説明はできないけれど、
皆どこかでわかっている。

- 理論はある種「ひと」が自身で納得するための
自己満足に過ぎない?

理論ではなくて「感覚」。「感性」こそが確かなる唯一のもの。


可視よりも、既知よりも、人知よりも、「感覚」は確か。

実態は実体・実質ではない。


シアワセの "リアル" は・・・   (品詞でなくて感覚)

ココ =宙 にある。

2009年12月8日火曜日

ジミでジミなる存在・・・

かつて、とても美味しくて美味しくて嵌ったヨーグルトがあった。
「トニーヨーグルト」。

その当時にあって茶色い瓶は、物凄くインパクトがあった。

プレーンやストロベリーやパイン味などフレーバーも多岐に亘り、
「ヨーグルトにキャラメル味」という意外な組み合わせがあったことも
印象的だ。しかもこのキャラメル味が、トニーヨーグルトの中でとくに
美味しかった・・・。

記憶が確かならば、 この「美味しいヨーグルト」の製造が「チチヤス」
という聞き慣れないメーカーであり、スイスのヨーグルトメーカーと技術
提携しての製造だった、と興味深く瓶の表示を読んでいたことを思い出す。
今でこそ知名度がある「チチヤス」だが、当時は随分地味な名前であり、
所在地・広島のローカル性も珍しく「チチヤス乳業=美味しいヨーグルト」
との公式が、当時の脳裏に刻まれた。

およそ四半世紀の時を経て、あのヨーグルトの味をもう一度味わってみたい。
当時の記憶の感動を、今も同じように感じられるのかと、確めても見たい。

地味な茶色い瓶への"記憶の憧憬"-あの頃の味覚官能を刺激した滋味
深き「トニーヨーグルト」。

        ☆   ☆   ☆   ☆

昨今「旨い」と感じている身近な乳製品に共通しているのは、味覚が
"おとなになった"為か、地味だけど滋味深さに安堵感を覚え「美味しさ」
の付加価値をつけているもの。
トニーヨーグルトの様に、おいしい!の「!」が付く衝撃?ではなくて、
味わって素材の良さを、じんわり味覚に感じる味わいにこそ"美味しい"
と価値をみる。

《大塚プラスの飲むヨーグルト「贅酪」》



余分なモノを感じない、"実直な"のど越し。
味幅がありながら、その飲み心地はさらりとしている。
近頃、これまで参入してない分野に進出したメーカーの
意外な頑張りが目に付くが、これもそのひとつでは?
http://www.otsuka-plus1.com/campaign/0808zrk_pt/


《共進牛乳の「ジャーマンヨーグルト(プレーン)」》

発酵乳感が好み。最も好きなヨーグルトのひとつ。
青山の大丸ピーコックくらいしか滅多に見る機会はなかった。
その上、「ジャーマンヨーグルト無脂肪」の方が売り場の幅をきかせて?
いたのも、ちょっぴり残念な傾向だったが・・・。
果たして現在も売り場で存在感を保っているだろうか?
http://www.kyoshin-milk.jp/products/yogurt/main01.html
 
  【蛇足】ジャーマンヨーグルトに共通する独特の発酵乳感で、つい連想する
      のがタカナシの「クレームエペス」。生クリームは中沢が風味も味も
      好みだが、「クレームエペス」の発酵乳感は、捨てがたい!


