2008年10月27日月曜日

ミクロが欲するマクロの食事

玄米が大好きだ。
世の中で唯一食べる「食物」と言われたら"玄米"
と答えるかも知れない。
いわゆるマクロビオティックやビーガン食も好き。
おいしい、と感じる。また食べたい、と思う。

もともとはしっかりした味付けの食生活の中で育って

いるので、確かに一般的に薄味だったり味気ないと
言われるのも十分に解る。
けれど、玄米を主としたこれらの食事は、旨いと極端

に感激するようなものではないけれど、素材が持つ
味わいをじんわりと感じて、つくづく旨い、と気持ちが
ほっとするのである。

恐らく多くの人が実感しているように、野菜は顕著で、

俗に言う「本来持つ味」を実感する機会も多い。

玄米や雑穀は、噛み締めるほどに素材の持つ栄養分
甘みや旨みとして感じられるものだ。
いわゆる「粗食」と一括りにされる食事には、食べ物

本来の役割-養分を体に取り込む-をしっかり
「咀嚼」して「味」として受け入れる本来の食事の姿を
表しているだろう。

瀟洒なレストランでの食事-美味しい!! と顔を

ほころばせながら楽しいひと時を過ごすこと-も勿論
好きだし、その時間と空間も心地よい。
  異空間に身をおくことも時に大事だし、気持ちの贅沢
  だって、心を豊かにするには必要なことだもの。

見た目も鮮やかなお皿の上での演出に期待が膨らみ、

口に運ぶとその中で作り手の技術が光る、繊細だったり
力強かったりする味わいは、美味と思える感覚をとても
幸せに感じる瞬間である。

しかし、
玄米や雑穀などのいわゆる「粗食」は、経験を呼び覚ます

感覚的な「食べたい」という衝動ではなくて、体が食べたい、
とじんわり訴えてくる「食」のように思う。

強いて「経験」を使うならば、太古の昔からの人類の経験が

"じんわり"ミクロレベルで覚えている、と言えるかも知れない。

体が欲する、という表現がよくわからなかったが、玄米中心
の食生活を続けていると、なんとなくその意味が理解できて
きた。体の内側からの声を聞ける、そんな気にすらなる。

今の食生活はどっぷり玄米中心とは決していえないが、

玄米を主にした食事生活の中では、大好きな甘いデザート
やお菓子類への食指が鈍り、食べたい衝動が鈍化する。
そして、そこはかとない安堵感が滲み湧いてくるから
不思議だ。
 (とは、言いながら、これを継続できればいいのだけれど、

 体の声を聞く前に、視覚的・記憶的・習慣的誘惑に勝てず、
 なかなか継続できないでいる・・・)

素朴で味わい深い旨さを体験したとき、造り過ぎない
重要さを知り、きっと大地の偉大さと大切さを実感する
に違いない。
自然の豊かさに感謝するに違いない。

  高校生の頃尾瀬の散策後の遅い昼食時に食べた宿泊した宿の

   おばさんが持たせてくれた握り飯の美味しさは、まさにそんな感動
   に似ているだろうか。
   シンプルが一番!と純粋な幸せを味わったひととき。

昔行った自然館はまだ渋谷のお店は健在みたいだし、
チャオマクロビオティック、エクリュやみどりえや、九州
のディア、そしてナチュラルハーモニー(日水土!も)、
元気亭は、比較的お手軽に行ける。
Brown Rice、つぶつぶカフェ、eat more Greens 、

cafe Eight など、挙げれば切りがない。

cafe など雰囲気も味わえ、気分によって使い分けられるし、
チェーン化している野の葡萄のビッフェも人気が有る
みたいだし、
最近はこうしたコンセプトの店が増えてきて嬉しいかぎり。

マザーズやクシガーデンのデザートも一般的美味しさとは
違うかもしれないけれど、食べたくなる。たくさん、たくさん、
子供たちが家庭でも外食でも粗食といわれる食事をして、
咀嚼力と、『素』の味わいを感じる味覚を育てていって食の
本質を体で覚えて貰いたい。

肉質がよくなるようにとビールを飲ませた牛、ホエーを

与えた豚など、味がよくなるのは餌にありという「当たり前」
を、その肉を食して初めて、食べ物が体を造るという定義
にハッと立ち戻る。

素材の旨みを感じえることの喜びとともに、食生活が粗食
の定着すると玄米などを「体の中から欲する」様になる。
体の細胞、つまりミクロから、マクロ(ビオティック)に準じた
食事が食べたいという感覚になっていく。

食への不安や関心が高まる昨今こそ、提供する側の営利
ではないモラ
ル、消費する側の単なる安さだけではない質
の選択を見直し、食の本質に向かい合いたい。

 食のことから、みんなで「まっとうが機能する」世の中にしていきたいなぁ。

そして、これを契機に
本当に旨いを感じる味覚をはじめとする五感も磨き、また、
食物とヒトという関係を質してみるときなのではないだろうか?


