2008年9月30日火曜日

今、決断のとき?! - ストイックのベクトル 

・・・・・だいたい、いい歳して形相険しく腰をふりふり街をさくさく歩くなんて、
滑稽の域を超え、引くよなぁ~。

あやしい腰つきでも“色気”と最も遠い。
爆笑を買うに決まっている・・・。妖しくなくて違う意味で怪しいだろう。
競技者はともかく、趣味とするには余りにも・・・と結論付ける。
走るよりは楽かもと思いついたけれど、
わが身を想像し、滑稽すぎて、怪しすぎて、
そして、恥ずかしすぎて -「競歩」は却下。

じゃぁやっぱり「走る」か?
いや、待てよ。
「あっ青信号が点滅しちゃう」-30m先の横断歩道に向かって、
確認するやいなや走り出し、渡り出した途端安堵し、すでに点滅から
赤に変わっても、息を整え歩いているいつもの行動を顧みて、
「たかがの30mが辛いのに、無理に決まっている」とダメだし。

これで何回目のターンだ?と数えつつ、ほぼ貸しきり状態の区民プールで、
いつもの平泳ぎをしながら思い巡らす。

この日55分間泳ぎ続けられるプールも夏季営業の期間を終えてしまうので、
来週以降自ら課してきた2500m流す、という課題を継続することが
暫く難しくなった。
そしてこれを機に、10年続けた「泳ぐ」習慣から違う取り組みをしてみる
ことはできないか?と思いながら、25mプールを往復していた。

水から上がること(進化?)を考えた理由は他にもある。

だぶついた体型にスクール水着もどきは、どうしても哀しくなってしまう。
水着の地味さを強調するようだ(よく似合う?)。あーどうにかならないのかぁ、全くぅ。

「本当に痩せたいなら水泳ではなくてジムとか走るとかのほうがいいですよ」と
アドバイス受けたっけ。
そう言えば、水泳選手はたとえオリンピックのメダリストでも、憧れるような
体型の選手はない。翻ってマラソン選手は誰一人だぶついた体型の人はいない
ではないか!!
「水に入ると体が冷えるから、1時間もプールの中にいると体が冷えて脂肪が
蓄えやすくなりますよ」-そう説明されたことを思い出す。
「たーしかに」とDAIGOの口調で頷きたくなる。尤もだ。

それに、それに・・・、と次々今まで水泳を課してきた自らにネガティブ要素を
列挙してみる。
公共のプールの衛生も気になっていた、し、水泳キットよりもTシャツとか
身近な服装でできる、し、しかも「プールに行く」面倒なしに、気軽に公園とか
場所を選ばず走ることができるではないか!景色を楽しみながら。
そして当然ぐっと経済的である。

けれども、
これだけ「泳ぐ」から「走る」に切替えるプラスの根拠をまとめていても、
今ひとつ決断ができない。
   
「疲れる」し「辛そう」。
   仮に、「走る」に切り替えても、決して42.195kは目指すまい。
   楽しんで走るんだ、とストイックにならない、と言い聞かせればいい・・・。
   もちろん、目指すわけが無い、筈・・・。
(えーと、今何m泳いでいるんだ??)
散々泳いでいるのに、と鼻であしらわれそう。でも、「泳ぐと走るは違う」のだ。
(きっと"そうだよね違うよね、泳ぐことの方が辛そう"という声が聞こえて
きそうだけれど、違う「方」が、ち・が・う。)

自問自答しながら、ひとつ目の課題を終え、25m息継ぎなしの自由形などいつも
通りのメニューをこなして、この日もプールを後にした。

しかし・・・走ることへの決断は持ち越したまま。
来週も結局プールかな。「やっぱり泳ぐ方が楽かも」と。

  意思次第、するかしないか、そう分っていながら、も、

後一押しのきっかけが欲しいと、他人依存型性格が支配する -

「誰か一緒に走るひと~っ」。

2008年9月28日日曜日

検証: テーマ「無駄を省く」

その① 節電の極意??

昨年と今年の電力消費を比較するとこの半年前年比79%以下。
今月は60%を切っていた。
これが売上だったらとんでもない話だが、「節約」の%だとすれば、
途端に「好結果」とプラス評価になる。
しかも難しいことは何もしない。
 ・ただ、使用しないブレーカーごとOFFにするだけ。
 ・テレビを消すときは主電源から切る。
  (それまでは、すぐにTVを点けられるようにリモコンだけを使っていた)
この2つを日ごろの生活に取り入れた結果だ。
ちょっと面倒といえば面倒だけれど、慣れれば気にならない。
(ただし、夏エアコンを使わないのは若干タフなことかもしれない)

- 待機電力の無駄の検証


その② 甘い、バナナの誘惑

4ヶ月で6キロの激太りをして以来、1年経っても一向に元に戻ることなく、
もがいていたのだが、ホットヨガスタジオよろしくのmy roomで
この夏過ごしたためか、若干食のコントロールができ始め、超妥協した
目標設定数値に近づいていた。
そんなとき、「朝食をバナナと水に変えるだけ。昼夜は今までどおりの
食生活でもOK」(と解釈)の大きな希望をくれたテレビの特集番組をみた。