《湯田牛乳公社の「牛乳寒天」》



若干ミルキー感が気になるといえば気になるが、寒天の
食感がちょうどよく、コクある「牛乳味」は素朴だけれど、
飽きが来ない。
湯田牛乳のノンホモ低温殺菌牛乳の美味しさに繋がる。
多慶屋で廉価に買えることがわかり、購入頻度が上がりそう。
http://www.yudamilk.com/item/purine/purine002.html


       ☆   ☆   ☆   ☆

ヨーロッパで美味しいなと感じてきた牛乳の味わいを思い出せる。
タカハシ乳業や湯田牛乳公社など低温殺菌のノンホモはやっぱり美味しい。
比較的手頃でもある。

そんなノンホモの低温殺菌の中でも、驚く美味しさだったのは軽井沢の
ハルニレテラスに入っている永井農場のジェラートショップで 扱われている
牛乳「しぼりたてミルク」。

確かに美味しいと普段飲むノンホモ低温殺菌は流通用なのだと、ここで
飲む牛乳との味わい深さの差を実感してしまった。
今まで牧場等で飲んだ「絞りたて」といわれるどの牛乳よりも記憶に残った。

同じノンホモ低温殺菌でもこんなに違うのか、と味覚が「旨い」と言わせる。
牛乳嫌いな人にも先入観なく「飲んでみて」とオススメしたい。

乳製品、身近すぎてその存在はジミだけれど、美味しさの味わいは、ジミ
深いものなのだ。

2009年11月27日金曜日

過去の全てを知られている・・・。

来年2010年でかれこれ13年目を迎える。
浮気をする気は、ない。

何よりも年を重ねるごとに、その質素さと自由度が高い寛容さ、
そして穏やかな存在感に惹かれて行く。
懐が深い上に包容力があるとなれば、浮気をする理由も見当たら
ないではないか。

面白みがない-そんな一面もあるかも知れない。
12年も一緒で、その上ずっと変わらずこれからもなんて刺激がない、と。

いや、けれど13年目を迎えるほどの年月が、空気のような「馴染み」の
心地よさを生み、実は、そうそう簡単には見つけられない貴重なもので
あるということを、積み重ねた<時間>の『厚み』を目の当たりにして
実感するのだ。

昨年辺りから、一日一日の出来事と家計に加え体調も「吐露」するに
至った。
来年からは更に打ち明けることも増えそうだ。

この先も、やっぱり浮気はしないだろう。
何しろこれまでの全てを握られているのだから・・・。


2009年11月16日月曜日

"迷路"の空撮

壁伝いによろりよろりと歩を進めてきた目前は、
行き止まりの壁。

その大きさに戸惑い前方を塞がれたことに動揺し、
立ち止まり、その思考すら停止する。

もうこのままゴールへ辿り着けないのではないか?
焦る気持ちが可能性という選択"枝"をもぎ取り、
さらに希望という言葉を心から締め出してしまう・・・。

そんな路頭に迷う様子を空撮目線で見下ろしてみる。

行き場を失った、と思い込んでいるその立ち位置から、
半歩下がれば、
ゴールへと進む道がすぐ近くにあるのが、
見えているのになぁ。
そちらの方が実は近道なのになぁ。
ゴールへ繋がる道はいくつもあるのになぁ。

道は1つしかないと、余裕の無い気持ちが根拠無く、
決め込んでいるにすぎないのかもしれない、よ。

人生という迷路は、そのサイズは決まっている。
その迷路には、確かにゴールがあって、
しかもその道は、必ず繋がっている。

ただ、
ゴールへ到達するのに時間がかかったり、
幾度も行き止まりに当たったり、回り道したりしてしまうか
すいすいと、道を辿ることができてしまうかどうか?
の違いだ・・・。

--時には、そんな風に考えてみてもいい。

そうすれば、
目前の視界も開け、"今"の立ち位置に惑う姿にも、
「希望」が当たり、新しい可能性の標に向かって
方向転換できるだろう。

一歩踏み出せるだろう。

迷い迷っても、行く手の壁にぶつかってしまっても、
時に振り向き、あと戻りして、
今度は、違う道を歩んでみれば、
思わぬところで、ゴールへの道が拓かれていることに、
気づくものなのかもしれない。

