2008年12月31日水曜日

at my choice - 2008年 滑り込み" Sweets Shop" 

"Sucre-rie"

シュークリー。

平井にあるドゥ・シュークルというお店のオーナーが
人形町に出したお店。

名前だけはかすかに記憶していたが、平井という馴染み
のない地だった為か、これまで、わざわざ出かけることを
躊躇わせていた。

ところが、この夏区民プールのすぐ傍に、2号店として、
このシュークリーがオープン。
オープン日は、全く店で買い物ができない状態だった。

夏場屋外50Mプールで泳いでいたので、久しく来ていなか
ったが、秋になり店を覗く機会が訪れた。

ショーケースを覗くと、「おいしいよっ!」と自己主張していた
のは、杏のタルトとチョコレート系だったような・・・。
お店の人に、「初めて買うのですが、ここのパティシエさん
の得意は何ですか?。特においしそうに見えるのは、タルト
とかコレとかアレとかなんだけれど・・・」。
「そうですねぇ、ここのシェフはムース系が得意です、でも
タルトやシュークリームも人気です。平井の店のパティシエ
が得意でそれをもってきています」との丁寧な回答。

「じゃぁ、初志貫徹で、杏のタルト」。

-以来、すっかり杏のタルトに嵌っている。

今年の食べ収めに、と食べたい衝動に負け、わざわざ
買いに走った。
 -まさか、大晦日も本当に営業しているとは思わなかったが、
  31日は17時まで営業し、元旦も営業するらしい-



何より素材のよさが味に顕れている。



タルトというけれど、ベースはパイ生地(フュユタージュ?)。
そこにたっぷりのクレーム・ダマンド。
パイは、焼成がしっかりでサクサク。
クレーム・ダマンドは、アーモンドの風味が口に広がり、
アーモンドパウダーの質がいいなぁと自然と思えてしまう香り
も、甘味も程よい。
パイの歯切れよい食感と、しっとりとした風味豊かなクレーム
・ダマンドと、杏の甘酸っぱさ・・・。
甘味のバランス、食感のコントラストが美味しさに繋がっている。

最近食べたタルトの中では1,2を争う。
  ~ はて?争うショップは?と思ってもすぐに蘇らないから
    1番なのかなぁCP面からも ~

これで320円は、ゼッタイにお得。

ムース系やその他のケーキは、正直見た目-杏のタルトが
主張していた「おいしいよっ!」という表情-の魅力と、価格
が何となぁくアンテナに乗ってこないので・・・、そして何より、
杏のタルトの舌の記憶が勝ってしまい、未だ未TRY。

焼き菓子でフィナンシェや季節のお菓子で栗のパイは試して
みたことがある。

栗のパイは、タルト同様、丁寧で素直な美味しさを感じることが
できた。パイの食感と、栗の素材感が十分に引き出され味わい
の深さがマッチしていた。
恐らくパイやタルトなどの焼成菓子なら、どれもかなり美味しい
のではないかと、"味覚の記憶"が断言する。

とはいえ、
どうやらシュークリームが人気の様なので、2009年明けたら、
次は杏のタルトを我慢してみようかな。・・・できれば、だけれど。


《食べログにも・・・》

2008年12月30日火曜日

2009年に向かって - 時間軸の密度を高めよう

今年はじめプロゴルファーに転向した石川遼。
人生時間はとても短いけれど、見習うべき精神的な魅力に
溢れている。

注目され始めた当初から、年齢からかけ離れた落ち着いた受け
答えや自らの考えを適切な言葉で端的に発言する。
その上周囲への感謝や気遣い、謙虚さも兼ね備えている。
周囲の愛情に育まれ、環境に素直に育ってきた賜物だろうなぁ。
17歳にして-と、人間性の成熟度も驚くばかりだ。

真摯な姿は、誰もが素晴らしいと感じ、温かい気持ちで応援し
たくなっているに違いない。

プロ転向後の目覚しい活躍に裏打ちされた筋の通った生き様
-小学生からの、マスターズで優勝するという揺ぎ無き明快な
目標を達成する為のエネルギー集中度。
自身を進化させたいと念ずる強い思いには、恐れ入る・・・。

<向上心を煽るゼッタイの目的意識>

人の人生の価値は時間密度なのだと、我が身を省みる。

彼の活躍と人間力に清清しさを覚え、更に進化する姿を愉しみに
思うばかりではなくて、そのエネルギー注力度を我が身に置き換え、
自身の「今」に掛ける時間密度をもっと突き詰めたいものだ。

新しい年を契機に、見習わなくては!

2008年12月26日金曜日

at my choice - 2008年締めくくりの "イタリアン" 

今年の締めくくりに、久しぶりに通いたいなぁと思う心通う(と勝手に思って
いる)大切にしたいイタリアンに出合った - 「贔屓にしたい店」の
ポイント、味・店の雰囲気・ サービス(ホスピタリティ)・価格のバランスが
適った店 - 浅草のイル・セレーノ。 
 
  かつて、神楽坂でのランチが日常だった頃、気の置けないイタリアンが3店あった。
  何れも、仕事の合間のつかの間の時間を、ひとりでゆっくり和みたいとき
  利用していた。店のスタッフとの距離感もきちんとあり、居心地よく過ごせる。
  そのうちに、スタッフのほうでもこちらの好みを把握してくれ、黙っていても、
  その日のメニューに融通を利かせてくれることもしばしばだった。
  例えば、老舗イタリア人オーナーの店では鶏を魚に、カウンターもあるオーガ
  ニック野菜の美味しい店では、とても美味しい自家製フォカッチャと美味しい
  野菜のサラダだけのランチにしてくれたり・・・とか、店の人との会話を楽しみ
  ながら、こんなmy menu を融通してくれた。

ランチの少しすいた時間だった為か、店に行き着けず場所確認の電話を
入れたら、スタッフが店の外まで出てこちらが店に辿り着くのを出迎えて
くれ、まずホスピタリティの"予感"を感じた。
店はこじんまりとしているが、サービスを仕切るマネージャーの気配りが
行き届くにはちょうどよい空間。
決して大きくない店内だけれど、柔らかな物腰で、席へと案内してくれた。
席に着くとクリスマス前の店内は温かみを感じるタペストリーが壁に掛かり、
中央にはワインに囲まれたクリスマスツリー。
ワイングラスを手袋をはめて扱うマネージャーの姿に、この店でのこれから
のランチに期待が持てた。