明日からやってみよー!! 次の日、当然の様にスカスカになっていた
バナナ売り場を思惑が同じと思われる数人の女性たちと一緒に、
やや遠巻きに無言で覗いていた。
120%の希望を込めて一房ゲット。
先週までの推移を、この切り札、夢と希望のバナナで、一気に叶える計画。

しかし、満を持して始めて、1週間。
せっかくの希望の数字は逆に遠のいてしまった。
毎朝の習慣をちょっと変えるだけの簡単なものの筈だったのに。
500ml以上の水の摂取はそのままに、これまでのグレープフルーツ
(orりんご)をバナナに置き換えるだけ。
その上、もしかしたら昼と夜の甘いものは今までよりもちょっと多く食べ
られるかも・・
きっとこの食い意地(気の緩み)がいけなかったのだろう。
(もうひとつの敗因は、ミルク多めの少々甘いカフェラテの習慣を継続していた
こともいけなかったかな?)

昨日からは、長年続けていたグレープフルーツ(orりんご)に戻した。
せっかく甘いものの誘惑を絶てる意思が育ち始めていたのに、
この1週間は目で「食べたい」を優先し「食べても大丈夫」という
食い気を優先させてしまった。 これも元に戻さなくては。

結局、方法ではなくて「自身の意思」なのだ。
こうなりたいという理想の輪郭を強くイメージし続けながら。
バナナの方法を紹介していた番組でも、所謂レコーディング方法の
継続者はきれいに成果を出していた。このレコーディングする行為は、
自分を見詰め直し自分の意思で食をコントロールする力を養うことだ。
つまり「意識の連続が無意識になる」習慣づくりだろう。

夢のように思えた(ある意味身勝手な)バナナへの期待は、
よい検証結果を生み出せなかった。( 当然バナナに責任はないけれど)
目標数値を目指す手段は、我流のやり方で達成しよう!と結論付けた。
 ・今までの"臨床"結果で得てきた1,5ℓの水を飲むこと
 ・夜の野菜中心の食事
 ・甘い誘惑への断固たる意思を成熟させること

経験上1,5ℓの水を飲むことは体質には合っていた。
それまでの水分摂取は、端的に言えば食事のときに珈琲かお茶か果汁を
口にすれば十分だったが、代謝を促すことが大事だと教えられ、やや強制的
に習慣づけた。
今も継続しているのは、摂取量を少なくしていた時期、体(特に顔や足)のむくみ
があったが、再び水を飲む習慣に戻したら、自然とむくみがなくなってきたから。
そして、もうひとつ夜の食事を野菜だけでお腹が一杯になるくらい食べた翌朝は、
例えば肉やご飯などで同じように満腹感を得たときとは違いがあり、見た目にも
胃も腸も軽い。
軽井沢では、東京で過ごしている以上にたくさん食べていたが、数値が増える
ことが無かった。考えてみると、野菜の摂取量が特段に多かった。
 追記;甘味の誘惑に負けてしまうと(過度摂取すると)、代謝が悪くなる傾向有り。
     甘美な?誘惑を堪えなければ!!
この自らの得た体験を重んじたい。

- 「食べる」側面からの無駄への対策は、もっとも基本的なこと。
  何よりも「食べる」量と質とバランスを考えての意思と意識。
  それが、脂肪という無駄を省くために効く「くすり」なのだ、という検証。
                             (~検体-1の場合~)

週末の珈琲の店、ひさしぶりとはじめまして

久しぶりに『café415』で過ごした。日曜の東日本橋は本当に閑散としていて、
café415の店の明かりが目立つ。
ぬくもりを感じる小さな店内に入ると、先客が3人ほど各々一人で時間と

向き合っていた。
そう、一人でゆったりと過ごせる空間だ。とりわけ週末の東日本橋

ならなお・・・。

ポピーシードのシフォンとラテを注文、
    (いつも付いてきてくれる“彼”デジカメを留守番させてしまい、ちょっと出来が付き合いの長い携帯で撮った。それにしても、“彼”の実力を改めて知る・・・やっぱり魅力には敵わない。)
アートラテが自慢のこの店。店内には掲載誌が数冊置いてある。
もうひとつの贔屓店マキネスティ(多店舗化後少し魅力が薄れたけれど)
とともに案外専門誌等に取り上げらられているんだなぁと感心しながら、ページをめくってケーキとラテを待っていた。
ラテも楽しんだが、シフォンがよかった。

ポピーシードがプチプチとして独特の味わいに満足。
だが、それ以上に「絹のような」-そんなシフォンケーキの名の由来であることを、口に広がる柔らかな舌触りが思い出させた。軽い食感は大抵のシフォンケーキで得ることができるが、その中に滑らかな柔らかさを感じたシフォンは、久しく「お口」にかかっていなかった。
若干残念なのは、せっかく店内で泡立てて添えられた純乳脂肪のホイップクリームに甘味がついていることだった。主役のシフォンの甘味に対して相殺あるいはやや邪魔をする。勿体無い。そして前回も記述したが食器を扱う音が、心地よいBGMで過ごす時間にあっては、耳に付く。
それでも、再び人気の無い東日本橋でのひとときを求めに行く日も遠くないだろうな。



昨日、土曜日は、 食べログで高い評価をされていた『北山珈琲店』を訪れた。
独特の雰囲気ある店でありながら、珈琲の概念が変わるなど、押しなべて
その旨さを評価している店だったので、楽しみに・・・。

