2008年8月28日木曜日

旅の回顧録 プラハ、ブタペスト、 ウィーンとザルツ 2 

大学生の頃、初めてウィーンを旅したとき、Are you a Malaysian?
といわれ、かなり驚いたことを思い出す。

東洋人と人目で判るのは当然だが、東洋=チャイニーズと
大雑把に思われることはありがちで納得いくところ。
けれど、日本人とマレーシア人がどれほど似ているのか?
と動揺もしたし不思議にも思った。
マレーシア人って黒髪なのかなぁ・・・??

今回は
モーツァルトの生まれた地でモーツァルトを聴きたい。
まだ未知の地である中欧といわれるブタペストや
プラハに行ってみたいという想いで。
友人が家族で5年余りプラハで暮らしいたので、
美しいといわれるその街に興味があった。

確かにプラハは美しく歴史の重みを石畳の街並み
に漂っていた。
ことばが通じずらく、観光客が訪れる街とはいえ、
日本人はじめまだまだだと体感した。


ブタペストでは英語すら通じないところが多かった。
冬のヨーロッパは、痛いほど冷たい寒さのなか、
慣れない街だったが、思い切って地下鉄に乗って、
ほんのちょっぴりその土地の暮らしを垣間見た。

  2006年12月の旅のプレイバック。
  やや記憶の引き出しを探しにくく、また開けにくいのでコメントには
  曖昧なこともあるが、ご容赦を。
  が記録は頼りがいのあるデジカメ君なのでばっちり明確だ。



キリスト教が人々の暮らしに密着してきた年月を、
またその信仰の尊さが育んできた芸術性の高さを
素晴らしく感じた。
  


プラハ城を背景にカレル橋 

プラハ城から城下の街を臨む


街はクリスマス市。刺すような寒さの中でも「クリスマス」
の華やかさが楽しめる空間。



本当に綺麗に採光を生かしているステンドグラス



精巧で、精密で、そして品があり・・


何百年という年月を経ても、細部にわたり高度な技巧を
目の当たりにすることができる。
冬の空気の澄んだ青空に映える。







ウィーンのクリスマス市



大学生時代に初めて訪れたシェーンブルク宮殿。
その荘厳さと美しさに圧倒された。その頃の感動が、
再度訪れることを促した。







ザルツブルグでモーツァルトゆかりの地へもあちこち足を運んだ。
  


モーツァルトのコンサートにも、プラハとウィーン
で3回行くことができた。
ただ、現地でもう少し余裕があればじっくり検討し
選ぶこともできただろうと、若干悔いを残した。

帰国の日、石畳の上をキャリーバックを
引きながら空港行きのバスを目指す。
クリスマスの朝だったので、あちこちの教会で
ミサが行われていた。
その教会に入って、心改まるような神聖な
雰囲気をほんの少し体験させてもらった。
      















2008年8月27日水曜日

<あの頃>へのスイッチ

少しゆっくり目覚めた日曜の朝、
<あの頃>へのスイッチをONにする。

AFNの【SATURDAY NIGHT's 80's】

忽ち、時間を遡ることができる-。

FENのDJ、 Charie Tuna のAMERICAN TOP 40?
だったかなぁ?をよく聴いていた<あの頃>へ。

Madonna 年齢を重ねるごとには存在感を増している様だが、
やはり個人的には『Holiday』や『Crazy For You』に敵う
曲はない。
<あの頃>の逸り焦がれる心の揺れや感情の高ぶり、時代
の空気感など、様々な感覚が、思い出されてタイムスリップ。
TOTO や Queenは勿論、Hall & Oats、Van Halenなど当時の
曲が次々流れる。

<あの頃>へ途端に引きずり込まれる"スイッチ"は;
    引きずり込まれるって、ちょっと選びたくはない言葉だけれど、
    吸い込まれる、だとまだ違う-。

Nu shooz 『I can't wait』
Paul Young『Everytime You Go Away』
The Power Station『Some Like It hot』
            『Get It On(Bang A Gong)』
Philip Bailey(Duet with Phil Collins)  『EASY LOVER』

