2008年11月22日土曜日

"逃げ水"

子供の頃、大人(おとな)は、すごいんだなぁと思っていた。
分からない世の中の仕組みを周知していて、そしていつも
真っ当に社会を作って居ると思っていた。
完璧だ、そう勝手に思い込んできた。

果たして・・・実際学生を経て、成人式を経て、社会人
生活を続けてきたけれど、
すごい"おとな"って? おとなの作る世の中って?

詳らかにならなければよい、分からなければよい、
皆がしているから構わないという判断基準や、法を
犯してさえいなければという、最下限のぎりぎりを
正当化する人が後を立たない。
そうかと思えば、聞き手側が見苦しいと感じる程あから
さまに責任逃れ(責任転嫁し)や詭弁を弄する。
そしてそれは、政治家や企業のトップに結構いたりする。

道徳や道義に弱く、法律という俵一杯に、四隅の隙間
に、常識やモラルの基準を持つ人々が、社会の牽引車
(者)であったりもするということだ。

もともと法律というのは、暗黙の了解の常識やモラルで
判断ができない場合の客観的判断基準としてあるものだ、
それが"おとな"社会の基準なのだと思っていた。

日常の生活の中でも、昨今、稚拙で利己的で、そして
多くの人の理解や常識の判断を超えた出来事(しかも
不幸や不条理)が、とても悲しいことではあるが、
当たり前のように起きている。

それは余りにも簡単に、ごく普通に暮らす人々を騙し、
欺き、殺め、逃げ、そして何より自身の人生の以後一切
の破滅に対する想像や思考を放棄して、短絡的に束の間
の満足や一時の都合だけを追求したものだ。

たいていの場合、それは「お金」を得る為に、であり、
自身の感情のはけ口で、あり、時に身勝手な思い込みで
あったり・・・。

束の間でしかない自己満足-大金を得た先に、欲の果てに、
いったい何があるのだろう?いったい何が残るのだろうか?

不必要な憎悪と悲しみと虚しさと不安と・・、人とのコミュ
ニケーションや社会をマイナスにすることしか生まない
"おとな"の衝動。

結果として、社会の循環が悪くなる。
社会の健全化のために、通常の生活を送る人たちの自主性
(自由)に対して不要な規制や制限(その為に税金も投入
されることにもなる)を要する。

誰でも、世の中、のびのびと穏かな心通う環境でありたいと
思うものではないのだろうか?
マイナスに注ぐそのエネルギーを、プラスのベクトルへと向け
られれば、どんなに居心地よい社会になってゆくだろうか。

-子供の頃抱いていた「社会」というものは、法規制に委ねる
のではなくモラルに適って判断でき、人情と信頼の中で関係が
成り立ったプラスベクトルをもった"おとな"がいっぱいだと、
思い込んでいたんだなぁ。

いつまでたっても"おとな"には辿り着けてない。
あたかも、[逃げ水]の如く-。

残念ながら"おとな"の作る世の中の実態は、思いの外、
危うくて無責任なものなのかもしれない。

けれど、
十分に"おとな"としての時間をすごしてきていること
を考えると、[逃げ水]に追いつきたい、と思う。

できることはとっても小さいことかもしれないけれど、
プラスベクトルを意識した"おとな"のひとりになろう、
そして、そんな思いをもつ人たちで満ちる世の中に向
かっていければ、と切に願う。

2008年11月18日火曜日

とんぼと<めがね>




バルコニーに出て、無造作にふとんを取り込もうとしたら、
陽日を浴びてぽかぽかのそのふとんの上に、赤とんぼが
羽を休めていた。
とんぼが、しかもすぐ目の前に、の状況に思わず「びっくりした!」。
でも、これが不気味なアイツだったら?
あたかも幽閉されたどこかの国の王女が助けを求めるがごとく
近所に響き渡るほどの悲鳴を上げていたかも知れない。

同じ昆虫なのに、とんぼには、その存在にほのぼのした気持ちに
なるけれど、不気味なアイツだったら、許せない、ふとんカバーは
もう使えない!と不快に感じてしまう -全く感覚が違うなぁと、
極めて接近してみると案外とグロテスクなとんぼをみながら
(だって全く逃げないんだもん)、つくづく、先入観や既成概念と
いうものの見方<めがね>の不思議を考えた。

やっぱり【意識】や【気持ち】次第で、「同じ状況」でも幾通りにも
解釈が変わるものなのだ、固定概念を一旦外そう、と・・・;