ランチコースは前菜(2択)・パスタ(3択)・自家製パン・デザート・コーヒー
の1890円を選んだ。

  ↓ 生ハムのサラダをチョイス
     生ハムの下に甘味加減の程よいドレッシングで和えられた野菜
     とのバランスもよかった。ボリュームも案外ある。



  ↓ ブッタネスカかアーリオオーリオ
     どちらもアルデンテで、緩急ある味わい



  ↓ ティラミス

 ↓ カプチーノ (本当は追加料金だが)
    特別にラテアートを施してくれ、サービスしてくれた
    ラパッツァなのも個人的に◎



  ↓ 温かみを感じるクリスマスの演出をされた店内





食事の合間に、適度なタイミングで語りかけてくれるマネー
ジャーとの会話も心地よい。
前述の様にワイングラスの扱いがとても丁寧であることからも、
ワインにも力を入れているとのことで、品揃えにも充実している。


"イル・セレーノ"


-心までゆったりとしたいとき
  店の人との対話を楽しみたいとき
  そして、
  大事な人と美味しい時間を過ごしたいとき
  通いたい。

http://www.il-sereno.com/




2008年12月13日土曜日

"おいしい" の 《吸引力》

《 "ケークオフリュイ" が吸引力 》

10年位まえだろうか?根津にある"マヌビッシュ"というビストロに
初めて行ったとき、木のぬくもりを感じる店内でオーナーの心温
まる接客と素朴な味わいの料理がお腹一杯食べることができた。
自家製のパンもとてもおいしくて、それから何度か大事な人と来た
いと通った。
オーナーはすぐに顧客を覚えてくれるのだろう、「いつもどうもありが
とうございます」と、腰低くもてなしてくれた。

そのお店が"アトリエ・ド・マヌビッシュ"という、ビストロで評判
になったパンと惣菜を売る店を春日にオープン。その後
ビストロを閉じ、"アトリエ・ド・マヌビッシュ"一本になった。



パンは勿論有名で人気だけれど、いつも買うのはケークオフリュイ。
- 控えめな感じで、焼き菓子は目に付きにくい別棚に並んでいる。
バターの香り豊かで、2種類のレーズンとオレンジピール、 ピスタチ
オなど(その時々で胡桃やドライフルーツも入ったり・・)がふんだん
に入って、丁寧な味わいが口に広がる。 ストレートなおいしさだ。



そして惣菜も以前のビストロの名残だろう品揃え豊かでCPがある、
と思う。春日周辺に行くと、いや、時に"アトリエ・ド・マヌビッシュ"に
あのケークオフリュイが食べたくなって、ついつい立寄ってしまう。

大事にしたい店であることには、今も変わりはない。

今日も訪れた時間が夕方前だった為、自慢のパンを買い求める人
が後を立たずパンの棚はスカスカだったので、デジカメの対象は
ショーケースの中になった。




《 "懐かしさ" が吸引力 》

祖父母の家に遊びに行ったとき良く買ってもらっていたコロッケ。
「土曜日は3個で100円なのよ」。その「特売」は3~40年以上経った
今でも変わらない。祖父母が他界し住居も無くなり、今や面影を
偲ぶ対象がすっかりなくなった湯島の地だが、あの頃を辿る様に
3個100円コロッケを求めたのは数年前-その店は今もあった。
売っている肉屋のおじさんもそのお母さんも、そしてコロッケの
値段も、祖母と一緒に通っていた頃のままだ。(普段は1個40円)

「おじさんコロッケ3つ」
「はいよっ、ありがとぉね!またよろしくっ!」。
昔と何ら変わらない威勢のよい声と気持ちのよい笑顔。

すっかり白髪になったおじさんと、そのお母さんの腰の曲がった姿
だけが、唯一、凡そ半世紀に近い歳月が流れたことを実感させる。

果たして、こちらのことを覚えていてくれているのかは分からない
けれど、3つのコロッケを貰って100円を払う、その僅かな時間に
懐かしさが凝縮している。

ジャガイモに玉葱が入っただけのちょっと甘めの、素朴過ぎる
コロッケ。パン粉も普通。味もグルメ視点では至極普通だ。
(近頃サイズがやや小さくなったかな)

けれど、とびきりほっとする味。また食べたくなる懐かしいコロッケ
なのだ。

  



《 "ZOKA" が吸引力 》

銀座辺りでコーヒー飲みたい、そう思っていたら自然と "R25 cafe" に
向かっていた。
ラテを注文。美しいラテアートに負けないエスプレッソがしっかり利いた
ラテがたっぷり飲める。

飲み進めても美しいアートが残ったまま。

ZOKAは、やはり美味しいな ( "R25 cafe" はリクルートとZOKAとのコラボ店)。


《 "辛さ" が吸引力 》

CPが高いタイ料理屋(しかしなぜかインドやインドネシア等エスニックメニュー
もある)。京橋の"ワンタイ" は、ランチも安いが夜も十分満足。
六本木の "ジャスミンタイ" は女性オーナーの柔らかい笑顔のサービスの様
な優しいタイ料理だが、"ワンタイ" は、スパイスの辛味もガツンと利き、もう
少しローカルに近い味。どの料理も「辛うま~っ」。

エスニック料理は癖になるものだが、サービスも店の雰囲気も、馴染み易くて
気軽に通えるこの店も、癖になる。



トムヤムクン


辛口焼きビーフン


青パパイヤのサラダ

おまけの吸引力 - ワンタイ近くのcafe "BLESS" 
 女性だけで切り盛りしている?
 コーヒー豆に拘って、女性たちの手作りケーキと
 場所柄ご飯ものメニューもある。
 よる10時頃まで利用できるのも嬉しい。















2008年12月9日火曜日

最近の・・食べ歩き<日記>

《 眼力を磨け! ~ がっかり・・・》

その①

TV番組で出演者が心底料理を味わっているように思えたその店に行ける
機会があったので、行ってみた(住所は赤坂最寄は青山一丁目)。
看板のないその店の前では案内役の中年の男性がおり、「予約していない
のですが、今日は入れますか?」と尋ねると「申し訳ありません、本日は
満席です。」「TVの反響がすごいんですよ。」と、TVをみておいしそう
だったのでどうしても食べてみたくてという来店理由に、応えてくれた。
(テレビって恐ろしい。あの番組、視聴率高いのかなぁ?)
パンフレットを取りに店に入った案内役の男性が、「どうぞ、今お席を
おつくりしました」となんと融通してくれたのだ。

店内はTVで見た様な広々とした空間。

  - かつてイギリス、オックスフォード近郊のフレンチレストラン
"ル・マノワール・オ・キャトル・セゾン" (イギリス政府観光庁刊行の"Tasty
Britain" に掲載されている店)での感動を思い出した。あの店はサービス
料理も満足度がとても高かった! -