確かに供された珈琲は、とろりとしたコクと液体に比例した豆の甘味を感じる。
その香りも奥深く味覚を刺激する。
珈琲を飲んで、コーヒー豆が脳裏に描きだされる感覚は初めてだ。
豆から抽出したエキスという味わいはある。

評価される理由は体験できた気がするけれど、そうだなぁ。
珈琲のクオリティと店の空間とのバランスを考えると・・・・、
珈琲の味を楽しむくつろぎよりも、味覚とともに他の五感も寛げる場を、
個人的には、より求めてしまう。





2008年9月22日月曜日

「意外」・・・。

意外-その1 : 「新総裁麻生氏の記者会見」

 ああこの人は、本当にこの座に就きたかったんだなぁと
 率直に会見の表情を見ていて感じた。
 けれど、これまで本人の“やる気”や所謂アキバ系はじめ国民に
 支持されていると言われていたにも拘わらず、案外党内での
 支持が得られず、再三の総裁選に勝てなかった訳も、何だか解る
 ような気もした・・・。

 記者との質疑応答時。ひとつの質問に応える時間が4,5分と長く、
 自(持)論を展開してしまい、質問に対する答えを端的にしていない。
   (例えば小泉さんがその好対照で、短いフレーズで表現すると言われるが、
    聞き手に伝える術には、確かに長けていた様に思う)

 言葉の表現も、何度も同じフレーズを使う。
   (これは、"一抜け"の元祖安倍さんに通じる)
 内容も、結構(選挙がちらついて?)民主党への対抗意識が強い
 発言も多く、党総裁として(更に言うと政権政党として)余り建設的
 とは受け取れない印象が残った。

 麻生氏がこれ程までに話術が得手ではないというイメージがなく
 (報道の編集って恐ろしい?!)、多少自民党の中でも、いい意味で
 異色の感があっただけに、なお更、今夜の会見は、ポイントが 
 下がってしまった。意外にガッカリ。
 (余計なお世話だけれど、自民党も総裁選前のシナリオが徐々に狂ってくるのでは?) 
 
 ここで、「やっぱり」と、思う -
   マスコミは、政治の思惑に惑わされることなく、日本の現状とそれを建て直し
   健全な方向へ回復していく為に必要な道筋は何なのか?日本の本質的な

   問題を、どう対処しようとしているのかという視点を失わず、情報を供給して
   ほしい。
   さらにある意味では、政治を行う立場の人たちをそんな「報道」を通して
   (党の維持という次元ではなくて、国の建て直しという目線へ)ぜひとも
   導いていってもらいたい。 
   現実(事実の状況)を把握することは、とても大切で、当たり前だがマスコミ
   こそが、その現実を伝える担い手。与えられる情報が正しいか正しくないか
   を判断するだけの材料の量と質(そして、それを吟味できる能力を培うことも)
   が重要だ、と。
 

意外-その2: 「NHKの夜の番組」

  そのシニカルさ、ちょっとそこまで笑いのネタにしちゃう?NHK
                 (下手なお笑いよりも笑える・・・)
  - 「サラリーマンNEO」をはじめて見た2,3年前の印象。
    
  今はseason 3 。
  俳優の生瀨と沢村をはじめ演技している役者自身や回りのスタッフ
  がよく笑わずに撮っているなぁと変な関心を抱くほど、ベタなコント。
  見方を変えれば、逆にソコがNHKの番組らしいのかも??
  コントそのものが可笑しいのか、それを演じている役者が可笑しい
  のか些か微妙ではある。
  個人的には、season 1の新鮮さが印象に残っているからか、 
  より笑えた様に感じたけれど、season 3 も9月28日に最終回。
  最終回に改めて、可笑しさの「微妙」を検証(臨床実験?)して
  みようかな。
  
  NHKは、意外に、笑える番組を提供している。
  10年ほど前かな。深夜テレビを見ていたら、嫌悪を感じそうな
  伸るか反るかの危うい人物の怪しい動き。その動きが妙に笑え、
  ツボに嵌って、ついつい無声のこの番組を見入ってしまう・・・。
  その後不定期に放映されるその時を探りつつ、楽しみに見ていた。
  ただ大評判後の映画はわざわざ見に行ったけれど残念ながら今ひとつだった
  - 「Mr.ビーン」。

 あと、ついでに; 
    去年の年末年始の夜中、(年末年始だというのに暇で)何気なく
    TVで見たのがきっかけの「携帯大喜利」。放送し始めだったのか、
    「生放送で携帯からお題に投稿する」人がとても少なくて出演者の
    板尾創路・今田耕治・千原ジュニアが手持ち無沙汰の時間を
    繕っていた。
    番組の雰囲気や"着信御礼"がなかなかインパクトがあって、
    意外に最後まで見てしまった。以来狙っては見ないけれど、
    いい感じで続いているようで、つい先日の放送にも出くわした。
    最後に33,4万?を越えていた投稿数だと分かり、かなり“来ている”
    番組になっているんだなぁと、眠りに落ちながら思った・・・。
  
  笑いではないけれど、相当に、毎週心待ちにして、見終わって次回
  をすぐに待ち焦がれてしまったのが「ビバリーヒルズ青春白書」。
  時代的にも、重ね合わせる部分があり・・・。大好きだった。
  