2008年10月15日水曜日

愛しき「鉢入り息子」

かれこれ一緒に棲んで7年弱になる。

かける"思い"が"重い"のか、時折過剰に注ぎすぎた
愛情が重荷となってしまうようだ。
「ガジュマル」 - 彼の名はガジュマル。
実のところ、性別は定かではない。が、敢えて「男」
としておこう。

"多幸の樹" "幸福をもたらす精霊が住む"
そんなタグがかかったガジュマルを花屋さんで
見つけたのは、今の住まいに越してすぐ。
この引越しで飛躍したい、なんて願掛けを
彼(か)のガジュマル君にもしたのだ。この歳月、
幹が太くなったとか鉢から大きく成長したという
ような形跡は余り見られず、ただ青々とした
葉っぱがしっかりとついている、そんな状態。  

-それは、この夏、ちょうど軽井沢から帰宅後の
8月中旬だった。
(返事をするわけのないガジュマルに)「ただいま」
と声をかけて鉢を見るとハラッっと葉っぱが落ちた。

え??軽井沢に赴く前からやや葉っぱに生き生き
した感じがなくハリも無くなっていたけれど・・・・。
すこし葉を触ると、更にまた1枚・・・。

まずい、またやってしまった!!

・・・そう。
要らないよぉと言えないガジュマルは、過剰な水のやり
すぎへの抵抗を葉っぱの状態で、懸命に訴えていたのに、
それを察知できず、相も変わらず夏だからとまめな
水遣りをした挙句・・・・。

- - 何度目なんだ? 
幾度か過去にも迷惑な過保護育成をしてきて、
結果同じ様な瀕死の状態へ追い込んでしまった
ことがあった。

しかし不死身にもこれまでは蘇ってきた。

まず葉っぱを全て取り去って水を極力避けて放って
おいて下さい - そう彼を購入した花屋さんからの
アドバイスを受け、かれの回復力に掛けて-。

  葉をすっかりとって、回復力・生命力に掛ける ↓

 およそ2週間、生命の芽吹き! ↓


 そして、約1ヵ月半後、力強く蘇る ↓

 もう大丈夫だね。もっともっと気をつけて育てます 
 


愛情を注いで見守ることと世話を焼くことは違うのだ。
自己満足の感情の押し付けは、
対象にとって本当の愛ではないことを
「鉢入り息子」ガジュマルは健気に忍耐強く教えてくれる。


   香しい「娘」 - 花を咲かせたたローズマリー
 香もつよく逞しくなり、昨年よりも多く花を付けてくれた。↓
   


ひとりごと;

先日、8月末に書き出したが、完成できずにいた 立ち位置についての考察 
と <あの頃>に関する2部作?!を何とか完成させたけれど、アレって
書き出した日付順になっちゃうんだね。折角UPしても、
ずっと昔の話に終わってしまったぁ。

2008年10月9日木曜日

目撃 - その"とき" 

目撃 ①

クラクションが鳴った方を見ると、信号無視をしたバイクが
交差点を通り過ぎたところだった。
車に注意喚起されたのは白バイ。無論サイレンも鳴らさず、
何かを追いかけているスピードでもなかった。
目撃してしまった白バイの信号無視。
・・・最初で最後だろう、この図。
どんな気持ちでそのクラクションを背中で聞いたのかなぁ。
白バイ。



目撃 ②

ガサッ - ポリ袋が落ちた音。
歩道の自転車置き場から自転車を出そうとしていた時のこと。
音がした方をみると、目の前の車道に左寄せで停車していた

赤いバンの後部座席から、茶色い髪の若い母親が携帯片手
に電話をしながら、手元からポリ袋を落とした
そして、彼女がドアを閉めた途端、バンは走り去って行った。

路上に残された袋からは、ファストフードのパッケージなど
いくつもの包み紙や丸められた紙袋が見える。
落としたのではなく、「捨てた」のだった。

呆気にとられて「信じられない」と2度声を出していた。

赤いバンの後ろで、客待ちをしてタバコを吸っていた、
初老のタクシー運転手も呆れ顔で、路上に無造作に
捨てられたゴミの袋と、赤いバンが消えて行った方向を
交互に見ながら歩いてきた。
「現場」に居合わせた者同士の憤りもあり、
「信じられないですね!!」 思わず声を掛けてしまった。
運転手さんも「女だよ!」と憮然としていた。


その一連の行動が余りにも自然だった。
あたかも・・
玄関の戸を閉めたら、鍵を掛けるが如く -
服に埃がついたら、手で払うが如く -
その動作は滑らかで躊躇いがなかった。
そんな日常のひとコマに過ぎないのだろうと
思われる行動に、流石に憤る。

唖然、呆然、愕然。

捨てた母親にも呆れるが、それを咎めもせず彼女が
捨てたことを分かって発進した運転席の男の道徳心
のなさにも驚く-類は友を呼ぶってこういうこと?
(そしてこんな両親の元育つ子供の行く末は?)