席に案内され改めて店内を見渡すとうす~い感覚。
サービスする男性たちの立ち姿や接客を見ていても若干の不安が過る。
でもあの番組内での出演者の一皿一皿に対する満足そうな顔つきに
嘘はない筈、と思い切ってメイン料理とデザートが食べられるコースを
選んでみた。

パンに供されたオリーブオイルの味わいと香り、それにパンも 含めて
至って普通。そして前菜は演出用のハーブが干からびていて一目で
フレッシュ感がなく造り置きが明らかだった。

メインの羊も、主食にならないほどの量の上に味も平凡。
皿に添えられる野菜もみずみずしさの欠片もなく羊に劣らぬ量と味。

神楽坂でよくランチに利用していたBrasserie GusのCPの高さをつい
思い出してしまった。

そしてチョイスできるデザートもボリューム感もなかった。カフェラテ
とデザートはメインに比べると質はいいのかもしれないが、全体的に
全くCPがなくて、久しぶりに「大はずれ」。

お店の人に聴くとあのTV番組の料理は夜のものだという。夜のCPを
是非味わってほしいと言われたけれど、これだけCPがないものを
経験したらとても店側の言い分を検証して見よう!と大冒険はしたく
ない。

  そういえばあの番組でも料理長の指先の絆創膏にあり???と思った筈
  だった。そういう感をもっと大事に思わなくては!


人的サービスもとても表面的で行き届いたサービスからはほど遠い。
ホスピタリティという面では余程たまプラーザの"the Early Bird Café "
のスタッフの方が数段心地よい。

あぁTVのフィルターを弁えなくてはと、改めて自身の眼力のなさに愕然
とし反省。

※一応、前菜とメインせっかく撮ったので。(デザートはもう撮る意欲を失った)



その②

先日、京橋の店のカラーがブルーの南インド料理屋も関心があったので、
ランチに入ってみた。このときは「初めての店なのだから」とお試し気分で
本日のカレーのなかでマトンのひき肉と大根のカレー(辛口)をチョイス。
クミンが効いたスパイシー感あるカレーだったけれど、家(ガラムマサラ・
カレーパウダー・クミン・カルダモン、生姜・にんにく・セロリなどだけ)
で作るカレーと似ていた・・・。
ナンも口に合わなかった、ナン独特の弾性がなくて旨さを感じなかった。


・・・・・何だか2回続けて大きく期待が外れてしまい、がっかり。




《 "課題" 店 み~つけた!》

都心の真ん中を2時間程歩いていたら、"③San Ban Cho Café” たる魅力的
を発見。時間的に利用することは見合わせたが、入ってみたいと食指が動く。
帰宅してネットで見てもなかなかよさそう。
そうだ、いいなぁという実際のこの感覚を大事にしなくては!

この店の近くにあった “Jane’s Coffee” も案外と美味しいコーヒーかな思った
けれど、店の人が手持ち無沙汰にしている感じが何となく店に入ることを躊躇
わせた。

でも、いずれ好奇心が勝ってこの店のコーヒーもお試しするのだろうか?


《 キャロットケーキ発見 ~ R25 café 》

気に入っているcafé のひとつ"R25 Café” も最近は人で賑わっていること
が多い。
ちょっと前は、美味しいラテを楽しめる銀座の穴場みたい銀座の穴場
みたいな感じだったのになぁ。
久しぶりに吸い込まれてしまったのは、季節限定のキャロットケーキが
あったから。

  海外でも日本でもキャロットケーキがあると躊躇わずに必ず食べているくらいの
  キャロットケーキマニア。
  でもこれがゼッタイというものが中々なくて、適度においしいと感じるのは好み故? 
  かつてスターバックスでもよく食べていた・・・。

e-street bagels製のキャロットはのアイシングに見立てたホワイトチョコ味
のトッピングとシナモン風味が生きた生地の中のクリームチーズが、小さい
割には満足感を促しているのか?



そして、改めて思う。
-普段、我流で造るスパイスと生のジンジャーが効いた carrot ginger cake
実にユニークだ、と。ちょっとパンチがありすぎるかもしれないこの味は、
ながら大好きで、食べてもらう為に作るのに、ついつい自らも食べてしまう。



ん? 結局、自己満足? まぁそれもよし。

それでも、なおキャロットケーキ の探求は続くのだ。

2008年12月5日金曜日

「<」


   便利 ≦ よいこと

暮らしのなかで、便利さばかりを追求しちゃうと、
元来持っている感性が鈍化してしまう。とても勿体ない。
よく赤ちゃんや子供は感性や創造性が豊かで、中には

おとなには見えなかったり分からなかったりしたものを
感じたりするとも言う・・・。それも感性のひとつでだろう。

もともと持って生まれてきた本能や優れた感受性が、
歳月とともに、実生活の中であまり必要としないと、
段々そのアンテナも鈍化していくのだろうけれど、

簡便性に重きを置きすぎると、そうした感性の鈍化ばかりか、
更に身体的筋肉や脳みその筋肉も徐々にやせ細って失わ
れて、創造性・想像性など創意工夫の思考が衰えてしまう。

その点では、状況への適応性と進化が必ずしも"="とは
限らず、マイナスに作用する場合もあるのかなぁ。
適応性をもって順応していくのだろうけけれども、時には、
不便なことでも、少し体を動かして、工夫を働かせれば、
我慢や不便を選ぶことを選択してみることも大切。
はじめは不便でも、それが「いつものこと」となれば当たり前

のこととなり、決して苦ではなく、普通に過ごせるものだし、
だからこそ得る貴重なものや満足感もある。

むしろ、これからの時代、こちらの適応性・順応性を育てたい。


  お笑い < 笑み

TVで何でそれ程おかしいのかなぁと思うような
うわべの笑いが多いいような気がしてならない。
ストーリーの展開からの笑いではなくて、瞬間その場
の笑いを取るような・・・・。
やや煩くて、ついついチャンネルを変えてしまう。

同じ「笑」ならば、
例えば、よく言われるけれど、山登りですれ違った時
海外で人と目が合ったとき、笑顔を返しあうという、そんな
「笑」を身近に感じていたい。
無表情で言葉を交わすよりは、表情豊かな笑顔で話せば
なぜかしら気持ちがほぐれるものだ。
自分が気持ちよい環境で居たければ、まず自分からそんな
環境を作っていけばよいのだ、と思えるようになった。