イントロが流れると、その時へと瞬間移動。思わずボリュームをあげ
手を止めて聞き入ってしまう。
元々この番組を聴いている時のボリュームはいつもより大きくなっているのは言わずもがな

この時間丸ごとそうだけれど、とくに記憶を刺激する曲がかかる
ときは、格別な思いに囚われる。

確か小林克也の「ベストヒットUSA」を毎週楽しみにしていた時代。
日本がまだどこかで海外=USAといった憧憬を抱いていた頃
だったのかもしれない。

AFNで"'80's"と番組があるのだから、アメリカでも<あの頃>が
80年代だというリスナーが多いのかもしれない、・・・それともその時代
を懐かしさだけでなく音楽的にも共感を感じる人が多いのだろうか?

どちらにしても、アメリカも日本も、それぞれの人にも、今よりも、活力や夢が
きっとあって、そして豊かな「何か」があったに違いない・・・そんな気がする。


  以前、当時アメリカに棲んでいたハーフの甥に
  Back Street Boys を最近聴いているんだと話をしたら、
  「えっ?歌詞分かるの?」と問い質され、答えに窮した。
  鋭い突っ込み、ご尤も!
  ・・・確かに分からずに、メロディーラインと耳心地のよさで
  好きだといっているなぁ。
  でもいいじゃない、説明がつかないけれど、すぅっと感覚に入って
  くるものがあるのだもの。

      ☆ ○ ○ ☆ ○ ○ ☆ ○ ○ ☆

「サザンは天才だよ」-サザンオールスターズが突拍子も無い
インパクトでデビューした当時、個性的な同級生の親友が断言した。
デビューから今日までの、サザンの他に類を見ないような影響力を
思うと、まだ中学生の彼女の感性と先見性には改めて感服。
鮮明に記憶に残っている。

この夏、時代を織ってきたサザンオールスターズの一休みの
区切りの宣言には、多くの人同様、鈍く心の奥に錘を落とした
様な感覚に襲われた。

誰でもそうだろうけれど、
曲を聴くと<あの頃>への懐かしさがとめどなく湧いてくる。
戻りたいという願望というよりも、匂いすら蘇る その「瞬間」
に覚えた感覚への切なさ。
具体的な思い出というよりも、
<あの頃>取り巻いていたあらゆる空間が、懐かしく愛しい。

日本の、となるとまたさらに身近になる。
個々の思い出も、そのメロディーに添えた詞(ことば)
にのって、<あの頃>が脳裏に蘇る;

サザンだったら、
『栞のテーマ』や『C調言葉にご用心』 『みんなのうた』
の時代の作品が、一番"発色"よく<あの頃>を彩る。
尾崎亜美の『春の予感』や竹内まりやの『不思議なピーチパイ』
もメロディを口ずさむと、心の記憶に色を織り成す。

原田真二の『てぃ~んずぶるーす』や『キャンディ』が聴こえたり
したら、感情が『タイムトラベル』。

村下孝蔵 『初恋』『踊り子』は、カバーを聞いたことがあるけれど、
やっぱり村下のもつ透明感、切なさ感には適わないと思う。

山下達郎の『ライドオンタイム』。
- あのイントロの澄み切った透明感は、聴くものを忽ちにして
果てなく広い青空へ吸い込んでしまうかのよう。

指折り数えれば、心の襞分、あるものです・・・。
誰しもが持っている<あの頃>へのスイッチ。

立ち位置についての“考察”  

自身の基準の延長と、いくつもある自身の属する
コミュニティの基準をあれこれ考える。

井の中の蛙大海を知らず、ということばの通り。

蛙は自分の棲みかの池が、蛙にとっての全てであると、
それを疑う機会をなく暮らしているが、その池のほとりに
立つものからすると、池の大きさを把握しその中で生きる
蛙を「こんな小さな池に棲んで可哀想」と同情すらして
いるかもしれない。
そして彼も、自分はこんなに広い環境にいることはなんて
幸せなのだと、感じている。
しかし、
その池のほとりに住む彼を山の上から眺めている樹がまたあり、
山に囲まれている谷を小さく感じている。
そしてさらに雲の上から、鳥が・・・
そう、視点を変えることによって、視点を退いて見ることによって、
その立ち位置の向きが曖昧になり、立ち位置のサイズが変わり、
立ち位置の状況が変わっていく。