人生という迷路は、
必ず「ゴール」に辿り着ける様になっている、と。

・・・迷路に立つ我が身を、時として、
空撮からの優しい眼差しで見守ってみようじゃないか。

2009年11月1日日曜日

お一人様の・・・独り"感想文" ~ MJ = 『慈愛』 ~

エンドロールが終わりきり劇場内が明るくなっても暫し席を立つ人は
無く静まり返っていた。
-この空気感は、初めての経験だった。

様々な思いが去来する中、通り道として劇場下にあるゲームセンター
の中へ・・・。そこに興じる人々を本当に虚しい思いでやり過ごした。
気持ちがすさぶような凄まじい音響と煙りに咽る空気が、今しがた
スクリーンから感性に訴える深さとはあまりに対照的な光景--。

心待ちにしていたTHIS IS IT 。

字幕で6.25と日付をみた途端から殆ど最後まで涙が止まらず・・・。
初めて、MJの存在(肉体)を永遠に失ってしまった喪失感の深さに
底知れぬ悲しみが襲う。

MJに合わせて若いバックダンサーたちは踊りきった後に息を弾ませて
いる中、歌い踊った50歳になるMJは、彼らよりも明らかに息が切れた
様子には見えなかったことに、また驚かされた。
ゴシップや裁判などの精神的な困憊の末?長年の不眠による多量の
薬の摂取が死を早めたとされる彼の体調を推し量ると、リハーサルでの
身のこなしのキレや線の美しさは驚異的なものがある。
10歳前後から卓越したあらゆるパフォーマンスを支えていたのは、
完璧主義のMJ自身の、並々ならぬなどという凡庸な言葉では表現でき
ない精神力と耐久力だったことは想像に容易い。
そして、尚維持し続けてきたことも、唯一無二のエンターティナーである
証でもある、と。

MJの比類なきエンターティナーの姿は、MJのファンへの想いと何より
彼自身の絶対的な誇りの表れだろう。

けれど、
MJの本質は、どうしても「慈愛」に満ちた魂であると感じてならない。
思えてという主体ではなく「伝わって」くるのだ。
6.25 以降貪る様にマイケルの曲を聴いてきた。
殊更 heal the world や Man in the Mirror、HIStory ・・・と特に
MJ の想いを感じる曲には、無条件に涙が溢れてしまう。
Thriller や Bad など一般的に一件MJを象徴するような曲よりも、自然と
「情感が伝わってくる」といった方が的確かもしれない。
あの日以後、彼は肉体と引き換えに魂からの想いを伝えたのだと感じて
きたが、このフィルムを見終えた今、改めて、奏でる音質-MJならではの
滑らかなメロディや歌詞や歌声-全てが、心の奥へと染み渡ってゆく訳を
理解した。

観るものを惹き付けて放さないほどの圧倒的な存在感と超人的なパフォー
マンスの「動」のMJは、ファンへのとっておきの彼の誠意であり、彼自身が
その感性と渾身の努力でMJを演じ続けてきたのでは?と、「静」のMJの
ピュアで繊細な精神性に、より生身の彼をやっぱり感じてしまうのだ。

これまで先入観を持っていた人たちも含めて、このフィルムを通しMJの姿
と想いをいっとき受け止めみてほしい。
そして、少しでも多くの共有した者たちが「MJの想い」を引き継ぐと思いたい。

映画作品としての価値を求めていたのではなく、MJの本質と想いを
感じたいと劇場に足を運んだので、それには、敵ったフィルムだった。
(ただ最後の意図的なメッセージ表現は、敢えて必要だったのかと
ちょっと残念な部分。MJの「それ」だけで十分だったような・・・)

        -  -  -  -  -

大抵大切にしたい曲やアーティストは、その曲と共に過去へと感情と
思い出がタイムスリップスリップするけれど、MJの場合は「今」から
明日へと、思考や注ぐべき思いが広がっていく-そんな不思議な力
を感じる。

観終わったあと、大宇宙に漂うちっぽけな自分を感じたのは何故だろう?
「ただ今」の自らの立ち位置が塵ほどに小さい事を客観する自分を感じる
のは何故だろう?