そんな思いで<めがね>をかえて、[人の人生の尺度]について
ふと考えてみた。
たとえば、顧みると、生まれて以来の歳月からすると"若い"という
言葉は最果ての昔。
それでも、心の在り方を含めた心身を考えると 人生の旬、それは
今なのかもしれないと、思えてきた
  社会的<めがね>ではないと、時に心弱くなりながらも。
  人それぞれその山の高さは違うだろうから、決して高みある旬でもない、が。

ただ人が生きる中で最も尊ぶべきものが、今迄になく実感として
『心の質』にシフトしてきた。心の質を高め幅を膨らませたいと、
心がけを意識するようになってきた。
  身体的にもこれ迄以上にバランスがとれたこと-最大の課題だった
  1年半の悲壮感の根源から漸く脱出できたタイミングと重なる。

こんなに心身を見詰め直した時期はなかったと振り返る。

かつて、信長の時代、人生は50年だったといわれる。
そして現在、平均寿命は延びて日本人の場合は80歳を超えている。
人々の暮らしが便利になって必要以上の体力を使わなくなった
から、生涯体力消耗がのっぺりと延びたことも一因かもしれない。
(まるで省エネの電球みたいに消費が少なくなって・・・)

信長の時代の25歳と80余年の寿命時代の40歳は、人生半ばという
意味では、人生尺度の折り返しポイント-「若さ」が同一尺?

  一国を率いる各国の大統領や首相だって40代は若いという印象。
  世の中を引っ張っている人たちだって、その多くが、折り返しポイント
  を過ぎてからだ。

  12年のブランクから40歳を前にカムバックし無事優勝を果たした女子
  プロテニスプレーヤーも、一般的な「若さ」の<めがね>からは、遠く
  なっており、体力的な衰えはあるにせよ、それ以上のものをメンタルと
  総合的な経験がカバーしている。

・・・とすれば、世の中的にも「若い」は過去だと、恐れることはない?!
第一、一般的には若いということ=歳月の長さだけであり、人生時間
の過ごし方によるや幅広さではない。
旬というのは、これまでの経験や人生の時間を熟成した頃合い、即ち
 《旬≧若さで はあっても、旬≦若さ ではない》 だろうし・・・。

“Impossible is nothing” とか"限界は自分で作る"とか"想いは叶う"
とか - すべてその可能性とその答えは自身にあるということだ。
などと、考えてみると、「今が旬」という感覚は、強ちおかしな自己意識
でもないのかも知れない、とほんの少しポジティブベクトルが太くなる。

《旬=物事を行うのに最も適した時期》 と辞書にあるではないか。
人生の旬を磨こう!- 想いを敢えて言葉に出すことも大事な意識だそうだ。
              ★ ☆ ★ ☆ ★   

晩秋、日向ぼっこのとんぼは、柔軟な<めがね>をもつ大事さに
改めて気づかせてくれ、そしてメンタルチャージをもたらしてくれた。








2008年11月10日月曜日

てんこ盛りSaturday! (その2) 

豚大好きと言うことで、一度行きたかったローブリュー。
とっても店に行き着くまでがややこしい場所にあって、
期待と衝動が焦らされる。
漸く辿り着き店に入ると、なんともいえないよい雰囲気。
フランスの小さな町の店に入ったような・・・。

本日はローブリュー入門編だったので、
まずは田舎風パテと、ブータンノワール(大好きな品。
特に豚料理専門店で食べてみたかった)。
当日の料理としての白金豚肩ロースのグリエ。
その他、山羊チーズのサラダと温製ポロネギ、
ガトーバスク、キャラメルのジェラート、締めくくりに
コーヒーをオーダー。
全体的に期待に違わず一皿一皿豚っておいしいっ!
と頬ばって、改めて表情が緩む満足感

"次来た時食べるのは・・・"と目の前の豚料理を堪能
しながらボードに踊る沢山のメニューに気が行っていた。

田舎風パテは、
よくありがちな妙な臭み・脂っぽさを
全く感じることなく、チェリーのピクルスとの相性もばっちり。

ポロネギも柔らかな甘味が十分詰まっていた。

山羊チーズのサラダは、
薄くスライスしたサワー種のドイツパンにのって、
そして、今が食べ頃だよといわんばかりのトロッと
溶けたまさにその状態で供される。


ブータンノワールは、血のソーセージという特徴を
だしながら、臭みを取り旨みを引き立てる香辛料
が活きたバランスで、とても味わい深かった。
肉に刺してあるニンニクが口に広がる肉のおいしさ
を演出。
白金豚は脂身も甘くて絶妙の火入りが肉の柔らかさと
ジューシーさを生んでいる。添えられたグレービーソース??
も肉にかけると、一段と肉を甘くおいしく食べられる。
いずれも、コストパフォーマンス高い。
メインの肉料理は、予めシェアの形で提供してくれたが、
このバランスでちょうどよく、おいしさを堪能できた。