実践しているのは、日常買い物をした後のレジでは、
満面の笑みとまではいかないが(返って不気味だし)
心の笑顔で必ず「ありがとう」と言葉を添える。
あるいは(未だ"ストイック"な場となっている)区民プール
のロッカーでも、出会う人にはできるだけ、声をかけるように
している。
全く無視されることもあるけれど、挨拶が返ってくると
少しその場が和むもの。
自分のいる環境を心地よくするには、その気持ちを
自らまずしてみるものだなぁと、つくづく感じる。

笑顔で満ちた社会になるように・・・。



  お金持ち < こころの豊かさ

今、最も大事にしたい「心」の在り方。
昨今甚だ信じがたく許しがたい心の傷に付け込んだ
詐欺事件が明るみになったけれど、お金が心より
大事であるはずがないではないか、と言いたくなる。
それこそ「情け」というものがないのか!と評する人も
いるに違いない・・・即ちやっぱり "お金<心"。

他者がどんな状況に至ろうとも、大金を手にする為に、
手段を選ばず自己欲を達成することに、あらゆる
エネルギーを注ぎ、術を選ばない者の絶対的価値観は
「お金」なのだろうか?
しかしその価値観の先には、当人に留まらない取り返し
のつかない結果だけ・・・。
すべてをを失ったとき、やっとが何よりも代え難いものと、
気づくものなのかそれでも「お金」が人の心の温かさや
豊かさに勝ると、いえるものなのだろうか?



  バーチャル < 実体験

実体験することほどの説得力はないと思う。
どんなに尊敬している人から説かれても、how to 本を読み
漁ったとしても、所謂「身を持って」体験して直に感じることが
何よりであると、それこそ皆体験していることだ。

美味しさの幸福感や、苦しさや辛さを思い出した時の感覚、
悲しい時の胸が締め付けられるような思いや落ち込みや、
楽しい時の何もかもがその瞬間、光度120%の様な心地よさ、
美しく壮大な景色を目の当たりにしたときに涙してしまう感動や
旅先で地元の人の心遣いに触れたときの温かい思い・・・。

数限りなくある「体験」が、何よりだ、-そう誰もが"実体験"
しているに違いない。


   他との比較 < 過去との比較

以前は、何らかしら、いつの間にか、気づくと他人と比較していた。
けれど、比較という要素では、周囲を気にすることが余りなくなって、
この頃は「あの時」の自分と「今」を比べていることが多い。
ちょっとでも、以前よりも心が深く豊かになっているだろうか?と。

人は誰でもどんな小さなことであろうと、それぞれが意義を持って
役割を持って確かにそう意識することは、生きることを丁寧にするし
「今」に立ち止まってしまっていても前に向かう勇気をもつ
ひとつの
理由になるように思う。
そして、そう考えるようになってから他者との
比較と
いう横軸ではなくて、
「今まで<今<これから」の時間軸が大事になった。

2008年11月22日土曜日

"逃げ水"

子供の頃、大人(おとな)は、すごいんだなぁと思っていた。
分からない世の中の仕組みを周知していて、そしていつも
真っ当に社会を作って居ると思っていた。
完璧だ、そう勝手に思い込んできた。

果たして・・・実際学生を経て、成人式を経て、社会人
生活を続けてきたけれど、
すごい"おとな"って? おとなの作る世の中って?

詳らかにならなければよい、分からなければよい、
皆がしているから構わないという判断基準や、法を
犯してさえいなければという、最下限のぎりぎりを
正当化する人が後を立たない。
そうかと思えば、聞き手側が見苦しいと感じる程あから
さまに責任逃れ(責任転嫁し)や詭弁を弄する。
そしてそれは、政治家や企業のトップに結構いたりする。

道徳や道義に弱く、法律という俵一杯に、四隅の隙間
に、常識やモラルの基準を持つ人々が、社会の牽引車
(者)であったりもするということだ。

もともと法律というのは、暗黙の了解の常識やモラルで
判断ができない場合の客観的判断基準としてあるものだ、
それが"おとな"社会の基準なのだと思っていた。

日常の生活の中でも、昨今、稚拙で利己的で、そして
多くの人の理解や常識の判断を超えた出来事(しかも
不幸や不条理)が、とても悲しいことではあるが、
当たり前のように起きている。

それは余りにも簡単に、ごく普通に暮らす人々を騙し、
欺き、殺め、逃げ、そして何より自身の人生の以後一切
の破滅に対する想像や思考を放棄して、短絡的に束の間
の満足や一時の都合だけを追求したものだ。

たいていの場合、それは「お金」を得る為に、であり、
自身の感情のはけ口で、あり、時に身勝手な思い込みで
あったり・・・。

束の間でしかない自己満足-大金を得た先に、欲の果てに、
いったい何があるのだろう?いったい何が残るのだろうか?

不必要な憎悪と悲しみと虚しさと不安と・・、人とのコミュ
ニケーションや社会をマイナスにすることしか生まない
"おとな"の衝動。

結果として、社会の循環が悪くなる。
社会の健全化のために、通常の生活を送る人たちの自主性
(自由)に対して不要な規制や制限(その為に税金も投入
されることにもなる)を要する。

誰でも、世の中、のびのびと穏かな心通う環境でありたいと
思うものではないのだろうか?
マイナスに注ぐそのエネルギーを、プラスのベクトルへと向け
られれば、どんなに居心地よい社会になってゆくだろうか。

-子供の頃抱いていた「社会」というものは、法規制に委ねる
のではなくモラルに適って判断でき、人情と信頼の中で関係が
成り立ったプラスベクトルをもった"おとな"がいっぱいだと、
思い込んでいたんだなぁ。

いつまでたっても"おとな"には辿り着けてない。
あたかも、[逃げ水]の如く-。

残念ながら"おとな"の作る世の中の実態は、思いの外、
危うくて無責任なものなのかもしれない。

けれど、
十分に"おとな"としての時間をすごしてきていること
を考えると、[逃げ水]に追いつきたい、と思う。

できることはとっても小さいことかもしれないけれど、
プラスベクトルを意識した"おとな"のひとりになろう、
そして、そんな思いをもつ人たちで満ちる世の中に向
かっていければ、と切に願う。

2008年11月18日火曜日

とんぼと<めがね>




バルコニーに出て、無造作にふとんを取り込もうとしたら、
陽日を浴びてぽかぽかのそのふとんの上に、赤とんぼが
羽を休めていた。
とんぼが、しかもすぐ目の前に、の状況に思わず「びっくりした!」。
でも、これが不気味なアイツだったら?
あたかも幽閉されたどこかの国の王女が助けを求めるがごとく
近所に響き渡るほどの悲鳴を上げていたかも知れない。