・・・自転車で去り際、路上に残されたポリ袋を眺め、
ゴミを拾うなんて情けないなぁと思いながら、
ここで見過ごして去ったらあの女性と同じレベル
なんだよなぁ、と袋を拾い、すぐ近くのゴミ箱に捨てた。
(でもゴミ箱に袋が落ちていった時、あき缶も入って
いたと分かったけれど、ゴミ箱から再び拾い、分別
しようとは思えなかった。不完全・・

本当に気分の悪いもの目撃してしまった。

   ・あさ、ビジネスビルの化粧室。ゴミ箱がないのだが、 
    ここでも朝食代わりに飲食した末にでたゴミが個室に 
    置き去りにされているのにしばしば出くわす。
   

   ・夜遅く駅からの帰り(確かに邪魔にならない奥に置いた)
    自転車のカゴが、ファストフードの食べ残しとドリンクカップ
    が入れられていた。カップからは液がこぼれ、何故こんな
    目に遭う?というやり場のない怒りと不快な経験を思い出す。

紙くずやゴミなどを、公共の場に置いていったり、
止めてある自転車のカゴに平然と道路に捨てられる
感覚がどうにも信じられない。
 
しかし・・・


ふと、省みる - 

常々信号のあるなしに関わらず、信号の色に関係
なく道路を渡っていること、を -。

若い夫婦の赤いバンの前を通り「なんだ、歩道を渡れ
信号を渡らないのか?」と嘆かれる偶然だってあり得る。

左右を見てOKならば道路を渡ってしまう習慣、
決して道徳的ではない。

他人のモラルを言える様な"100%のモラル人"
ではない、ね。

2008年10月5日日曜日

感性に「美味しい」お店

おいしいには、オイシイ、美味しい、旨い、などいろいろあるけれど、
素材を大切に扱って、美しく見せ、目で見て感覚を刺激され、
舌で感じる味にプラスした、「美味しい」が楽しめる店、
- それが「麻布十八番」

コースは、アンチエイジングをチョイスした。
決して、年々敏感になってくる年齢を重ねてきたことへの若干の
哀しさに反応し「アンチ」というワードに飛びついたわけでもない。
このコースに組まれていたメイン料理3種のうちのひとつ、
バルバリー鴨がメニューの中から食べてくれと訴えていたのだ。
(ということにしておこう)

食前に自家製ジンジャーエールをオーダー。
普段炭酸は口にしないが生姜と八角などを煮詰めた、
と説明された魅力的な”自家製”は、生姜と八角の風味とまろやかな
スパイシーさがバランスよく、とても飲みやすかった。
(ピッチャーで欲しいくらいだった)

供される微に入り細に穿つ一皿一皿の丁寧さが、食する者の心構えとして
一口ずつをゆっくりと楽しみたいと、目の前に置かれるごとに期待が増す。

添えられるパンは、同じ十番にある「ポワンタージュ」
勿論味わい深くおいしい。パンそのもの旨みはあるが決して料理を邪魔
しないシンプルさ。(この日のパンは、ポワンのスタッフがお勧めのパンの1つに挙げていた
理由が分かった)
パンには良質のオリーブオイルと、塩味(ドライトマトとオリーブが主)・
甘味(ナッツと杏だっけ?)の2種のオリジナルペーストがつく。

◆アミューズ
・蕪と柿のキューブ仕立て ヨーグルトペッパーソース        
                                         
◆前菜二点盛                                          
・2色の蕪ピューレと〆秋刀魚
・リード・アニョーのポワレと芽蕪オーガニックレッドワインソース

◆前菜                                      
・海の幸と山の幸 スルメイカのリゾットと共に              

◆野菜料理 (選択)・契約農家から季節野菜のガルグイユ
◆メイン料理(選択)
メインのひとつとして野菜の「蕪」が三役の1つを務めていた↓
・田神さんの蕪 岩塩包み焼き トリュフビネグレットソース
バルバリー鴨は、期待通りの旨さ!添えてあるインカのめざめと紫芋
の美しいコントラスト。丁寧さが伝わる。
・仙台産バルバリー鴨ムネ肉のロースト 紫芋とインカの目覚めの重ね焼き