たとえば・・・
日本のマスコミを通して得た情報から日本人は、
独裁国家とされている国に対して「政府が情報
統制をしている」と批判的なコメントをしたと
して・・・・。
果たして日本人そのものは、完全に開示され、
事実を多角的に知りうる情報を十分に得ていると
断言できるのだろうか?

  昨今許しがたい!!と怒りを感じる社保庁・
  厚生労働省、防衛省、農林水産省はじめ
  省庁や独法・財団・社団の(世間と全く異なる
  KY体質。何より危機感の全く無い意識には
  世間の怒りなんて全く伝わっていないと
  体験上思う。)杜撰さ加減も、やっと
  浮き彫りになったものの、国民は、その実態
  を知らずにずっと暮らしてきていたではないか。

  新たな事実を知り、「現」の状況をまた
  引いてみることができる。

自分たちの情報は公開性公平性ある透明度の
高いものであるとそれを空気のように疑うことをせず
にそういうものとして受け入れている。
しかし、知らされているいわゆる「事実」が、
実は「真実」のほんの一端・一面でしかないとしたら?

そんな仮説を、ときに意識して考えてみれば、
属する環境が全てではないことに気づく。
宇宙の中のちっぽけな一個であることに気づく。
誰しもが"蛙"-。
その蛙でも、井の中の蛙と意識をすれば、
真実を掴もうと心がければ、
真実の多角性を知ろうとすれば・・・。

知っていること、分かっていることが「すべて」
ではなくて、単に知っている、分かっているという
"限定範囲"のある中でのことなのかも・・・。

今いる立ち位置は大きな枠のない世界のただ
一点でしかないのかもしれない。

    ☆ ○ ☆ ○ ☆

追い詰められたとき、或いは立ち止まってしゃがんで
しまったとき、
ふとその目線をかえてみたら、そう「幽体離脱」してみたら、
立っている足元が、
希望へと向かう坂の途中の通過「点」に居ると知り、
新たな力になる場合だってある。

そうだ、全方向に可能性を見出せば、
今「居る」位置を知って、 向きを変えて一歩、
踏み出すことができるだろう。。

足元を見つめずに空をみあげたら、
その果ての無いことを知って、
きゅっと締め付けられた心が、ふわっと緩むかも知れない。

そして・・・、
元気に立ち上がれるかもしれない。

- 心の在り様、持ち様で、立ち位置の目線が変わるのだ。

2008年8月25日月曜日

”こころの休息” -'08.8軽井沢

この夏も軽井沢に、つかの間の心地よさを求めた。
こころとからだと気持ちをほぐしに・・・。

前回とても満足できたヴィラデストへもう一度!と
思っていたが、残念ながら行けなかった。

今回は「プリモピアット」という和テイストの趣きを醸す
イタリアンを楽しんだ。
プリモはピッツァでも有名だけれど、そのワンランク
上のサービスの店 ↓
 http://www.karuizawa.co.jp/rest/primopiatto/
(かのエルミタージュ ドゥ タムラを意識しているのかと思える店構え
と店前でのサービス。これからの食事を心地よく迎えられ、また充実した
食事を過ごせたという気持ちで、思わずご馳走様と笑顔で返した。)

店のもてなしと窓越しの景色、食事を楽しむ演出も十分。
頂いた2500円のプリフィクスのランチコース。
味については、
標準以上だとは思うが、前菜とパスタはあっさり目で
インパクトには若干欠けるという印象だ。
自家製パンはピッツアで有名なだけありモチモチした食感
で、メインの付け合せのソースをつけてついつい食べ過ぎて
しまった。
メインのイベリコ豚も美味しかったが、他の選択肢で
ヴァーニャカウダで食べ地元野菜の炭焼きとかなり迷った。
次回はこちらを食べてみたい!
デザートは◎。
  紅茶のジェラートと桃のコンポート。
  ジェアラートは紅茶の風味がとてもしっかりしていて、
  ミントがほのかに香るさっぱり目の桃のコンポート
  との味のコントラストがとてもよかった。
  ちょっと地味だなぁと思って写真を撮らず、
  つい食べることに先走ってしまったのが悔やまれる。