キャラメルのジェラートもしっかりと砂糖を焦がして-
という「キャラメル」の原点をしっかり味に再現している。
しかし若干コクに欠けるのはクリームを使用していない?
とベロメーターがはじき出す(当たっているかどうかは定かではございません)
ガトーバスクは、これまでのガトーバスクとはちょっと異なる。
このケーキにも使われているクリームにもややコクがない感じで、
最後にオーダーしたコーヒーに出てきたのも牛乳だったし、
理由はその辺?と思ってみたり。。。


しかし、ちょっぴり残念なのはスタッフの対応。
それでも「サービス(奉仕)料」には些か戸惑う。

料理がよくて、雰囲気のよい店なだけに「人」の部分で、
とても勿体無い印象ではあった。

・・・けれど、やっぱり暫くしたら「ブタ食べたいブタ!」
衝動に駆られるのだろうなぁ。
   
  
- ☆ - ☆ - ☆ -

ついでの「週末」 - <やってみればできた・・・>

自宅から浜松町まで歩けてしまった。

当初はチャリでと思っていたけれど、
ちょうど雨が降り出したこともあり、
そして
昨日の豚三昧の食欲に、若干の懺悔もあり。

いけるところまで行ってみて、疲れたら電車に乗ろう、
- そんな気軽な気持ちで、歩き始めてみたら、
案外疲れることもなく、松屋銀座のB1で美味しい玄米
おにぎりを扱う「十石」で玄米おにぎりを買い、
途中でカフェに寄ったり、ファンケルで発芽玄米をget
したり、と、街を歩くことを楽しみながらおよそ2時間
ちょっとの長めの「お散歩」で過ごした雨の日曜日。
やってみれば出来ちゃうものなのですねぇ。

2008年11月9日日曜日

てんこ盛りSaturday! (その1) 

ブタが食べたいブタ!- の欲求から,まず土曜日の予定は埋まっていった。
そして、夜の予約時間から逆算し「充実土曜日」を構成・・・。

逆算 1 K先生に乳がん検診を受けに行く

逆算 2 診療時間に余裕もあったので、病院のあるあざみ野の隣、
      たまプラーザの興味あるカフェへと食べ歩き癖に好奇心が煽られた

結局、この「充実土曜日」の行程は 
    カフェで安堵、検診で安堵、ブタで満腹 のコース。
    ⇔ ブタで満腹の、”真打”夜予約をした店のことは、次の(その2)ブログに。


1 [医師K先生]

これまでもそしてこれからも、きっと最も信頼の置ける先生であり続ける。
医師として以上にその人となりに、全幅の信頼を置いている。

「こんにちは。先生ご無沙汰しています」。診察室にはいった。
2時間半ほど待った末、1年半ぶりのK先生。
「こんにちは。お元気でしたか?」。いつものやさしい笑顔。

  2時間半も待ったのは最近のピンクリボン運動の啓発もあるらしい。
  (とはいっても、いつも1時間半は待たされてることはしばしば)

一通りの検診を終えたところで、「平成10年からいらしていますよね」
とカルテを見ながら仰った。そうか、もう10年通っている。
ただ乳がんの検診を受けるために。
元々乳腺症気味だったが、5,6年ほど前の検診では、もう少し詳しく調べましょう
と診断された時のこと、。
さすがに動揺していたら「大丈夫ですよ、もし何かあっても私が必ず治しますよ」
としっかりと目を見て、柔らかい表情で仰ってくれ、その言葉に、もっと泣きそう
になってしまった
あるいは、1時間半掛けてきていることを判っておられるので、外出のため一旦
ご自宅に帰られたのに、わざわざ戻ってきてくださり、検診をして頂いたことも
あった。

   乳がんは、生活習慣を改善すれば予防できるというものでもなく、誰でもが
   その可能性がある以上、とにかく自主的に検診をうけるとか、自己診断を
   怠らず、なったときの早期発見しかない、という現実を、最近のピンクリボン
   運動で広く知られるようになってきたが、K先生は10年前から、「多くの人が
   受けてくれればいいんですけどね。若い人でも随分増えてきましたよ。」と
   懸念されていたっけ。

数多くの病院・医者はいるけれど、全幅の信頼を置ける医師に出会うことは、
本当に稀なだけに、1時間半かかるけれど、唯一無二のかかりつけ医である。


2 [the Early Bird Cafe] 