  それに、
  ヨン様ブームの「冬のソナタ」や、「チャングムの誓い」。

  ん?意外に、NHKって嵌る海外番組、ある、ある。

2008年9月15日月曜日

時間との付き合い方、そして・・・

気持ちの持ち方(心構え)ひとつで、
同じもコトでも、時間利用の密度も違うし、
結果が全く違ってくるものだ;

・「できるかできないか」 と 「するかしないか」
・「したいこと」 と 「すべきこと」
・「とりあえず今さえよければよい」 と 
 「明日を見据えて、今の行動する」

・「あとででよいこと」 と 「今すること」 
 

・・・日ごろを省みて、意識した今から心がけたい。

(感情ではなくて)優先すること、大事なことを、
モノサシに時間の使い方、ちょっと立ち止まって
考えるクセをつけようと思う。
頭で判っていても、実際はそうでない方を選んでしまいがち
なのだけれど---。
はるか昔?「意識の連続が無意識になる」とアドバイスをもらった。
確かにそうなのだ。
はじめは、自らに強いていたことでも習慣化してしまうと、
いつの間にか、それが当たり前になっている。
そんな"日常"も身につけられたじゃないか、と小さな「実績」
を敢えて挙げよう。
もっと時間と大事に付き合って、
もっと心をプラスのベクトルでいっぱいに満たしたい。

        --☆--☆--☆--

impossible is nothing というadidasのキャッチ
コピーを呪文のように[意識]しようっと。


    

2008年9月10日水曜日

旅の回顧録 2007.10 八ヶ岳の秋

じっくりと時間を過ごせる高原を求めて、昨年、秋の深まる八ヶ岳を訪れた。

空気の透明感をも感じる視界の開けた八ヶ岳を臨む小さな村、原村。
四季の素晴らしさを一番実感するこの季節、色づく山々はとても美しい。
眺望のよい雄大な八ヶ岳の山並みが、
自然の中に抱かれて暮らす環境の魅力を静かに伝えてくれる。
 観光地としてはやや浅い。見所は余り多いとは感じないコンパクトさだった。

自然が織り成す"彩" 八ヶ岳の秋。

「丁寧な味」の手作りタルトはとても美味しく頂けた。
オーナー夫婦の、物腰柔らかな笑顔がもてなす心を表していた。
寛ぐに十分な店内。窓越しに自然豊かな店先を眺められる。
"ミントガーデン” http://www18.ocn.ne.jp/~mint.g/

心を込めている、というのが十分伝わるタルトに添えられたフレッシュフルーツ



2008年9月7日日曜日

秋になったら・・・ 

秋の到来は、どことなく哀愁を感じてしまう。
ついこの間まで、7時を過ぎてもまだ明るさを
感じていた。確かに「夏」だった。

今では、すっかり6時を待たずに日が暮れてしまう。
セミの声もいつの間にか聞かなくなり、代わって
耳に柔らかく虫の音色が日暮れた街に聞こえてくる。
もの哀しくもビロードのような季節を演出している。


ますます深まる秋を、堪能してすごしたい。

【モーツァルト】   

秋は、コンサートに出かけたくなる。

感性を刺激したくて、臨場感を感じたくて
生(オーケストラ)を聴きたくなる。

コンサート終了後やや冷えてきた夜の風に
吹かれ余韻を楽しむのがまたよい。

・・で、やっぱり"モーツァルト"を選んでしまう。

モーツァルトは、どの曲も耳心地がよい。
彼は、作曲時、どんな感覚で、溢れ出る音符を
五線譜に落としていったのだろう・・・。
そんな想像を巡らせて、
iPOT
交響曲やオペラを大抵毎朝聴いている。

「ピアノ協奏曲23番」。
本格的にモーツァルトが大好きになった曲。
それから没後200年のブームがあった頃は、
ピアノ協奏曲を中心に聴いていた。
けれど、一昨年あたりから、特に交響曲が心に響く
ようになってきた。
全体的にしなやかな力強さがあり、
弦楽器が奏でる調和した音は、心の奥から
頭の先に抜けるように、とてもとても気持ちが
良く、心が透明感を増していくよう。
オーケストラやピアノの奏者が、よく恍惚の
表情で演奏しているものだが、
iPOTで聴いてる
だけでも十分に、音色は感覚を滑らかに磨いてくれる。
オペラの魅力も少しずつ耳が受け入れてきて、
好んでコンサートに行きたくなっている。

    2006.12のプラハで聴いたモーツァルトの
    コンサートや、2006年GW「熱狂の日」
    モーツァルト音楽祭では 、奏者が大事だと
    実感したものだ。


早速、コンサートへ行く予定をたてよう
・・・いやいや、時間の余裕はたっぷりあるけれど
その他の余裕をまず工面しなくては!

 (おまけ)  iPOTといえば・・・;
  かつて職場で「アイットってさぁ」
  と同僚に話しかけたところ、周囲が一瞬唖然とし、
  どっと笑われたことがある。当人は何ゆえ爆笑を
  買ったのかが分からず・・・。
  アンテナを立てていないと全く情報を拾おうとしない
  
ことを改めて自覚したが、
  流石にiPOTをアイットと言っちゃう人は、
  他にいないだろう。
  (自称、生きている化石??)
 