自分の足で立っている「自分自身」が、すさみ病んでいる「地球」の確かな
一部分であり、「地球自身」であることを自覚したとき、人間は、一層慈愛
を持って他者へ地球へ優しくなることができるのだろうか?

-「誰か」ではなくて、Man In The Mirror. This IS IT。

2009年10月31日土曜日

2009.10 軽井沢、秋。

 "リストランテ モデスト"
カノビアーノで修行をされた若いシェフ夫婦のイタリアン。
素材を生かした自然な味わいを引き出すことに心を砕く料理へ
のシェフの真摯な志が熱意が一皿一皿から伝わってくる。






特に野菜がみずみずしく力強い甘味が楽しめた。
ラムは軽くスモークするひと手間をかけ、特有の臭さをマスキング。
デザートはカルバドスが程よく利いたマスカルポーネとりんごのデザート
(名前は失念)。
コーヒーは、丸山珈琲ですとlavazzaのカップに入って供された。

店の雰囲気も、ナチュラルテイスト。



Terrace Sakuma




ガレットのお店 "Cachette"
若い女性オーナーが頑張っている。
平日ランチ。ランチのセットといえども選択肢もあって、1260円は、
コストパフォーマンスがよい。
タリアセン入り口に静かに佇んでいるお店。


軽井沢高原教会



この日は「収穫祭」。教会礼拝後には、お茶菓子と紅茶を
頂いて、自由参加の稲穂を使ったリース作りに初挑戦。



ほしの屋入り口バス停


ハルニレで気に入っているSAWAMURAのパン。
プチバタールと胡桃あんぱんは、噛み締める程に増す旨みが魅力的。
パウンド型のフィナンシェは、オレンジかレモンピールなどが
入っているとアーモンドプードルをよりおいしく味わえそうな・・・。



千ヶ滝



雨上がりの青空とのコントラストは特に素晴らしい。








「紅葉を美しく撮る」モードでの風景は、
赤の鮮やかさが際立ちすぎてしまった感は否めない結果に・・・。
けれど心に刻んだ紅葉に埋もれた「軽井沢の秋」の印象を色で
表現すれば、この鮮やかさそのものだった・・・。

川原湯温泉の帰りに、あの八ツ場ダム建設現場へ。
美しい山の景色にかなり違和感ある建設中の現場。

<おまけ>  最近嵌っている「いも恋」
サツマイモと粒餡の"甘さ"を山芋ともち粉のもっちりとした生地
の"食感"が包む、味と食感はおいしさの2大要素だと納得。
・・・素朴さがなんとも言えない。三芳PAにわざわざ寄ってしまう。
まさに、芋に恋してる?

2009年10月20日火曜日

お一人様の独り言 ~ ぶれない軸-『覚悟!』 ~

ヘッドが微動だにしない。
スロー再生された彼のスイングをみて驚いた。
本当に軸がぶれていないのだ。
タイガー・ウッズですら若干の上下が見られたのに。
尤もそれは、たまたまだったかも知れないが、頭は少しも上下に動かず
固定されたスイングに、彼の貫徹のプロ意識と積み重ねてきた練習量
の凝縮を見た思いだ。

今やすっかり世界に引けをとらない一流プレーヤーとなった弱冠18歳
の石川遼。

彼の確固たる「世界一」を目指す志の頑なさが、全ての言動の軸であり、
"おとな"顔負けの技術と精神と青天井の可能性を、彼自身に与えている
に違いない。志に一点の曇りも無く「一意専心」「全身全霊」「一心不乱」
「思う一念岩をも通す」等々のありったけを並べても、それら全てを飲み込
んでしまう鋼の様な信念の真っ直ぐさが、受け答えや発言に如実に表れる。