   プリモピアットのランチより;ジェノベーゼのパスタパスタ
    同じくランチより; メインはイベリコ豚をチョイス


最近俄かに地元の人たちに人気らしい「白銀亭」
美味しいと感じる理由はやはり軽井沢という場所もあるのかな?
と感じるものの、
広々としている木造作りの店を訪れ、焼きたてのパンを
あれこれと選ぶのも楽しいだろう。
 「白銀亭でパンを買い込み、次にツルヤで買出し」ルートは、
 結構軽井沢での休日では、定番化しそう・・・。


再び「THE TERRACE SAKUMA」へ。
前回無かった店の看板もいくつかできていた。
その中のひとつ。店の正面に控えめにある。

店内から漂うだろうか?気持ちがふわっと緩む空間の店内

テラスから臨む小鳥たちが集う庭


千ヶ滝のある風景。
  時間の経過を感じる木製ベンチが樹木
  のなかに馴染む

2008年8月23日土曜日

今年の夏の、エトセトラ

一雨ごとに、空に浮かぶ雲が澄んで見える。
一雨ごとに、風が秋の気配も連れてきている。
「熱帯列島」になってきている日本だから、
この先、思い出したような猛暑が戻ってくると思うけれど、
確実にカレンダーに沿って、次の季節「秋」が漂っている。

その① ある”検証”  昭和育ちだから?

酷暑のヤマを越えたのだとしたら、
今年は一度もエアコンを使わずに夏が過ぎた。
  (そういえば昨年は10日程度だった。)
でんこちゃんに表彰してもらいたいくらい・・・??
  ECOの促進の面からも、ピーク時の使用が少ない世帯
  への割引制度をつくるとか、利用者にもうれしく節約できる
  プログラム・企画があるといいなぁ。

やせ我慢、というわけでもない。

安マンションだけれど風通しと日当たりが抜群の
この部屋は、夏といえども風通しがよくて、その風が、
エアコンの抑制的な冷えた空気よりも、心地がいいのだ。

  とはいえ、一番上の階は、夏暑いというのは本当で、
  この夏も部屋にいるだけでホットヨガ状態。
     玄関の内側のタイルが玄関外の廊下よりも熱を
     もって暑いのには驚いた。
  代謝はよくなったこと、間違いない。

朝起きると玄関とバルコニーをまず開けて、そして打ち水。
外出時は思い切って遮光カーテンを引く。
帰宅時も朝と同様打ち水。蚊取り線香を焚いて、窓明け。

夜風が部屋を通り抜ける。日中温まった空気が少しずつ
入れ替わってゆく。そして体が慣れてくる。

エアコンがないと!なんて一歩外へ出ると思ってしまうけれど、
でもよく考えると、小学生の頃は、無いのが当たり前だった。
人は、それなりに環境に順応できるものと、改めて感心して
みたり・・・。

     いまどき色々な部分で、楽、簡素化が重宝され、
     人間視点では便利な機能が飛躍的に改良されてはいる。
     ただ、地球に棲んでいる一生物として、人間をみたならば、
     人間視点での利便性が上がれば上がるほど、人間の五感や
     生物としてもっている質や自己回復力などは、退化してきて
     いるだろう。

     持って生まれた感覚や身体的機能は、できるなら活かしたい
     とは思う。

     振り返れば都市ガスではなくプロパンガスで、
     エアコンが普及してなく、夏は扇風機、冬は石炭ストーブという
     昭和時代の暮らしが、なんだかとても豊かだったように思う。

     生活必需品化した携帯電話というものが存在していなくて、
     も世の中きちんと循環していた。
       ちょっと前まで糸電話状態だった携帯も、今は別に無くても
       余り不便を感じないようになっているし・・・これも「慣れ」か。