【オアシス】

身近に秋を感じるオアシスに trip
  清澄庭園や浜離宮、六義園、小石川植物園など公園以外に、
  都会でも、ほっとできる空間があるんだなぁとオアシス度を
  実感した場所は、意外にも東京のど真ん中。
  - 北の丸公園・千鳥が淵周辺・皇居。
  皇居周辺は、海外旅行者が訪れるところと、無意識に思っていたが、
  都民として、もっとこの都会の豊かな緑をを楽しんでもいいなあと、
  芝生にごろんとして、白い雲が僅かずつ形が変わっていく「経過観察」

  をしながら思った、この夏。
  他に、コレド日本橋の裏の階段上では、日本橋高島屋で限定販売して

  いるシンフィアンのパンを食べたり、 ストイックに泳いだアクアフィールド
  の近くの芝公園、プリンス系や目白などのホテルの庭園など、
  なかなか捨てたものじゃないオアシスの宝庫だったりする東京のど真ん中。


なかなかの穴場です? - 鎌倉霊園
  
  霊園の敷地は芝生の上で、小犬や小さい子供をつれた家族が
  集っている。
  空を飛ぶトビやカッコウの声を聞きながらの、のどかなひと時を
  過ごせる隠れたオアシス。
  ご先祖様への挨拶をして、それから、野鳥の声を聞きつつ
  ちょっとのんびり芝生に寝転がって、時間に身を委ねて暫し・・・。



さらに、trip - 和歌山古座川

  古座川の清流とそれを囲む山々の深い呼吸を感じられる
  かのような、静寂で、日本の奥ゆかしさとのどかさ。
  素晴らしかった。

  地の利が今ひとつよくないのもあるだろうが、是非
  敢えて行って見て!と勧めたくなるスポット。

  
【美味しい】

 
ツッカベッカライカヤヌマの"バウムクーヘン"

まだ「数年後くらいに駅ができるらしいよ」と、
赤坂周辺が"コンパス圏内"だった頃から、溜池にある
ツッカベライカヤヌマへは、何度か店内に踏み込んでみては、
ぐるりと一周して、「ちょっと高いなぁ」と結局購入する決断が
できずに帰ってきてしまっていた。
そんなツッカベライカヤヌマで、思い切ってバウムク-ヘンを
たったひとつ、購入した。
「ひとつだけでもいいですか」「もちろんですよ」。
既に看板商品のザッハトルテは売り切れていて、恐らくは多くの
顧客はお使い物仕様で、ある程度の数を買うだろうと、その店格
から推察できたが、もちろんですと、嫌味なく笑顔で言ってくれたので
店を出るときは、後ろめたさも無く、大事に1個だけ入ったケーキ箱を
もって帰った。

店の方が「マジパン、余り好きではなかったのですが、このバウム
クーヘンを食べたら、概念が変わりました」「バウムって、マジパンで
つくるのですか?」と会話があったと記憶している。

概念が変わる、しっとりしているバウム・・・一口食べて、その美味しさを
堪能。味に奥行きがある。けれどしつこくなくて。マジパンも確かに旨い。
これなら一気に3つくらいはいけちゃうかも。(トシヨロイズカのケーキを
店の前で二人で6個を一気に食べた"実力者"。本気です)
秋だから美味しいケーキを、と脈絡の無いご都合主義で、また買いに
行っちゃおうかな。でも我慢してここは一個買いにしておこう。

  溜池周辺では、オリガミやアラボンヌーも、美味しいケーキがあるから、はしごしそう。

因みに、近年オープンしたらしいカヤヌマの隣のレストランもかなり魅力的。
モーツァルトのコンサートを楽しんだ後にでも、素敵な食事をしてみたい。

2008年9月6日土曜日

ほんの、3つのひとりごと - - - "ストイック"の定義? "放せない"と"傍にいて"の存在。

若い外人2人がビキニ姿の若い女性をしつこくナンパしているその横を、
スクール水着にも似た滋味ぃーなスイムスーツで、
ひたすらに、淡々と黙々とターンを繰り返す。

水中鬼ごっこをしている小学生の集団にぶつかりそうになりながら、
それでも泳ぎを止めることなく、障害物を避けるように泳ぐ。
「区民プール」で。

   はじめは--肩こり解消の筈だった。
          今では「週に一回泳ぐ」ことが多少の体調不良よりも
          優先してしまう。「アスリートはどんな状況でも練習を
          する」なんて、余り意味の無い妙な引用を自らして、
          「だから、休む」という理由を自ら却下。
   はじめは--全部で1000m泳ぐ、だった。けれど今では「2500m
          を55分で」プラスαのトータル3000mが「課題」。
          プールに向かう前は、この自分に向けたメニューを
          こなすことが、憂鬱気味。今日こそは時間に拘らないで、
          ゆっくり流そうと思う。そして泳いでいるときも「今日は、
          拘らない、拘らない」と言い聞かせているのだが・・・。
          ついつい時計を見ながら、これなら55分で行ける!
          と泳ぐ一蹴り一掻きに力が入ってしまうのだ。