そしてそんな飽くなき向上心は、スランプでもツアー中の窮地でもどんな
時も「軸」にある。
決して目先、足元に囚われず、マイナス要素、保身の選択肢は眼中に無い。

「意志あるところに道は通ず」のことわざは、そんな直向な志に伴う
自身の行動の積み重ねによってのみなのだ、と今更ながらに思い知る。


  話は外れるが;
  そんな「有言実行」の頼もしい若者に、今の世の中誰もが人として
  の在り方に感心・好感を抱いていて、何だか"おとな"の方が悠長
  だったりモラルもなかったり。個々我が身を省みることはせず、
  ただ驚嘆し彼を賞賛する。・・・客観。

  石川遼のプレーでは度々ギャラリーの行動が大切な一打の直前に
  集中を欠く様な影響を与えてきた。
  しかし彼曰く「他にマナーを守っている人たちに対して失礼だ」と。
  確かに-18歳の彼の"真意"には、唸ってしまう「深さ」もある。
  
  (更に日本郵政の社長退任劇の会見でもカメラを止めての要請に
   応えず、マスコミだからという驕りからか、いつまでも誰かしら
   シャッターを切っていた。マナーや相手に配慮ない"おとな"達)
   

"おとな"が感心する18歳といえば、進路先が注目される菊池雄星選手。
実力と可能性はお墨付きだけれど、進路の選択基準も、彼の芯=自分
の将来像はとても明確で、ぶれはない。志の直向さは共通だ。

高校生活中黙々と休まず校舎のトイレ掃除を日課としてきたのは、
「人の嫌がることを率先してやらなければエースになれない」との
心構え故だとか。即ち「エースになる」志のために「人の嫌がること
を率先する」のが必要だという論法。
豪腕と野球への闘志とは裏腹な心優しき人柄と素直さが滲み出た
顔つきは、そんな地味な取り組みが育んだメンタリティーの表れかも
しれない。

「オリンピックに出る様な一流の選手は大抵人格も一流だよ」
そんな知人の言葉を思い出す。(そう言う本人も目指していた)

            ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

顧みると、今心が流浪しているのは、(志ではなく)「想い」を抱き
つつも「もしダメだったら」なんて人生の安全ネットを張ったり、
選択肢を残しておこうと下心を抱いているからに他ならない。

"石川プロ"に倣えば、ただ只管に「志に行き着くためにはどうすべきか」
の"ヘッド"の軸を固定すれば、自ずとゴールへの道筋を探すことだけに
注力し、それ以外一切の思いは心に浮かばない筈である。
あくまでも行き着くための思考回路なので「失敗したら」「しくじったら」
は端から頭には無い-安全ネットという邪な下心が生まれる隙も無い-
筈である。

と理解し納得したならば、「想い」から更に一歩『志』へと軸を定めよう!
その『覚悟』が必要だ。

"今から"の人生に覚悟するぅと。いや疑問符の付く様な余白を作らずに
ビックリマークを付けるくらいの強い志があって初めて<軸>が固定する。

そう「言い切り」が大事。
同時に「言い切り」という有言実行で追い込まなくては。自身を。
-それが『覚悟!』

             ●   ●   ●   ●   ●

ところで・・・;

昨夜は夜中12時過ぎオリオン座流星群がピークで、流れ星が見られる
絶好のチャンスと、暫く東京の夜空を目を凝らして眺めた。

ほんの瞬く間、一際輝いた光が線を描いた途端に消えた。ドキッとする。
あぁ今のが流れ星っ!

-願いなんてかけられなかったなぁと思いが過ぎる。

あれっ??!! 
・・・やれやれ。

『覚悟!』した筈じゃぁ・・・???