    手間の掛かる暮らし、面倒がある生活は、自分で工夫をしたり
    考えたり、感じたりする機会が今よりもずっとずっとあった。
    ああ、昭和の時代を、回顧してしまう。
    
    いやいや

「エアコンはなくても大丈夫」な”検証”をしたこの夏。


その② 不気味なアイツ

確かに対策は取っていた。
異常な酷暑になると、こちらはゼッタイに望まないけれど
嫌でもお目にかかかる頻度が上がっていたと、覚悟して。

窓をずっと開けていても決して「誰でも歓迎!!」ではない意思を
撃退グッズで、表示していた。万全な筈だった。
  
にも拘らず・・・
後頭部に第三の目があるのか?と思えてしまう瞬間。
少し前までは、その気配は無かった・・・。
けれど確かにその方向に気配を感じる。
ゆっくりと振り返り天井に近い白い壁にその存在を確認。
いつの間にかある確かな存在感、黒い影。
万全だった筈の自らの対策に抜け穴があったことに愕然とし
「なぜそこに?!」と思うと同時に、直ちに、そして確実な退治方法を模索。
・・・こんなとき、妙に冷静になる自分が居る。
些かの「同居」も拒絶! 決して失敗は許されない。
気合と勢いと、ゼッタイという思いで、逃がすものかと怯まず立ち向かい、
無事に完全勝利を収める。(今のところ成功率100%。)

勝利に甘んじることなく?万全では無かった「万全」を検証。
もう、できるならこの先二度とお目にかかりたくは無い。

「飛んでくることもできる」「壁を這ってくることもできる」。
窓ガラスと網戸の僅かな隙間が、意図せず歓迎口となっていたのだ。
エアコンの排水ホースからというルートもあるらしい、と、
再度対策を練り直し、その僅かな隙間をも作ってはならないと、
結論。侵入経路を改めて絶ち、網戸にも撃退グッズを追加。
   撃退グッズは、「霧」よりも「だんご」が一番安価で効果覿面
   と、勧められ、そのアドバイスを実行中。

以後、特に酷暑の日は、神経を研ぎ澄まして黒い影を反射的に
探すが、今のところ不気味な黒いアイツの侵入を許しては居ない。
それでも、決して気を緩めてはいけないと自らを戒める。
いつまた気配を感じないとも限らない。
(感性を磨きすぎるとよくない??)
しぶといアイツであることを肝に銘じなくては。

絶対は無いのだ・・・。

旅の回顧録 ウィーンとザルツ  ~ お菓子 ~

決して過去にしがみ付いている訳でも・・・ない?! 強がりかなぁ??
・・・2006年12月、モーツァルト生誕250年のウィーンのクリスマスを
  是非体験しておきたくて、 そして中欧もちょこっとみておきたくて、
  ウィーンとブタペストそしてプラハを旅行した。


   この旅に先駆けて、満を持して??デジカメを購入した。
   ワクワク、おいしそうぉ、キレイだぁ、かわいい、すてき、などなど
   心に刻みたい印象や想いを、 今はこのデジカメを通して、映像に残せる喜びがある。 
   シャッターを押したくなった「印象」の想いを、よろしければ、
   おすそわけ・・・

まずは、甘いものを回想。 
印象に残ったケーキやお菓子たち;
繊細というよりもしっかりとした味、朴訥とした味は、自分のtasteに合っている。
食べても美味しいし、そして、季節柄か、ビジュアルでも気持ちがほころぶような、
お菓子と出合った。

①ザルツブルグのとあるcafe
 (偶然見つけたお店だったけれど美味しかった)のショーケース

②ウィーンの街角のコンデトライのショーウインド        
  ひとつひとつ、 表情の豊かさに見ているだけで笑顔になる。










                  

③時間が無くて、じっくりcafeを吟味することができず、
  結局、有名すぎるけどやっぱり行ってしまった「ホテルザッハー」のザッハトルテ。
                 
④ ウィーンの空港で見つけたかわいいイラストのチョコレート