何をそんなに、がむしゃらにしちゃうのか?
○×大会が控えているから、という訳でもなく。
  - 自問自答しても、正直分からない。

そんな「課題」と継続を、ストイックと言われることがある。

    ほんというと、この4~5年でちょっとずつ増えている
     毎日朝晩の「課題」が結構あって、それらも欠かさず
     こなしていることを思うと、確かに"ストイック"なのかも知れない。
     でもでもこれも、[昭和の時代に流行ったスナック菓子のCM]
     みたいな状況で・・・そのうちストイックスパイラルに嵌りそう。
     誰か止めてぇ。このスパイラル。

ただ、始めてしまったから、続けているだけ。
休んだり、止めたりしてしまうと、自分を甘くしてはいけないと。
一回休んじゃうと、休み癖がついちゃうと、ちょっとばかり思うだけ。
決して"ストイックではない"つもり、だった。 
     (でも、確かに区民プールで泳ぐ"趣味"の域を超えているかも。)
「区民プール」で、ガツガツ泳ぎきって、荒い息を切らせてまで、
必死に泳ぐヤツって・・・?ちょっと冷静に引きでみると、
結構笑ってしまうほどの、図。
ビミョーにストイック??
やっぱり、笑・え・る。

【蛇足 - ちょっと嬉しかったこと】


今日も息を切らして課題1を終えたところで、
「3000くらい泳いでいるの?」と隣のレーンを
泳いでいたおじさんに声をかけられた。
「いえ2500です」「だから、キレイに泳いでいるもんね」

(接続詞「だから」が、泳ぐ長さとどう関係があるのかなぁと
思いを巡らせながら、キレイに泳いでいると褒めらたことが、
妙にうれしくて)「ありがとうございます」。


距離と時間は自分でいつもわかるけれど、
自分がどのように泳いでいるのかはよく分からないので、
客観的な言葉が嬉しかった。


  そう言えば、4~5年前にNZを旅したとき、
  バンジー発祥の地クィーンズタウンで、
  43Mというバンジーの初級を体験。
  1,2,3, バンジー!! と、ジャンプしたけれど
  そんな開き直り加減がどんな様子で、眼下の川に
  飛び込んだのか分からなかったので、
  商売ビデオをついつい勧められるがままに買ったっけ。
  でも、結局ビデオは、見ることなく今日に至っている。
       バンジー体験はゼッタイしたかった。
       飛び降りる潔さを身に付けたら、柵やら何やらあらゆることに
       踏ん切りをつけられるだろう。そうしたら、きっともう少し人生が
       拓けるだろう、とちょっと、安直な願掛けでジャンプしたのだった。
       しかし・・・・どうだろう、現在の立ち位置は。
       うーん、やっぱり103Mのジャンプに挑むべきだった?!と
       自戒する昨今。希望の光はなかなか掴めていない。

       103Mへの覚悟を、今決めるとき?!     
      
              ☆■☆

"放せない" 

ちょっとした旅行やイベントには、
文句無く付いて来てくれる。
軽快で、
持久力があって、
きっとこの手のタイプでは、
抜群に優しくて、
ちょっと遠くであっても、キャッチしてくれるほど
こちらの想いをちゃーんと汲んだ、
しっかり的確な記憶力。
こちらの記憶は曖昧になりがちだけど、
アナタの記憶は永遠に明確で鮮明。
流石!と思う。
そんなアナタを、決して放さない、 放したくない。
今更、存在がないなんて、想像すらできない。
長い付き合いになりそうだ。
これからも、末永くよろしく。

頼りになる、デジカメ。


"傍に居て" 

どんな時間であっても、どこに居ても、
時間をもて余し、どうしようかというときも
まさに、いつどんなときも、相手をしてくれる。
時に、
こちらは気まぐれにただモノ寂しくて、
次々と移り気な気持ちを露骨に出してしまっても、
大抵の我儘な要望に応えてくれる。
包容力と懐の深さ、ありがたい。
そのうえ近頃は、
より魅力的で個性あるモノを
競って提供してくれる。
手を差し伸べてくれる範囲も益々広がって。
寄るだけで、満たされることもしばしば。
ますます傍に居てほしい!

包容力の
コンビニ。  

2008年9月4日木曜日

旅の回顧録 2007.05-HAWAII 

ハワイって、
日本人にとって海外旅行というものが憧れであった頃から
海外旅行の代名詞のように人気があった、ね。
だから、ちょっと俗っぽいのかと敬遠していたけれど、
15年位前かなぁ初めて行ってみて、ハワイはいいと
皆が言うのを現地に降り立って、体が納得した。
「南国」の空気感と気候。開放感。・・・気持ちが緩む。