2009年10月4日日曜日

お一人様の独り言  ~ 鈍感力-"自然体"のなせる技?! ~

鏡を覗き込み、瞬き1回分逡巡・・・紅を引こうか、と。
-しかし、このまま帰るだけという「ものぐさ」が勝った。

"わだ家" の帰りに立寄ったグランドハイアット。
ロビー全体が薄暗がりなのは格式の演出のひとつだろうけれど、
「化粧室まであんなに暗いとできる化粧もできないよ」-ものぐさ
都合の言い訳を正当化。

こんな逡巡があるときは、大抵あとで「あの時していれば・・・」
というのが常である--。

「"わだ家"の食事は中々だった」と食べ過ぎたことをきつくなったウエスト
周りに改めて感じながら、欅坂を麻布十番へと向かって歩き出したのは、
10月初めの夜10時頃だった。
 (わだ家の感想は「食べログ」に記載 → http://r.tabelog.com/tokyo/A1307/A130701/13040282/dtlrvwlst/1219290/

--欅坂の歩道に沿ってバンが数台並んでいた。
「へぇ、女性誌の撮影でもしているのかなぁ」。漠然と思ったものの、
すぐに帰路を案じ大江戸線の時刻表が頭を過ぎり頭の中で"ルート検索"。

・・・気づくと外人を含めた5~6人の男性達に前を塞がれた。いや、正確に
言うと心ここにあらずで歩いていたので、どうやらいつの間にかその"集団"
に行き着いてしまったのだ。そして、その中に明らかに朝TVで見ていた顔。

「・・??? もしかして?」
そう感じたらその"顔"に尋ねていた。
「・・・ですか?」
"Yes" とニッコリ笑顔。
本人と隣に居た大柄な日本人の関係者が同時に肯定。

いきなり直面したこの状況にうろたえつつ、千載一遇とはこのこと ?! 
いつもは決断力がないけれど、この時ばかりは「サインしてもらって
いいですか?あ、あと写真を一緒に撮って貰ってもいいですか」と、
思わぬ幸運に、"サイン""写真"と常套句を口にしていた。

"Yes. OK" と快く笑って応えてくれたスムーズさに返って動揺。
会話を交わしながら握手をして貰う。
隣の日本人の関係者にも念を押したところ、
「本人がOKといっているから いいですよ。早めに。」
慌ててメモ帳より先にデジカメを取り出す。
その関係者がシャッターを押してくれた。
本人は急かす様でもなく、友人とでも撮るが如くの距離感でデジカメ
に向かって納まり、一緒に撮れたての写真を確認してくれた。
"Thank you so much!" と懐深い対応に気持ちを込めて繰り返し
礼を言った。
彼は他のメンバー達と共に暫く「本番」待ち状態のまま。

メモ帳が見つかり、大胆にも改めてサインを貰いに行くも、再び
気さくに朗らかに対応してくれたのだった。

大江戸線の時刻表が気になりつつも、その集団に気づいた
通りがかりの人とともに、「今そこに居る」現実を共有。
漸くカメラセットが整い、本番へ移動した彼らのパフォーマンス
を遠巻きに見守りながら、一連の出来事を反芻していた。

「あぁやっぱりあの時紅を引き直していれば !!」。
"あの時"の判断を省みる。
千載一遇のワンショットにほぼ素顔に近い状態で撮ったのだ。

いやしかし、"気づいたらその人達の只中にいた" という余りに
鈍い自然体が齎したひとときこそが、明らかに稀有な出来事であり、
ラッキーなことなのだ。
<この時サインや写真を一緒に撮る様子は他に無く、居合わせた
女性にも、とても馴染んでいましたよぉと羨ましがられた。>

彼の、等身大の親近感を感じたワンショットとサインは、 紛れもなく
(たとえ素顔であろうとも)「とびきり」だ。

 

持つべきものは、「デジカメ、メモ帳、サインペン」、そして「鈍感力」 ?