同じ昆虫なのに、とんぼには、その存在にほのぼのした気持ちに
なるけれど、不気味なアイツだったら、許せない、ふとんカバーは
もう使えない!と不快に感じてしまう -全く感覚が違うなぁと、
極めて接近してみると案外とグロテスクなとんぼをみながら
(だって全く逃げないんだもん)、つくづく、先入観や既成概念と
いうものの見方<めがね>の不思議を考えた。

やっぱり【意識】や【気持ち】次第で、「同じ状況」でも幾通りにも
解釈が変わるものなのだ、固定概念を一旦外そう、と・・・;

そんな思いで<めがね>をかえて、[人の人生の尺度]について
ふと考えてみた。
たとえば、顧みると、生まれて以来の歳月からすると"若い"という
言葉は最果ての昔。
それでも、心の在り方を含めた心身を考えると 人生の旬、それは
今なのかもしれないと、思えてきた
  社会的<めがね>ではないと、時に心弱くなりながらも。
  人それぞれその山の高さは違うだろうから、決して高みある旬でもない、が。

ただ人が生きる中で最も尊ぶべきものが、今迄になく実感として
『心の質』にシフトしてきた。心の質を高め幅を膨らませたいと、
心がけを意識するようになってきた。
  身体的にもこれ迄以上にバランスがとれたこと-最大の課題だった
  1年半の悲壮感の根源から漸く脱出できたタイミングと重なる。

こんなに心身を見詰め直した時期はなかったと振り返る。

かつて、信長の時代、人生は50年だったといわれる。
そして現在、平均寿命は延びて日本人の場合は80歳を超えている。
人々の暮らしが便利になって必要以上の体力を使わなくなった
から、生涯体力消耗がのっぺりと延びたことも一因かもしれない。
(まるで省エネの電球みたいに消費が少なくなって・・・)

信長の時代の25歳と80余年の寿命時代の40歳は、人生半ばという
意味では、人生尺度の折り返しポイント-「若さ」が同一尺?

  一国を率いる各国の大統領や首相だって40代は若いという印象。
  世の中を引っ張っている人たちだって、その多くが、折り返しポイント
  を過ぎてからだ。

  12年のブランクから40歳を前にカムバックし無事優勝を果たした女子
  プロテニスプレーヤーも、一般的な「若さ」の<めがね>からは、遠く
  なっており、体力的な衰えはあるにせよ、それ以上のものをメンタルと
  総合的な経験がカバーしている。

・・・とすれば、世の中的にも「若い」は過去だと、恐れることはない?!
第一、一般的には若いということ=歳月の長さだけであり、人生時間
の過ごし方によるや幅広さではない。
旬というのは、これまでの経験や人生の時間を熟成した頃合い、即ち
 《旬≧若さで はあっても、旬≦若さ ではない》 だろうし・・・。

“Impossible is nothing” とか"限界は自分で作る"とか"想いは叶う"
とか - すべてその可能性とその答えは自身にあるということだ。
などと、考えてみると、「今が旬」という感覚は、強ちおかしな自己意識
でもないのかも知れない、とほんの少しポジティブベクトルが太くなる。

《旬=物事を行うのに最も適した時期》 と辞書にあるではないか。
人生の旬を磨こう!- 想いを敢えて言葉に出すことも大事な意識だそうだ。
              ★ ☆ ★ ☆ ★   

晩秋、日向ぼっこのとんぼは、柔軟な<めがね>をもつ大事さに
改めて気づかせてくれ、そしてメンタルチャージをもたらしてくれた。








2008年11月10日月曜日

てんこ盛りSaturday! (その2) 

豚大好きと言うことで、一度行きたかったローブリュー。
とっても店に行き着くまでがややこしい場所にあって、
期待と衝動が焦らされる。
漸く辿り着き店に入ると、なんともいえないよい雰囲気。
フランスの小さな町の店に入ったような・・・。

本日はローブリュー入門編だったので、
まずは田舎風パテと、ブータンノワール(大好きな品。
特に豚料理専門店で食べてみたかった)。
当日の料理としての白金豚肩ロースのグリエ。
その他、山羊チーズのサラダと温製ポロネギ、
ガトーバスク、キャラメルのジェラート、締めくくりに
コーヒーをオーダー。
全体的に期待に違わず一皿一皿豚っておいしいっ!
と頬ばって、改めて表情が緩む満足感

"次来た時食べるのは・・・"と目の前の豚料理を堪能
しながらボードに踊る沢山のメニューに気が行っていた。

田舎風パテは、
よくありがちな妙な臭み・脂っぽさを
全く感じることなく、チェリーのピクルスとの相性もばっちり。

ポロネギも柔らかな甘味が十分詰まっていた。

山羊チーズのサラダは、
薄くスライスしたサワー種のドイツパンにのって、
そして、今が食べ頃だよといわんばかりのトロッと
溶けたまさにその状態で供される。


ブータンノワールは、血のソーセージという特徴を
だしながら、臭みを取り旨みを引き立てる香辛料
が活きたバランスで、とても味わい深かった。
肉に刺してあるニンニクが口に広がる肉のおいしさ
を演出。
白金豚は脂身も甘くて絶妙の火入りが肉の柔らかさと
ジューシーさを生んでいる。添えられたグレービーソース??
も肉にかけると、一段と肉を甘くおいしく食べられる。
いずれも、コストパフォーマンス高い。
メインの肉料理は、予めシェアの形で提供してくれたが、
このバランスでちょうどよく、おいしさを堪能できた。

キャラメルのジェラートもしっかりと砂糖を焦がして-
という「キャラメル」の原点をしっかり味に再現している。
しかし若干コクに欠けるのはクリームを使用していない?
とベロメーターがはじき出す(当たっているかどうかは定かではございません)
ガトーバスクは、これまでのガトーバスクとはちょっと異なる。
このケーキにも使われているクリームにもややコクがない感じで、
最後にオーダーしたコーヒーに出てきたのも牛乳だったし、
理由はその辺?と思ってみたり。。。


しかし、ちょっぴり残念なのはスタッフの対応。
それでも「サービス(奉仕)料」には些か戸惑う。

料理がよくて、雰囲気のよい店なだけに「人」の部分で、
とても勿体無い印象ではあった。

・・・けれど、やっぱり暫くしたら「ブタ食べたいブタ!」
衝動に駆られるのだろうなぁ。
   
  
- ☆ - ☆ - ☆ -

ついでの「週末」 - <やってみればできた・・・>

自宅から浜松町まで歩けてしまった。

当初はチャリでと思っていたけれど、
ちょうど雨が降り出したこともあり、
そして
昨日の豚三昧の食欲に、若干の懺悔もあり。

いけるところまで行ってみて、疲れたら電車に乗ろう、
- そんな気軽な気持ちで、歩き始めてみたら、
案外疲れることもなく、松屋銀座のB1で美味しい玄米
おにぎりを扱う「十石」で玄米おにぎりを買い、
途中でカフェに寄ったり、ファンケルで発芽玄米をget
したり、と、街を歩くことを楽しみながらおよそ2時間
ちょっとの長めの「お散歩」で過ごした雨の日曜日。
やってみれば出来ちゃうものなのですねぇ。