そして、二度目のハワイ。
体の芯から、心の底から、の癒しを求め、行ってきた。

ウォーミングアップ
ちょっと贅沢をしたホテルからのオーシャンビュー

  ワイキキビーチ周辺は、トローリーバスをほとんど使わず
  歩いて過ごした。歩くから、見つけられるものや風景が
  やっぱり、ある。

ダイヤモンドへッドからの眺望:
海の広さと青さと果てしなさを実感!
 - 軽い登山?も気持ちがよかった。


ノースショアの海。海の色の豊かさも美しい


ちょっと余計なモノ(ライト)が入ってしまったけれど・・・



ぎりぎりまで近づいて・・・逃げないでね。



ホテルの中庭だけど。パインアップルってこんな「実」

こちらのほうがはっきりしている。ドール園にて



今回のハワイ滞在で、見つけた!!という思いが強かった。
ギリシャ料理店。
カハラモールに向かう途中、行列ができていた。
モール探検はそこそこにして切り上げて、この店に勇んで向かった。
地元の人で賑わっていて、およそ観光客っぽい人は見当たらなかった。
  でも、地球の歩き方にこの店は載っていた。ちょっとがっかり。
ファラフェルとフムスをしっかり堪能。やっぱり美味しい。
 (たまにピタザグレイトなどでファらフェルを楽しんでいたけれど、
  帰国後益々ファラフェルやナスのペーストやフムスに嵌った。
  個人的勝手な見解だけど、ファラフェルは流行ってくるのでは?
  と、感じている。好みなだけだろうか?)
ハワイでもギリシャ料理が十分受け入れられているのだなぁ。






   蛇足:滞在中、何度か行った店がインターナショナルマーケットの
       真ん中当たり、2階に上ったところにcafeがある。
       ラテとケーキと、そして何より??日系2二世かな?のとても
       雰囲気のいい佇まいのスタッフがいた・・・。

あのCMの、あの木。
だいぶ歳を取っているようで、やや痩せてしまっている。


その”後継者”の元気な木たち


次回hawaiiに行くときは、是非ハワイ島へ。

自然のダイナミックさを満喫し、大地の鼓動のリズムに身を
委ねて、ハワイの海の波音を聞き、ゆったりとした時間を
また過ごしたい。

2008年9月3日水曜日

<あの頃>が育んでくれたもの

<あの頃>
何気なく体験したこと(見たり、聞いたり・・も)、小さな積み重ねが、
ゆっくりと知らず知らず熟成されて、心と意識に溶け込んでいる。

壷の中のワイン:

小学校低学年のころの校長先生は、今でも
鮮明に記憶に残っている「大人」のひとり。

生徒たちへのやさしさが、おおらかなまなざし
と雰囲気からも感じられた、立派な校長先生だった。

毎週月曜の朝礼は、その校長先生の「お話」だった。


いつも短くわかりやすい語りくちで話すので、
  (そして当時は生徒が自分たちのことをそれぞれきちんと
   弁えるしつけが十分だったのか)
全校生徒は、校庭に一列に並んで静かに聞き入っていた。

ある朝の「お話」;
   
   小さな村で祭りがあるという。
   そのお祭りには、ひとつだけ約束事があった。
   参加するときは、一人一瓶のワインを持ち寄り、
   村が用意した大きな壷にワインを注ぎいれてから
   祭りに参加するというものだった。
   
   みんなが揃ったところで、乾杯をするために、
   壷に一杯になったワインをみんなで分かち合った。
    ところが、注がれたのは、水だった。
   なぜでしょうか?

そこまで話して一息おき、 校長先生は、こう言って締めくくった。
   みんながワインをもってくるなら、
   自分くらいは水を入れてもばれないだろう、
   全員がそんな下心を持った結果だったのです。

この話、
 一連のお粗末過ぎるモラルの箍が外れ、被害が拡大している
国内外の食の問題や、海の向こうの儲け話の先にあった破綻の
問題にも通じるものが有りはしないか?
  【少しくらい、自分くらい、分からなければ、大丈夫問題ない】
こんな思惑をもって生きている大人が今や蔓延している。
さらに、この話にはもうひとつ、教えがあったのではないか?
  【結局は、自分に戻ってくる】のだ。 

昨今の欲に駆られたとても未熟で貧しい心の官僚や経営者たちにも、
暫し整列して、是非校長先生の「お話」を聴いてもらいたい。

 
大地讃頌:

♪ 母なる大地の懐に、我ら人の子の喜びはある
   大地を愛せよ、大地に生きる、人の子ら人の子ら
     人の子その立つ土に感謝せよ
       恩寵の豊かな豊かな大地、
          大地、大地、称えよ称えよ土を

最近、よく口ずさんでいる。穏やかな気持ちにもなる。

中学3年生のときの合唱コンクールの課題曲であり、
卒業式では卒業生が中学三年間の集大成として謳った。
     (正確には"混声合唱組曲 「土の歌」 第七楽章"大地讃頌)

  合唱コンクール - 中学一年のころ生徒たちの取り組み始めは、
  特に男子は「かっこ悪い」的な雰囲気だが、コンクール本番を迎える
  頃には皆の心と結集力と向上心がひとつになって、そして達成感を
  共有。かなり盛り上がる。
  この経験を経て、生徒達は3年生の課題曲でもあり、卒業式に卒業生
  全員で臨む「大地讃頌」を謳うことが目標にもなっていた。
  因みに、出身中学は都内でも未だ幾度も入賞している実力校のようだ。

中学時代の思い出を・・、というよりは寧ろ、歌詞のごとく
の心持の暮らしをしてゆきたいという気持ちと、ひとりひとりの
価値観が、そうなる社会にますますなっていくように・・・という
想いが最近増しているからかなぁ。

未だ歌詞が口をついて出てくるほどに、謳い重ねたこともあるけれど、
言葉に込められた人間社会の忘れがちな自然への恩恵や警鐘を
感じることは容易だ。

大事にしたい、中学の頃の思い出と、「大地讃頌」。


<あの頃>の、テレビ・本編 - 興味のベクトルの原点として、追加;