正直、野菜を愉しみたくてこの店を選んだから野菜への期待は席に座って、
ほぼ満たされていたからか、素材自体の味のインパクトは魚や肉の方がとても
よかった印象だ。野菜に関しては何より愛情を感じる。

デザート2回に分けて、供される。
チョイスできるデザートは季節のデザート三種の盛り合わせを選択。
工夫を凝らしているが、蓮根のモチモチした食感と栗の味わいをもう少しバランスよく味自体
にもメリハリが有ればいいなぁと思った。 ぶどうのジュレはさっぱりしている。
◆小さなデザート   ・フルーツタルトの再構築
◆デザート(選択) ・秋のデザート3点盛合わせ
  
  日ごろはアルコールを敬遠するが、メニューに「黒ワイン」とあったので興味を
  持って頼んでみた。
  グラスを近づけるとまずぶどう酒のようなまろやかな果実感。
  一口。今までにない味わいで葡萄を皮ごとまるごと搾っている図が脳裏に浮かぶ。
  皮の、所謂雑味とも表現される部分を全く”えぐみ”と感じず寧ろ味幅として
  味わうことができる。けれど決してボディ感つよい先味ではない。
  そしてのど越しよく、後残りなく・・・。
  温度に敏感で時間を置くとどんどん味わいが変化してきます、そう説明された
  その通りに楽しめる。 珍しくグラス2杯ほどを飲み干した。ワインって美味しいんだ
  と何だか初めて思えたような、そんな印象。

コース料理には、素材に対して、客に対して、の真摯な姿勢が一皿一皿
に表現されていたが、 料理をサーブするスタッフも、目配りも行き届き、
(それは化粧室を見ても感じるだろう)それぞれマニュアルを感じない気持ちの
あるサービスだ。
予約席だったため奥の静かな席で時間を楽しんでいたが、気がつくと
すっかり他の客は居なくなってしまっていた。
コースを堪能し、話に夢中になっている様子に、席を立つことを
促されることもなく、嫌な顔せずその空間を見守ってくれていた。

「ご馳走様」。そう言ってお店を後したとき、店の全貌をデジカメしたいと
思って振り向いたら、
スタッフがニッコリ見送っていて、目が合うと、丁寧に頭を下げてくれた
ので、"ありがとー"の気持ちを添えて”微笑返し”で、デジカメに手を
伸ばすことなくそのまま十番の駅へと向かった。
おなかも、気持ちも、目も、満足。トータルのバランスがよい店だった。

 ☆ 十番の、お気に入りプラス ☆
麻布十番では、カジュアルにアメリカ西海岸のベジタリアンcafeに
いるのかと思えるeat more Greens がある。 
foodも満足度高くて、コンセプトまるごと大好きな店。
昨夏はじめて訪れたときはややサービスが不慣れな感じがしていたけれど、
ここのところはサービスもいいし、パンやクッキーなど物販も充実してきた。
食べたことある中では、カレードーナッツと十勝あんぱんが具もたっぷりで
生地とのバランスもよく、また買いたくなってしまう。
そしてカシューナッツクッキーも。
ちょっとお高いけれど、食べたい衝動に勝てない。
普通のパンと違ってへんな満腹感がないのが不思議だった。

上述したパンはこの日、もう売り切れていたけど、パンのショーケース ↓
シナモンロールも親のドーナッツプラントとは別の、オリジナルレシピだという。



2008年10月1日水曜日

素朴なギモン お題、2つ

【日本風カツカレー】

 - 街なかで、余り見かけないチェーン店の
   垂れ幕に踊る、「日本風カツカレー」。
 
え?カツカレーって日本生まれだと思っていた。
日本風って?

所謂カツカレーと何が違うんだ?
カツカレーの発祥は日本、だよね?

とはいえ、
検証するために、その店に入るという
選択は、きっとゼッタイないだろう。

まずカツカレーというものから食べて
みなくてはならないし。

生憎、
「カツカレー」は、食指が動かないメニュー。

PS: 「カツカレー」が好きな人、“日本風”の 検証してみませんか


【わたしは逃げない】

麻生総理の所信表明演説のなかで、
たしかに「私はにげない」とその決意を
述べていた。
彼らしい話しっぷりだなぁと、若干感心した、
けれど、ふと、大胆だなぁと関心を抱いた。

「わたしは」と強調したその一人称には、

<2代続けて、途中で総理業を投げ出して
逃げちゃった>人たちとは、「私」は違う。
(深い意味のあるはっきりと差別化した物言いだ。)

- そう聞こえた。

逃げ出した、そうはっきり言われてしまった
二人の元首相はこの言葉、どう受け止めて
いるのだろうか?

わたしは逃げない、の真意はいかに?