2008年11月9日日曜日

てんこ盛りSaturday! (その1) 

ブタが食べたいブタ!- の欲求から,まず土曜日の予定は埋まっていった。
そして、夜の予約時間から逆算し「充実土曜日」を構成・・・。

逆算 1 K先生に乳がん検診を受けに行く

逆算 2 診療時間に余裕もあったので、病院のあるあざみ野の隣、
      たまプラーザの興味あるカフェへと食べ歩き癖に好奇心が煽られた

結局、この「充実土曜日」の行程は 
    カフェで安堵、検診で安堵、ブタで満腹 のコース。
    ⇔ ブタで満腹の、”真打”夜予約をした店のことは、次の(その2)ブログに。


1 [医師K先生]

これまでもそしてこれからも、きっと最も信頼の置ける先生であり続ける。
医師として以上にその人となりに、全幅の信頼を置いている。

「こんにちは。先生ご無沙汰しています」。診察室にはいった。
2時間半ほど待った末、1年半ぶりのK先生。
「こんにちは。お元気でしたか?」。いつものやさしい笑顔。

  2時間半も待ったのは最近のピンクリボン運動の啓発もあるらしい。
  (とはいっても、いつも1時間半は待たされてることはしばしば)

一通りの検診を終えたところで、「平成10年からいらしていますよね」
とカルテを見ながら仰った。そうか、もう10年通っている。
ただ乳がんの検診を受けるために。
元々乳腺症気味だったが、5,6年ほど前の検診では、もう少し詳しく調べましょう
と診断された時のこと、。
さすがに動揺していたら「大丈夫ですよ、もし何かあっても私が必ず治しますよ」
としっかりと目を見て、柔らかい表情で仰ってくれ、その言葉に、もっと泣きそう
になってしまった
あるいは、1時間半掛けてきていることを判っておられるので、外出のため一旦
ご自宅に帰られたのに、わざわざ戻ってきてくださり、検診をして頂いたことも
あった。

   乳がんは、生活習慣を改善すれば予防できるというものでもなく、誰でもが
   その可能性がある以上、とにかく自主的に検診をうけるとか、自己診断を
   怠らず、なったときの早期発見しかない、という現実を、最近のピンクリボン
   運動で広く知られるようになってきたが、K先生は10年前から、「多くの人が
   受けてくれればいいんですけどね。若い人でも随分増えてきましたよ。」と
   懸念されていたっけ。

数多くの病院・医者はいるけれど、全幅の信頼を置ける医師に出会うことは、
本当に稀なだけに、1時間半かかるけれど、唯一無二のかかりつけ医である。


2 [the Early Bird Cafe] 

15年あまり昔、あざみ野に住んでいたことがあった。
この頃は藤が丘のパンドコナや、たまプラーザの徳多朗によくパンを買いに
行っていた。
その徳多朗が出したcafé、"the Early Bird Cafe" がお目当ての店。


店内はさしずめF.O.B COOP に似たシンプルさ。
とても居心地のよいcaféで、パンは勿論だが、ピザなどその他の
フードメニューどれもがおいしそうだった(隣のテーブルの人が美味しい!
とスタッフに絶賛もしていたし)。

今回はスコーンのセット。 -そう、その後のブタが控えているのだ!-
これも自家製ジャム2種類にドリンクがついて700円。
とても満足度が高い。 



大好きなウエストのスコーンセットが1000円以上することを考えても、
すご~くコストパフォーマンスがある。
スコーンの素朴なおいしさは徳多朗なので、当然なのだけれど、
徳多朗の奥様の手作りの評判のジャムが、更に素朴で温かい味わい。

それが2種類選べて、ボリュームたっぷりであまったらもって帰りたいほど。
人気の杏ジャムは、グリーンレーズンとオレンジの皮が入っていて、ビター
マーマレード好きなものにとっては魅力的。直球jの杏ジャムを期待すると
やや趣は異なるが、ユニークなおいしさ。具材感は抜群。

ミルクスコーンは大ぶりだけれど、粉(フランス産との説明あり)の質が
よいからか、粉が重くなくて意外に口どけのよい感じ。どっしりとした
腹応えはない。
素のスコーンのおいしさを味わうには、トッピングのジャムのボリューム
が多過ぎるきらいはあるけれど、それぞれ単体がどれも捨てがたく、
見た目にもおいしいだろぅオーラ全開なので、OK。

スタッフの誰もが気持ちよく挨拶をし、丁寧にメニューを自分の言葉
で説明できる。
皆がこの店で働くことを楽しんでいるような立ち居振る舞い。
その場で客として過ごす時間がとても心地よい。

誘惑に負けて、レジで支払い時、一体いつ食べるんだ?と自問自答
しながら、ついつい2つもパンを買ってしまった・・・。
ベーグルはボリューム一杯で、弾性も程よかった。
またアーモンドとこけももの酵母パン、これはコストパフォーマンス120%?!
ぱっくり開いた口からクリームチーズが覗いていたが、それは恐らくキリの
ポーションを1個丸まる入れちゃった?というくらいのたっぷりさだった。
そしてこけもも(クランベリー?)もアーモンドも、その名称を付けたいが
ために入れた、といった陳腐さではなくて、"これだけ入っちゃったんだから
この名前をつけなきゃ他につけようが無いでしょ!" 的な勢い。


いずれも購入した翌日に食べたので、若干風味が落ちていただろうけれど、
出来立てを買って、マグカップに入った香りよいコーヒーか紅茶と一緒に、
とまた次に来ることが楽しみなシアワセな"the Early Bird Cafe"。















2008年11月5日水曜日

CHANGE の 瞬間 

後世の人々が、2008年11月4日を「ターニングポイントだった」
と振り返って語ることがあるかもしれない--。

バラク・オバマが次期アメリカ大統領に確定した日。

  "CHANGE" 
  "YES, WE CAN"
発する言葉に力がありリズムがあり、そして間の取り方の
絶妙さがある。演説が上手いと評されることに納得する。
「人心を掴む」力、カリスマ性、そして近年の各国指導者
を眺めても感じないような、柔軟でバランス感覚を備えた
ながらも存在感のある佇まい。さらに実直な印象。顔つき
がよく、とても魅力的だと、アメリカ大統領選の番組を見る
度に感じていた。