・動物に、ちょっと詳しくなったのは、 
 「野生の王国」「シートン動物記」「野生のエルザ」シリーズ
     因みに、
     馬に詳しくなったのは、当時はオヤジの番組だった「競馬中継」
     幼少からなぜか好きだった"馬"が走っている・・と見始めた

・食いしんぼうで、てきとー料理をはじめ、「食」と料理が大好きになったのは、
 「世界の料理ショー」
     アメリカ(多分。調べたら、カナダでした)のバラエティー的料理番組
     だった。
     料理をしながら客席に笑いを飛ばす男性(調べたら、料理研究家グラ
     ハム・カー)と、それに反応する客席の女性たちの掛け合いも、料理
     作りを盛り上げていた。
     締めくくりは、気に入った客席女性を招いて、デモンストレーションした
     一皿を一緒に食べる・・というもの。(番組のテーマ曲も未だ頭の中で
     はグルグルメロディーが蘇る)
     今でこそ料理番組が当たり前だが、当時の「外国」しかも笑える料理
     番組とくに稀で印象的だ。

・暮らしの価値基準になっているかも?
「大草原の小さな家」
     同書に始まるローラ・インガルス・ワイルダー一家のシリーズは
     自然と共存し、自然の摂理に適った暮らしの知恵や工夫と、
     家族の温かさと、季節ごとの"森の幸"、美味しいご馳走など
     彼女の幼少期の回想した物語。
       当時まだ、外国=アメリカという一種の憧憬があった、そんなアメリカ
         の一昔前の、素朴な暮らし。
     こんな暮らしや価値感に、原点回帰の魅力を感じていた。
     本質的な心の豊かな生き方を模索する昨今、「大草原の
     小さな家」シリーズを読んで感じていた様々な思いや感覚
     を改めて思い出す。



2008年9月1日月曜日

murmur :唐突な決断会見に、思うこと。

TVをつけたら、臨時ニュース。各局特別番組に切り替わった。
首相辞任。
いつなんだろうかと皆予測はしていたが、
まさかそれが”今夜”とは誰も予感していなかったろう。

過日、「平成になってからの首相は何人か?」というクイズがあった。
今夜いきなり「辞めた」宣言をした首相は13人目。
  (恥ずかしい話だか、順に名前を言えないばかりか、全員なんて
  名前を挙げられない。)
 ※ 首相官邸のHP[内閣制度と歴代内閣] 
  http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/ichiran.html
まだ平成という年号になって20年。単純に割り算すると・・。
 (勉強不足だったが、歴代首相も、案外任期が長くなくて、
 未成熟な国家というのは、約束された道だった???)


・・・こうした状況下では、
マイナスのイメージを想像することは容易にできても、
プラスのイメージを想像することは困難!と、
想像することは容易だよっ!と嘆いてしまう。

国が豊かになっていく、とか
国民の心や暮らしの「質」がよくなる、とか
世界の中で存在感ある国である、とか
残忍な事件が起こらない国へと立ち直っていく、とか
ニッポンを背負って世界にはばたく人がどんどん育つ、とか
国は必ず国民を守ってくれるとか、
自国に誇りを持てる、とか
- とかとか、とかとか、なかなか難しい「希望」である。

希望や遣り甲斐や活力というベクトルをもつ国であると、
誇れる日は、来るのだろうか?

政治関係の報道からも、あたかも動物の縄張り争いの
ような「欲」が露骨に表れている。

保身や権力に憑かれた政治家の集まりやそれに伴う
言動は、ややもすると、稚拙で滑稽ですらある。

本来ならば、国のあるべき姿、ビジョンの明確化を打ち
出して、その元での政策を命がけで、といった志の高さと
志を全うする、したたかなまでの強さを持つ指導者は、
不在。人間味溢れたスケールが大きく豪快な指導者人は、
なかなか見当たらない。

前回の首相も、そして今夜の首相の会見も、自己の覚悟
不足やリーダー資質との乖離を顧みることはほとんど無く、
どことなく、取り巻く状況が悪かった、回りが協力してくれない
というような「言い訳」が端々に滲み出ていた。
「それを承知で、そうしたことも覚悟の上で、なった大役」
ではなかったの?
ねじれ国会と揶揄されるけれど、個人的にはそれは正常な
議会のあり方(構図)だと思っている。 (国の望ましい在り方は
どうなのか?とよりよい法案を練る機会になると。)
 - ただ、野党の取り組み姿勢が子供っぽいだけで。
偏った意見や集団で、”すんなり”と、国の在り方とその方向
を定める場で、強引に或いは安易に決まってきたことの歪が、
今夜の辞任会見の首相が引きまくった「くじ」だったのでは
ないか?
昨今の無差別に行われる残忍で短絡的な出来事の当事者
の無責任、責任転嫁と貼られるレッテルと同質のように感じ
てしまう。
逆にいえば、国の代表としての権力を持った人たちが、次々
こうした足跡を残すのだから、短絡的で想像力が乏しい様な
人が溢れることも致し方ないと、皮肉すら言いたくなる。

国のリーダーを志す人に、滅私奉公の心構えを求めるのは
いまや過剰な期待なのだろうか?