15年あまり昔、あざみ野に住んでいたことがあった。
この頃は藤が丘のパンドコナや、たまプラーザの徳多朗によくパンを買いに
行っていた。
その徳多朗が出したcafé、"the Early Bird Cafe" がお目当ての店。


店内はさしずめF.O.B COOP に似たシンプルさ。
とても居心地のよいcaféで、パンは勿論だが、ピザなどその他の
フードメニューどれもがおいしそうだった(隣のテーブルの人が美味しい!
とスタッフに絶賛もしていたし)。

今回はスコーンのセット。 -そう、その後のブタが控えているのだ!-
これも自家製ジャム2種類にドリンクがついて700円。
とても満足度が高い。 



大好きなウエストのスコーンセットが1000円以上することを考えても、
すご~くコストパフォーマンスがある。
スコーンの素朴なおいしさは徳多朗なので、当然なのだけれど、
徳多朗の奥様の手作りの評判のジャムが、更に素朴で温かい味わい。

それが2種類選べて、ボリュームたっぷりであまったらもって帰りたいほど。
人気の杏ジャムは、グリーンレーズンとオレンジの皮が入っていて、ビター
マーマレード好きなものにとっては魅力的。直球jの杏ジャムを期待すると
やや趣は異なるが、ユニークなおいしさ。具材感は抜群。

ミルクスコーンは大ぶりだけれど、粉(フランス産との説明あり)の質が
よいからか、粉が重くなくて意外に口どけのよい感じ。どっしりとした
腹応えはない。
素のスコーンのおいしさを味わうには、トッピングのジャムのボリューム
が多過ぎるきらいはあるけれど、それぞれ単体がどれも捨てがたく、
見た目にもおいしいだろぅオーラ全開なので、OK。

スタッフの誰もが気持ちよく挨拶をし、丁寧にメニューを自分の言葉
で説明できる。
皆がこの店で働くことを楽しんでいるような立ち居振る舞い。
その場で客として過ごす時間がとても心地よい。

誘惑に負けて、レジで支払い時、一体いつ食べるんだ?と自問自答
しながら、ついつい2つもパンを買ってしまった・・・。
ベーグルはボリューム一杯で、弾性も程よかった。
またアーモンドとこけももの酵母パン、これはコストパフォーマンス120%?!
ぱっくり開いた口からクリームチーズが覗いていたが、それは恐らくキリの
ポーションを1個丸まる入れちゃった?というくらいのたっぷりさだった。
そしてこけもも(クランベリー?)もアーモンドも、その名称を付けたいが
ために入れた、といった陳腐さではなくて、"これだけ入っちゃったんだから
この名前をつけなきゃ他につけようが無いでしょ!" 的な勢い。


いずれも購入した翌日に食べたので、若干風味が落ちていただろうけれど、
出来立てを買って、マグカップに入った香りよいコーヒーか紅茶と一緒に、
とまた次に来ることが楽しみなシアワセな"the Early Bird Cafe"。















2008年11月5日水曜日

CHANGE の 瞬間 

後世の人々が、2008年11月4日を「ターニングポイントだった」
と振り返って語ることがあるかもしれない--。

バラク・オバマが次期アメリカ大統領に確定した日。

  "CHANGE" 
  "YES, WE CAN"
発する言葉に力がありリズムがあり、そして間の取り方の
絶妙さがある。演説が上手いと評されることに納得する。
「人心を掴む」力、カリスマ性、そして近年の各国指導者
を眺めても感じないような、柔軟でバランス感覚を備えた
ながらも存在感のある佇まい。さらに実直な印象。顔つき
がよく、とても魅力的だと、アメリカ大統領選の番組を見る
度に感じていた。

4,5年前クリントン前大統領の来日時、彼の講演を聴く機会を得た。
抽選だったので当たったときは万難を排していかなくては!との勢い。
ホテルオークラの中規模な会場に現れた彼を見たとき、オーラを感じる、
というのはこういうことなのだろう!と体感。適当な言葉で表現できない
のがもどかしいけれど、「存在感」が色彩で表せることができるなら、
力強く品位のあるゴールドにちかい黄色。赤や緑ほどきつい色ではなく、
その人と周囲が明るく強く感じる色。彼の場合は、全体的なスケール感を
漂わせていた。講演の内容も単なる一国の大統領であった視点ではなくて、
また日米間の関係を語るときも、世界観を軸にしたものだった。・・・翻って
日本の首相って(代々)、ちっちゃいなぁと、流石世界を牽引してきた国の
リーダーと経済大国ニッポンという立派な?国のリーダーを否が応でも
比較してしまったものだ。
[そしてその比較は、今日ますます大きな差となった]