4,5年前クリントン前大統領の来日時、彼の講演を聴く機会を得た。
抽選だったので当たったときは万難を排していかなくては!との勢い。
ホテルオークラの中規模な会場に現れた彼を見たとき、オーラを感じる、
というのはこういうことなのだろう!と体感。適当な言葉で表現できない
のがもどかしいけれど、「存在感」が色彩で表せることができるなら、
力強く品位のあるゴールドにちかい黄色。赤や緑ほどきつい色ではなく、
その人と周囲が明るく強く感じる色。彼の場合は、全体的なスケール感を
漂わせていた。講演の内容も単なる一国の大統領であった視点ではなくて、
また日米間の関係を語るときも、世界観を軸にしたものだった。・・・翻って
日本の首相って(代々)、ちっちゃいなぁと、流石世界を牽引してきた国の
リーダーと経済大国ニッポンという立派な?国のリーダーを否が応でも
比較してしまったものだ。
[そしてその比較は、今日ますます大きな差となった]

オバマ次期大統領へ期待するアメリカ国民の明日への
希望を託した思いの強さと、目標を共有したときの一体感
(結束力)のパワーと、ポジティブマインド?の国民性を
目の当たりにし、
その臨場感を味わってみたいと感じた。
あの熱気を生み出せることを羨ましくも思った。
(即ち、一方で日本では、国民が同じような閉塞感を抱き
萎えた感覚に陥り、立ち直る気力すら失いかけていると
感じてならない)

  勿論報道は、現実の一部を切り取って拡大しているという事実を

  踏まえなくてはならないが、それでもアメリカのダイナミズムを世界が
  十分に感じたのではないだろうか?とやや大袈裟に思う。

勿論、オバマ次期大統領の力量の程は実際未知数だし、
彼への絶大なる期待は今後の彼の成果のハードルを
また一段高めただろう。

さらに経済状況のみならず貧困格差や戦争、環境問題と
世界全体が、恐らく戦後最も閉塞した状況の時代の中では、
牽引者アメリカの大統領として、その責務は従来の大統領
以上の役割と期待という重圧を背負ってのこと
となる。

けれど、
彼の掲げる人種を超え、政党を超え、信条を超え、
相手の立場を理解して、目指すのは自国アメリカと世界の
建て直しと発展だというメッセージは、

言葉にすると平凡だが、実社会では、人々の"区別"意識が、
依然根強く蔓延していることを示していると同時に、
大きな
目的に向かう為に必要なものは、
私利ではなく個々の心構えと意識であることを、敢えて

覚醒し促しているのだろう。
 

彼の大統領の資質や経験の浅さを問う声も当然あるが、
少なくとも人心を得る力(若いときよりも寧ろ現在の彼の顔

つきが良くみえたのは経過に適った生き方と経験をしてきた
のだろうと想像する)と、それによって大多数の国民が、
現実を嘆くばかりではなく、 まず踏み出すのだという
エネルギーを持って、明日に賭ける気構えを抱かせたこと
こそ、素晴らしいと感じる。

翻って

日本で、与野党のえらいひとたち??の発言を聴く度に
うちの党は○○で、あっちの党は××ですよ、等々言い合っ
ていて、虚しさが募る。日本って明日があるのか?と思う。

枝葉末節な議論を講じてその言葉に、ダイナミックなパワ
ーを微塵も感じない。国家を感じない。
日本の向かうべき方向を指し示し、国民を巻き込んでいける
人的魅力を持ち併せた人物を久しく見ていない。

<国民一人一人が「今」を変える可能性をもっているという確信と
エネルギーを持ちたい>

初の黒人大統領という取り上げ方、事実だけれどフォーカス
し過ぎることは、潜在的な区別感覚がぬぐえない人の業
(ここ日本にだって色々な尺度の区別ある)という側面での
余計な懸念を想像したくない。
今までにない警備体制になっているといわれる状況を解いて
いけるような社会であってほしい。
彼のメッセージに共感・好感を持つ大多数のアメリカ国民と、
世界の流れの新しい価値観への、change を止めるような

事態は想像したくもない。

今回の大統領選でもネガティブキャンペーンをはった
マケイン氏は結局自らの勢いを失う結果を招いている。
(特に閉塞感=ネガティブな感覚を抱きやすい時期)
だれも相手を非難して上に立とうとする者に、リーダーシップ
を望んでんではいないのだ。

オバマ氏の国民への勝利宣言の演説(アメリカ国民でもないのに、
なぜか涙が出そうになってしまった)は、舵を取る自身と舵を漕ぐ
国民ひとりひとりへの「一緒に歩む」自覚と覚悟を改めて促しつつ、
皆がどんな困難も解決できる力を持ち「実現するのだ」という
メッセージでもあった。
ひとつの理想を掲げ、民を束ね、迷わず信念を持って道を貫く
その力強さに、アメリカ国民が支持したのも至極当然の成り行き
だったのではないか?

   実直で「心の向上」の心がけの生き方こそが、こころ豊かな世界をつくる。
   そういう価値観が尊ばれる世の中に向かってもらいたい。向かわせたい。
   その先導者でもあってもらいたい。

バラク・オバマ次期大統領と、彼を選んだアメリカ国民に、
そして、
全力で任務を全うできうる環境(ケネディの様なことなく)下で、
圧倒的な勝利を収めた直後に演説した国家像・世界観への
実現を目指す大統領に、
ポジティブな希望を込めてエールをおくりたい。




2008年10月27日月曜日

ミクロが欲するマクロの食事

玄米が大好きだ。
世の中で唯一食べる「食物」と言われたら"玄米"
と答えるかも知れない。
いわゆるマクロビオティックやビーガン食も好き。
おいしい、と感じる。また食べたい、と思う。

もともとはしっかりした味付けの食生活の中で育って

いるので、確かに一般的に薄味だったり味気ないと
言われるのも十分に解る。
けれど、玄米を主としたこれらの食事は、旨いと極端

に感激するようなものではないけれど、素材が持つ
味わいをじんわりと感じて、つくづく旨い、と気持ちが
ほっとするのである。

恐らく多くの人が実感しているように、野菜は顕著で、

俗に言う「本来持つ味」を実感する機会も多い。

玄米や雑穀は、噛み締めるほどに素材の持つ栄養分
甘みや旨みとして感じられるものだ。
いわゆる「粗食」と一括りにされる食事には、食べ物

本来の役割-養分を体に取り込む-をしっかり
「咀嚼」して「味」として受け入れる本来の食事の姿を
表しているだろう。

瀟洒なレストランでの食事-美味しい!! と顔を

ほころばせながら楽しいひと時を過ごすこと-も勿論
好きだし、その時間と空間も心地よい。
  異空間に身をおくことも時に大事だし、気持ちの贅沢
  だって、心を豊かにするには必要なことだもの。