2009年9月28日月曜日

2009.9 Canada  ~ 風景・Landscape ・View ~

上空(機上)から、その感動は始まっていた-。
Canadian Rocky を眺め、これからの旅に期待膨らむ。



夏の盛りを過ぎた滞在だったが、所謂 Indian Summer の只中で、
永年地元に住む人達すら驚くほど季節外れの暑さと快晴に恵まれた。

Banff の町 

Cascade Moutain と Banff の町



Banff Gondola

Banff の町から市バスで20分ほど行くと、360度視界良好 !
の思わぬ絶景を堪能できる。
天候に恵まれたので、絶景の見事さは期待を遥かに超えていた。
ゴンドラで Sulphur Mountain の展望台へ。


Banff の町、Tunnel Mountain 、Bow River などが
一望できる Sulphur Mountain の頂上から。



展望台から更に 遊歩道 を歩けば Sanson's Peak。
地球がまぁるいと実感できる。
-果てなく広がる真っ青な空に月が浮かんでいた。
(写真では中央。残念ながら小さい染みの様にしか映っていない) 


 

Bow Falls

   



Cascade Gardens

偶然出くわしたPark Warden Service の 100周年のパレード。


Cascade Gardens から見たBanff Ave.


Castle Mountain
- 見る角度によって表情を変えるという。




Crowfoot Glacier


Bow Lake


Peyto Lake
何とも美しい湖の水。まさに「水色」。とても魅力的。


Saskatchewan River Crossing にて。
窓に映リ込む山並みが見事 -素晴らしい天気の証。





Columbia Icefield ~Athabasca Glacier

Brewstar とParks Canada が、貴重で壮大なこの自然
への畏敬をこめて、景観と生態系など環境の保護を、
旅行者へ喚起する活動の一環として催行している。

道の向こうの氷河の近く迄シャトルバスで行き、
スノーコーチに乗り換え氷河へ。

1万年前の氷河の上を歩くことができる。
Indian Summer の証か?氷河の向こうから生温かい風。
地球温暖化ってこんなところでも?と。



Weeping Wall
 ポーズ?を決めている烏。

Bow Lake


Vermilion Lake




Lake Louise
2日に亘り参加したそれぞれのツアーの行程に入っていたので、
2度訪れることができ、やたらと撮ってしまったのは性質ではなく、
「絶景」ゆえ!? としておこう。


Chatau Lake Louise と窓から見たLake Louise


Moraine Lake

心を奪われるほどの美しさ。この場所でのランチは素晴らしいひととき。
波打つこともなく水面に景色が映るのは極めて珍しいとか。
最も印象に残った風景。


惑星ってこんな景色なのだろうか?宇宙の一部に居る幸せ。


Takakkaw Falls


Natural Bridge
積年の水のエネルギーはスゴイ。水の勢いが石を削って「橋」を作った。


Emerald Lake


Banff で滞在したIrwin's Mountain Inn は、
ホスピタリティあるスタッフの居るホテル。


※ Canadian Rocky では、心が動くままに撮りためてしまい、
  記録と記憶が曖昧なところが・・・。

Vancouver

Capilano



English Bay Beach


Stanley Park
広大な面積(日比谷公園の10倍とか)の本の一部を3時間近く
かけて歩いてパーク内の樹木や池、ハーバーを望む景色などを
楽しんだ。生憎くデジカメで撮らなかったので・・・
 http://www.seestanleypark.com/


Victoria

Batchart Gardens

 

紅葉(黄葉)の気配がまた美しい。


                  ●   ●   ●

見惚れる景色を眺められる幸せに気づき、自然を育む地球という惑星に
思いを馳せる-。

Canadian Rocky では、悠久の時を経てきた地球が、真っ青な空に続く
果てのない宇宙へと繋がっている荘厳さと無限さを実感し、

Vancouver Victoria では、地球が育む自然の営みの中、豊かな樹木と
花々は、ただひたすらに「生きてきている」真実を目の当たりにする。

そして、人は・・・、
その地球に生かされ、自然と共存することを許されているに過ぎないのだと、
検めた「旅」だった。