オバマ次期大統領へ期待するアメリカ国民の明日への
希望を託した思いの強さと、目標を共有したときの一体感
(結束力)のパワーと、ポジティブマインド?の国民性を
目の当たりにし、
その臨場感を味わってみたいと感じた。
あの熱気を生み出せることを羨ましくも思った。
(即ち、一方で日本では、国民が同じような閉塞感を抱き
萎えた感覚に陥り、立ち直る気力すら失いかけていると
感じてならない)

  勿論報道は、現実の一部を切り取って拡大しているという事実を

  踏まえなくてはならないが、それでもアメリカのダイナミズムを世界が
  十分に感じたのではないだろうか?とやや大袈裟に思う。

勿論、オバマ次期大統領の力量の程は実際未知数だし、
彼への絶大なる期待は今後の彼の成果のハードルを
また一段高めただろう。

さらに経済状況のみならず貧困格差や戦争、環境問題と
世界全体が、恐らく戦後最も閉塞した状況の時代の中では、
牽引者アメリカの大統領として、その責務は従来の大統領
以上の役割と期待という重圧を背負ってのこと
となる。

けれど、
彼の掲げる人種を超え、政党を超え、信条を超え、
相手の立場を理解して、目指すのは自国アメリカと世界の
建て直しと発展だというメッセージは、

言葉にすると平凡だが、実社会では、人々の"区別"意識が、
依然根強く蔓延していることを示していると同時に、
大きな
目的に向かう為に必要なものは、
私利ではなく個々の心構えと意識であることを、敢えて

覚醒し促しているのだろう。
 

彼の大統領の資質や経験の浅さを問う声も当然あるが、
少なくとも人心を得る力(若いときよりも寧ろ現在の彼の顔

つきが良くみえたのは経過に適った生き方と経験をしてきた
のだろうと想像する)と、それによって大多数の国民が、
現実を嘆くばかりではなく、 まず踏み出すのだという
エネルギーを持って、明日に賭ける気構えを抱かせたこと
こそ、素晴らしいと感じる。

翻って

日本で、与野党のえらいひとたち??の発言を聴く度に
うちの党は○○で、あっちの党は××ですよ、等々言い合っ
ていて、虚しさが募る。日本って明日があるのか?と思う。

枝葉末節な議論を講じてその言葉に、ダイナミックなパワ
ーを微塵も感じない。国家を感じない。
日本の向かうべき方向を指し示し、国民を巻き込んでいける
人的魅力を持ち併せた人物を久しく見ていない。

<国民一人一人が「今」を変える可能性をもっているという確信と
エネルギーを持ちたい>

初の黒人大統領という取り上げ方、事実だけれどフォーカス
し過ぎることは、潜在的な区別感覚がぬぐえない人の業
(ここ日本にだって色々な尺度の区別ある)という側面での
余計な懸念を想像したくない。
今までにない警備体制になっているといわれる状況を解いて
いけるような社会であってほしい。
彼のメッセージに共感・好感を持つ大多数のアメリカ国民と、
世界の流れの新しい価値観への、change を止めるような

事態は想像したくもない。

今回の大統領選でもネガティブキャンペーンをはった
マケイン氏は結局自らの勢いを失う結果を招いている。
(特に閉塞感=ネガティブな感覚を抱きやすい時期)
だれも相手を非難して上に立とうとする者に、リーダーシップ
を望んでんではいないのだ。

オバマ氏の国民への勝利宣言の演説(アメリカ国民でもないのに、
なぜか涙が出そうになってしまった)は、舵を取る自身と舵を漕ぐ
国民ひとりひとりへの「一緒に歩む」自覚と覚悟を改めて促しつつ、
皆がどんな困難も解決できる力を持ち「実現するのだ」という
メッセージでもあった。
ひとつの理想を掲げ、民を束ね、迷わず信念を持って道を貫く
その力強さに、アメリカ国民が支持したのも至極当然の成り行き
だったのではないか?

   実直で「心の向上」の心がけの生き方こそが、こころ豊かな世界をつくる。
   そういう価値観が尊ばれる世の中に向かってもらいたい。向かわせたい。
   その先導者でもあってもらいたい。

バラク・オバマ次期大統領と、彼を選んだアメリカ国民に、
そして、
全力で任務を全うできうる環境(ケネディの様なことなく)下で、
圧倒的な勝利を収めた直後に演説した国家像・世界観への
実現を目指す大統領に、
ポジティブな希望を込めてエールをおくりたい。