見た目も鮮やかなお皿の上での演出に期待が膨らみ、

口に運ぶとその中で作り手の技術が光る、繊細だったり
力強かったりする味わいは、美味と思える感覚をとても
幸せに感じる瞬間である。

しかし、
玄米や雑穀などのいわゆる「粗食」は、経験を呼び覚ます

感覚的な「食べたい」という衝動ではなくて、体が食べたい、
とじんわり訴えてくる「食」のように思う。

強いて「経験」を使うならば、太古の昔からの人類の経験が

"じんわり"ミクロレベルで覚えている、と言えるかも知れない。

体が欲する、という表現がよくわからなかったが、玄米中心
の食生活を続けていると、なんとなくその意味が理解できて
きた。体の内側からの声を聞ける、そんな気にすらなる。

今の食生活はどっぷり玄米中心とは決していえないが、

玄米を主にした食事生活の中では、大好きな甘いデザート
やお菓子類への食指が鈍り、食べたい衝動が鈍化する。
そして、そこはかとない安堵感が滲み湧いてくるから
不思議だ。
 (とは、言いながら、これを継続できればいいのだけれど、

 体の声を聞く前に、視覚的・記憶的・習慣的誘惑に勝てず、
 なかなか継続できないでいる・・・)

素朴で味わい深い旨さを体験したとき、造り過ぎない
重要さを知り、きっと大地の偉大さと大切さを実感する
に違いない。
自然の豊かさに感謝するに違いない。

  高校生の頃尾瀬の散策後の遅い昼食時に食べた宿泊した宿の

   おばさんが持たせてくれた握り飯の美味しさは、まさにそんな感動
   に似ているだろうか。
   シンプルが一番!と純粋な幸せを味わったひととき。

昔行った自然館はまだ渋谷のお店は健在みたいだし、
チャオマクロビオティック、エクリュやみどりえや、九州
のディア、そしてナチュラルハーモニー(日水土!も)、
元気亭は、比較的お手軽に行ける。
Brown Rice、つぶつぶカフェ、eat more Greens 、

cafe Eight など、挙げれば切りがない。

cafe など雰囲気も味わえ、気分によって使い分けられるし、
チェーン化している野の葡萄のビッフェも人気が有る
みたいだし、
最近はこうしたコンセプトの店が増えてきて嬉しいかぎり。

マザーズやクシガーデンのデザートも一般的美味しさとは
違うかもしれないけれど、食べたくなる。たくさん、たくさん、
子供たちが家庭でも外食でも粗食といわれる食事をして、
咀嚼力と、『素』の味わいを感じる味覚を育てていって食の
本質を体で覚えて貰いたい。

肉質がよくなるようにとビールを飲ませた牛、ホエーを

与えた豚など、味がよくなるのは餌にありという「当たり前」
を、その肉を食して初めて、食べ物が体を造るという定義
にハッと立ち戻る。

素材の旨みを感じえることの喜びとともに、食生活が粗食
の定着すると玄米などを「体の中から欲する」様になる。
体の細胞、つまりミクロから、マクロ(ビオティック)に準じた
食事が食べたいという感覚になっていく。

食への不安や関心が高まる昨今こそ、提供する側の営利
ではないモラ
ル、消費する側の単なる安さだけではない質
の選択を見直し、食の本質に向かい合いたい。

 食のことから、みんなで「まっとうが機能する」世の中にしていきたいなぁ。

そして、これを契機に
本当に旨いを感じる味覚をはじめとする五感も磨き、また、
食物とヒトという関係を質してみるときなのではないだろうか?


2008年10月15日水曜日

愛しき「鉢入り息子」

かれこれ一緒に棲んで7年弱になる。

かける"思い"が"重い"のか、時折過剰に注ぎすぎた
愛情が重荷となってしまうようだ。
「ガジュマル」 - 彼の名はガジュマル。
実のところ、性別は定かではない。が、敢えて「男」
としておこう。

"多幸の樹" "幸福をもたらす精霊が住む"
そんなタグがかかったガジュマルを花屋さんで
見つけたのは、今の住まいに越してすぐ。
この引越しで飛躍したい、なんて願掛けを
彼(か)のガジュマル君にもしたのだ。この歳月、
幹が太くなったとか鉢から大きく成長したという
ような形跡は余り見られず、ただ青々とした
葉っぱがしっかりとついている、そんな状態。  

-それは、この夏、ちょうど軽井沢から帰宅後の
8月中旬だった。
(返事をするわけのないガジュマルに)「ただいま」
と声をかけて鉢を見るとハラッっと葉っぱが落ちた。

え??軽井沢に赴く前からやや葉っぱに生き生き
した感じがなくハリも無くなっていたけれど・・・・。
すこし葉を触ると、更にまた1枚・・・。

まずい、またやってしまった!!

・・・そう。
要らないよぉと言えないガジュマルは、過剰な水のやり
すぎへの抵抗を葉っぱの状態で、懸命に訴えていたのに、
それを察知できず、相も変わらず夏だからとまめな
水遣りをした挙句・・・・。

- - 何度目なんだ? 
幾度か過去にも迷惑な過保護育成をしてきて、
結果同じ様な瀕死の状態へ追い込んでしまった
ことがあった。

しかし不死身にもこれまでは蘇ってきた。

まず葉っぱを全て取り去って水を極力避けて放って
おいて下さい - そう彼を購入した花屋さんからの
アドバイスを受け、かれの回復力に掛けて-。

  葉をすっかりとって、回復力・生命力に掛ける ↓

 およそ2週間、生命の芽吹き! ↓


 そして、約1ヵ月半後、力強く蘇る ↓

 もう大丈夫だね。もっともっと気をつけて育てます 
 


愛情を注いで見守ることと世話を焼くことは違うのだ。
自己満足の感情の押し付けは、
対象にとって本当の愛ではないことを
「鉢入り息子」ガジュマルは健気に忍耐強く教えてくれる。


   香しい「娘」 - 花を咲かせたたローズマリー
 香もつよく逞しくなり、昨年よりも多く花を付けてくれた。↓
   


ひとりごと;

先日、8月末に書き出したが、完成できずにいた 立ち位置についての考察 
と <あの頃>に関する2部作?!を何とか完成させたけれど、アレって
書き出した日付順になっちゃうんだね。折角UPしても、
ずっと昔の話に終わってしまったぁ。